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2016年1月12日 (火)

『羆撃ち』を読む

雪の積もった山に入ると、シカ・ウサギ・キツネ・エゾライチョウの足跡をそこここに見る。
しかし、それら山の住人の姿を見出そうと左の斜面を見上げ、後ろを振り返り、右の沢筋を覗き込むのだが、ついさっき付けられたばかりと思われる足跡の持ち主の姿でさえ、滅多に見ることはできない。(注1)

 

Bookこんな喫茶店で、読み始め。

そんな動物を追う。
冬はシカ。
春からはクマ。

8時間、12時間。
いや、2日、3日と足跡を追う。

著者の生まれ育ちは、小樽。
幼少時より、日曜ハンターの父親に連れられて山に親しみ猟に親しんだ人。
大学卒業時に、彼が選んだ道は職猟師。(注2)

獲物を追い、走り登り、走り下り、沢を渡り、尾根を越え、木陰に身をひそめ、樹上の枝に取り付き、シュラフカバーとツェルト(ビバーク用簡易テント)にくるまって寝る。
2日も3日も追い、撃つ。

斃(たお)したその場で、皮をはぎ、解体し基地にしているテントまで運ぶ。

たいへんに筆力のある人。
伝える文章自体に、山を走り、獲物を背負って歩くたくましい筋肉の力を感じさせる。
強い、とても強い。

腹を割き、まだ蠕動(ぜんどう)を続けている腸を引き出す。
解体しながら、命の温もりを残している肉片を口に入れる。
雪で冷やした肝臓をほおばる。
裏返して雪で洗った腸に、プリン状に固まりだした血と刻んだ腸間膜を詰め込んでブラッドソーセージを作り、塩ゆでして食う。
焚き火であぶった心臓の鉄の味をウマイと感じる。

3日も追って斃したクマは、皮だけでも40キロ。
それをテントまで運ぶ描写は、読んでいる私の背骨をきしませ、腰に荷重を感じさせ、足の親指をしびれさせる。

猟犬として育て上げたアイヌ犬のフチとの交流。
別れ。

斃したシカの目が凍り出すことまでを描写できる著者。
クマの頭にとどめの一発を撃ち込み、何が起きたのかを知らぬままに目を開いたままこと切れたクマのまぶたを閉じさせるのも同じ著者。
そして、鼻にできた悪性のポリープで余命いくばくもないフチを安楽死させようとライフルを構えるが、撃てないのも同じ著者。

Amazonからのレターパックには、この『羆撃ち』と
「山歩きが楽しくなる本を見つけました。お楽しみください!」
とのメッセージ。

フチを失ってからの著者は、牛を飼うかたわら、職猟師を始めた頃と同じように一人で山を歩き獲物を追っているようだ。
一人で山を歩く孤独と自由は、私も共有できる感覚だ。

本夕、読了。

〝山歩きが楽しくなる〟本。
贈ってくれたのは、I佐長。
どうもありがとうございました。

(注1)
著者が職猟師になったのは'67(昭和42)年。
その際、見込んでいた年間所得は、ヒグマが1頭で30万円。
ほかに、シカ 2頭、キツネ 20頭、エゾライチョウ 20羽を獲ることで、合計 80万円。
支出が、狩猟用車の維持費、燃料を含めての生活費が50万円。
ただし、山での生活が年に11ヶ月間。

当時の国家公務員の中級職の初任年給が、賞与込みで50万円くらい。

(注2)
私が山を歩いていて見たことのある動物は、降雪前だと、エゾリス・エゾシマリス・エゾシカ・トガリネズミ・アオダイショウ。
鳥も随分見るが、私に分かったのはアカゲラ・エゾライチョウ・ウグイス・ウソ。
雪上に残った足跡だと、エゾシカ・エゾユキウサギ・キタキツネ・アライグマ。
(アライグマは何年か前、誰かが飼っていたものを山に放したと聞いた)
ただし、雪の時季に姿を見たことのあるのはエゾシカのみ。

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コメント

「羆撃ち」は文庫化された時に書店で積まれていたので、読んでいますが、情景描画がとても緻密で引き込まれます。

この本をWebサイトかFacebookで紹介したところ、仲間も絶賛していました。こうしたジャンルなのに、売れている本というのは、やはり中身が本物だという事なのでしょうね。

確か現在は標津辺りで牧場をされていたと記憶していますが、まだご健在なのでしょうか。

投稿: Hiroshi | 2016年1月13日 (水) 09:03

Hiroshiさん、こんにちは

網走湖では好釣だったご様子、何よりです。
私のほうは、先月22日から係留していたKON-chan号をこの11日に上架しました。
正月休みはシケ続き、沖に出られずに終わりました。
その代わりに山を歩けましたし、本も読め、いい休みとなりました。
山に入るのはシケの日に限っていますから、バカですけれど(^^;

作り物でない話は、力があるし、読む者を現場に立たせてくれますね。
中ほどまできて〝命〟に触れていますが、その文章そのものは乾いて金属的なのに、書いている言葉が乾いてもいなく金属的でもなくごくごく普通なことに安息感をおぼえます。

私ごときが使える言葉ではないのは承知の上で言うのですが、大変に筆力のある人だと思います。

いい本でした。

著者は標津で牧場を経営されるかたわら、今でも現役猟師としてひとりで山に入っているようです。

投稿: KON-chan | 2016年1月13日 (水) 20:14

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