『小説家のメニュー』を読む
音楽評論家には〝聴き屋〟を雇っている人がいるという。
コンサートやCDをその評論家に代わって聴き、その内容を雇い主の評論家に伝えるのが〝聴き屋〟の仕事。
阿刀田高はエッセーの中で、自ら〝読み屋〟を雇っていると書いている。
立花隆も〝読み屋〟を使っている。(注1)
彼の出版物の最後に掲げてある参考文献の数は、何人もの〝読み屋〟がいてこそ。
懸賞小説・懸賞論文などは、審査員のところに持ち込む前に、主催会社の多数の社員で読んで数を大きく絞り込むという。
これも〝読み屋〟と言っていいだろう。
津軽育ちの奥さんが津軽弁で書いた小説を東京言葉に直し、それを自作として発表していたのが創作者としての才能に乏しかった深田久弥。
こうなると、この奥さんは〝書き屋〟といったレベルのはるか上。
事実、のち、このことが世間に知れ渡ることになり、彼は盗作者として長いこと文壇に戻れないことになる。
ところで、〝食う話〟を文字にするのは、大変に難しい。
普段、ワンコインランチを食っているサラリーマンが、たまの旅先での あれ食った・これ飲んだ話なんかは、聞くほう読むほうの側にいてさえ赤面させる。
言うほう書くほうが素面でいられるのが、大いに不思議。
って、オレのことか(^^;
こんな喫茶店で読み始め。
小説家の書く〝食う話〟というのは、稿料稼ぎの余技だろう。
話を作り、言葉を操るのが本業なのだから、別に〝食い屋〟を雇わずとも、お茶の子さいさいで書けると思う。
〝聴き屋〟、〝読み屋〟は分るが、そもそも〝食い屋〟はありえないことでもあるし。
ましてや開高健。
使いこなせる日本語の単語数は、私の100倍や1000倍で きかないだろう。(引き合いに私を出すのもナンセンスだ)
それに加えて、筋金入りの美食家・健啖家。
彼の妻子も料理・飲み食い本を多数出すような、そんな環境で生活した人。
語学に堪能だった人で、各国語で本を読み、世界中を旅歩き、釣り歩き、食い歩いている。
そんな人が書く〝食う話〟だ・・・
・・・・・・
小説家なら、お茶の子さいさいで〝食う話〟を書けるだろうと上で書いた。
しかし、何ということ。
小説家でも〝食う話〟は書けないようだ。
書いてあるのは、遠い向こうにあって、一般の日本人にはなかなかアクセスできないものばかり。
ベトナムのネズミ料理、ストックホルムのアイスクリーム、ブリュッセルのチョコレート、ブラジルのパイナップル、アマゾン河口の島マラジョのアボガドスープ・・・
北海道に住む者に、長崎のクエ、京都の賀茂なすを語るようなもので、〝食う話〟にこういう類のものを取り上げるのはご法度、ズルイ。
遠い土地の食い物ではなく、ソバやカレーライスを題材にしたのなら、彼の筆力でも稿料を取れる文章は書けなかったと思う。
彼にして、〝食う話〟の表現は、
○我が舌を疑った
○言葉もない
○・・・・・・!!
○絶品である
ワンコインランチサラリーマンが使う表現と、何ら変わるところなし。
読んだのは、東京海上火災(現、東京海上日動火災)の保険代理店に向けた情報誌『ザ・ステイタス』に連載された12編を一書とした本。(注2)
本夕、読了。
(注1)
世に出るCD、現にたった今 公演されているコンサート、それらをあまねく聴くのは1日24時間の中では絶対に無理。
雇い主たる評論家の域にまで耳が熟してない者が聴いてダメ評価であれば、聴く価値がなかったのだから、その分は時間を経済できたことになる。
ということなのだろう。
〝読み屋〟の役目も同じ。
ヒトに聴いてもらっても、読んでもらっても、あるいは聴いても聴いていなくても、読んでも読んでいなくても評論はできるようだ。
以下はその例。
レコードの時代。
立派なオーディオルームとオーディオセットを持つ音楽評論家が亡くなった。
同業仲間が、そのステレオセットを見て驚いた。
アンプとスピーカーをつなぐケーブルが、R-L、L-Rと逆接続。
亡くなった評論家は、ずっと長いこと、左右逆にスピーカーをセッティングしていたことに気付いていなかった・・・
まァ、そんなもの。
あるいは、私の作り話かもしれない(^^;
(注2)
東京海上火災が東京海上日動火災となった今も、『ザ・ステイタス』が発刊されているのかどうかは不明。
読んだ本は、神田神保町で見つけた。
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