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2016年1月24日 (日)

『魯山人の真髄』を読む

北大路魯山人が書いたもので、今まで文庫に収録されていなかったものをまとめたもの。
38文おさめられていて、一番古いものは'31(昭和6)年(48歳)。
一番新しいものは'59(昭和34)年(76歳)、魯山人没年のもの。
このことから分かるように、魯山人があちらこちらに書いたものの寄せ集めだから、それぞれは短く内容は雑多。(注1)

 

Book_5こんな喫茶店で読み始め。

上記経緯で編まれた本なので、書き散らかしの駄文ばかりが集められているのだろうとページをめくったが、さにあらず。
短いなりにどれも力が入っている。

魯山人は大変にエピソードの多い人だが、第一番目にあげられるのは、彼の美食家としての面だろう。
自ら調理しヒトにふるまいもする。
しかし、本書におさめられている食う話はごくわずかで、『第1章 料理』に4つの短文がおさめられているのみ。

最初が、『私の料理ばなし』。
次が、『アワビの宿かり作り』。(注2)
その次が、『湯豆腐のやり方』。
4文目が『家畜食に甘んじる多くの人々』。

書かれたのは順に、'59年、'36年、'33年、'52年と時系列を追っていない。
『家畜食に甘んじる多くの人々』を最後に置く、こういう並べ方こそが編集者の見識だろう。(注3)
まさに、魯山人は、ああこう言ったあとで、『家畜食に甘んじる多くの人々』みたいなことを言うヒト。

魯山人にとっては、自分の感覚・嗜好こそが絶対善。
世のヒトは皆そうだが、彼はそれが度外れ。

自分のことを言っているだけならば、罪がない。
彼は罪つくり。
『家畜食に甘んじる多くの人々』という題目で文を書くごとく、ヒトをバカにし・ののしり・悪態をつくのが常。

彼が相手にするのは、〝家畜食〟など決して口にしない豊かで品格の高い資産家で、教養があって枯れた審美眼を持つヒト。

庶民・凡人なんぞは、ハナからバカにする相手にさえしていない。

その上で、長幼・伝統・序列・階級、そんなこととは全く関係なく、正面切って、ときにはよせばいいのに刊行物上で個人名を出して小バカにする。
なんてもンじゃなく、大バカにする。

それは、家系の良さや成功者へのねたみ・そねみといったイヤらしい心根から出るものではなく、自分の感性のまま 思いのまま。
酸っぱいを酸っぱい、赤いを赤いと言うのと、彼にとっては同じことなのだろう。

で、「(自分のような)天才でなければわからないものかも知れない」と、しれっと書く。
実際、彼は多能な天才。

そんな人間だからパトロンが離れていくのだが、捨てる神あれば拾う神あり。
そして、捨てる神より拾う神のほうが大物。

魯山人の創作者としての実力のゆえだろう。

本夕、読了。

(注1)

〝雑多〟と書いたが、〝雑〟文が束ねられているという意味ではない。
〝色々〟とか〝様々〟とか〝多々〟という意味での〝雑多〟。
魯山人の才能範囲自体が大変広く、彼をいう時の肩書をざっと並べても、画家でもあるし陶芸家でもあるし書家でもあるし料理人でもあるし篆刻家でもあるし文筆家でもあって、どれも一流。

茶の湯、生け花、建築や造園にも一家言を持つ。
それらをひとくくりにして、彼を芸術家と紹介することが多いが、そういう枠内にはおさまらない人物。
従って書く対象が広い。

(注2)
アワビの宿かり作りの〝宿〟とはアワビの貝殻のこと。
蒸して切ったアワビを貝殻に戻し、三杯酢で食べる。
魯山人のオリジナル料理のようだ。

(注3)
本書の編集が誰なのかは巻末の解説にも書かれていない。
出版社の編集者によるものなのだろうが、よく考えて並べてある。
ただし、漢字へのふりがながかなり意地悪で、読めるものに付けられて、読めないものに限って付けられていない(^^;
私の国語力では読めない字が頻出、漢和辞典を引くこと50回余り。
また、広辞苑クラスの辞典では意味を見つけられない語句・成句も50を超えた。

魯山人のみならず編集者さえも、私のような無知・無教養な者を、ハナから相手にしていない(^^;

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コメント

魯山人の血族のidentity、子供の頃の記憶のbiasが影響したとは三流週刊誌的視点ながらも、或いは既読かもしれませんが白洲正子、青山二郎らも語気鋭くその人物像を酷評、まさに人格は破綻しているか、それ以上でしょうか??

遠出の際、ちょと凝った骨董屋の、のれんをくぐり、「魯山人のモノあります?」と聞いた時の、その瞬間的な骨董屋のおやじの眼つきが面白いですよ。

驚き、蔑視、無視のいずれか(笑)

でも中には、しかたがないなとばかりに、ブツブツ言いながら、奥の鍵の掛かった陳列棚に誘導されることもあります。

全てではありませんが、ゼロが余分2,3個か、それ以上付いた贋作が余りにも多く、闇夜の世界が垣間見えます。

魯山人になりきれずに、生活苦にあえぐ多くの陶工、そして骨董屋達です。

それやこれや、作品も含めて、魯山人の多岐にわたる評価は、面白いですね。

たとえば星岡茶寮での悪行如きも、5回の結婚、5回の離婚等々も、魯山人ゆえの事なのかも。

紅志野、黒織部等、愚生には垂涎ものですが、近所に住んでほしくはないです(笑)。

余計な事ですが、現代人は魯山人の意に反して、その価値をお金でしか表わすことができませんね。

また批評は簡単ですが魯山人没後、それを越える審美眼、創作術を持った人物は日本に現れたのでしょうか。

魯山人の隠れファンの一人としても、ちょっと書き過ぎ、誤字脱痔の乱文を大変失礼いたしました。

投稿: 3 | 2016年1月26日 (火) 01:14

与作さん、こんにちは

毀誉褒貶のはるか外に立っていた人ですね。
毀貶を自身じゅうじゅう知っている。
誉褒もまた知っている。
人間国宝推挙を蹴ってもいます。

> 余計な事ですが、現代人は魯山人の意に反して、
> その価値をお金でしか表わすことができませんね。

魯山人が相手にしない人ですね。
芸術・芸道・趣味・食事等々、美の評価を金額で表さなかった人です。
魯山人以降、魯山人を越える人はなかなか出てこないでしょう。
魯山人を育てるパトロンとなりうる資産を持つ人は随分いそうですが、皆忙し過ぎます。

今朝は志野でお茶を・・・
じゃなくて、文字通りのメードインchinaのカップでコーヒー(^^;

投稿: KON-chan | 2016年1月26日 (火) 07:08

読み返せば、紳士で、真摯な、しかも抑制の効いた貴ブログの美文に対して、愚生の偏狭なる私見の数々を書き過ぎ、大変失礼いたしました。

なにとぞ、本文も含めて削除願います。

魯山人のモノをお持ちでしたなら、さりげなくアップしてください、楽しみにしております。

三島にかぎらず、公房にかぎらず、魯山人に・・・・深くて

投稿: 9 | 2016年1月28日 (木) 23:03

削除なんて、何をおっしゃる。

私はただの釣りバカ。
抑制なんか全然していませんが、サカナの方が私を抑制します。
掛かりません(^^;

知ったかぶりを書いているだけで、私、ホント、ナンにも知りません。
でありながら、あまり教えてもらうのも・・・
知ると、知ったなりにしなけりゃなりませんから(^^;

投稿: KON-chan | 2016年1月29日 (金) 07:01

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