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2015年12月20日 (日)

『殺し文句の研究』を読む

阿刀田高の短編集。
彼の作品はショートショートと呼ばれ、どれもごく短い。(注)

 

Book_3こんな喫茶店で、読み始め。

考えて作品のアイディアを出すという。

将棋盤に向かって、「ああくる、こう受ける・・・」のような頭の使い方とは違う。
財布が見つからない、「あそこを通って、あのあたりでポケットから手袋を出した。 あそこで落としたか・・・」のような頭の使い方とも違う。
魚が掛からない、「いないのか、腹が減ってないのか、水温が高過ぎるのか・・・」のような頭の使い方とも違う。

これらは、シミュレーション、あるいは記憶の呼び出しで、彼がショートショートのアイディアを生む過程とは違う。
同じような頭の回路を、4コマ漫画家なら持っているかもしれない。

観察・会話はアイディアが生まれるきっかけとなるようだが、定まったテーマを意識して何かを見たり・聞いたりということはないようだ。
考えて創作・創造の核を浮かばせる、そのように頭を使える人がいるというわけだ。

私ごときが言っては僭越が過ぎるが、大変に頭のいい人。
ストレートな頭の良さというのは、読む人の気持ちもストレートにしてくれるようだ。
本夕、読了。

(注)
日本でショートショートというと、まず初めに名前をあげられるのは星新一。
阿刀田高・星新一とも千編は書いているのでは。
私が触れたのは、その内のほんのわずか。
そのほんのわずか知った範囲内での印象を言うと、阿刀田高のものが星新一のものよりもかなり大人向けに感じる。
1編1編はショートショートとはいえ、何せ作品数が多いので、阿刀田高・星新一が出版した本は大変に多い。

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