『戦艦大和の台所』を読む
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテイカラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ・・・
現代人の食生活に照らせば、玄米4合とは多い。
しかし、副食が〝味噌と少しの野菜〟となれば、玄米を4合食べたくらいでは栄養は満たされないだろう。
そのせいもあると思う。
賢治の生涯は短い。
37年。
帝国陸海軍の給食は、更に多い。
1日に白米6合。
のち、脚気(かっけ)対策のため麦の割合が増えたが、6合を給食することは変わらなかった。
映画『トラ・トラ・トラ』の次のシーンは、米国内上映版ではカットされているくらいで映画全体に全然馴染まないところ。
その馴染まなさが印象的で、私の記憶に残っている。
西から東へと日付変更線を越えた空母赤城の烹炊(ほうすい)室、小さなフライパンが見える。
そこで、板前帽の渥美清が卵を割るシーン。
同じ部屋の調理人は、いかりマークの艦内帽。
渥美清は南雲長官専属の民間調理人という役を演じているのだろう。
腕の立つ民間の調理人が、将官の座乗する艦に専属調理人として乗り組むことは珍しいことではなかったらしい。(注1)
帝国海軍の民間調理人への待遇は大変良かったようだ。
こんな喫茶店で読み始め。
著者は管理栄養士。
海上自衛隊では、護衛艦補給長、幕僚監部衣糧班長など兵站にたずさわった人。
退役時、一等海佐。
'39(昭和14)年の生れだから、もちろん帝国海軍での実経験はない。
大和に限らず、帝国降伏の際、あらゆる図面・書類が焼却処分されている。
軍艦内の生活施設のような、例えば烹炊室・トイレなどのような軍秘とも思えない資料でさえもほとんど残っていない。
実は、大和のトイレの数・配置なども分かっていない。
本書にも、かろうじて大和の烹炊室のごく簡単な平面図が1枚載せられているだけ。
表題は『戦艦大和の台所』なのだが、大和の台所に関する話はイントロにチョロっとあるのみ。
何も、大和乗組員だけがメシを食うわけではない。
潜水艦内でも、今日入営した新兵もさっそく今日の晩メシは食わねばならない。
だから、『戦艦大和の台所』とはあるが、『帝国海軍におけるメシの話』ということでいいのだろう。
船に乗っている限りは、メシが食えなくなるということはない。
1日6合が明日からは4合になる、ということも絶対にない。
戦闘中でも、2合で3つに握られた握り飯が竹皮で包まれて給食される。(注2)
1日の総熱量は3000から4000キロカロリー。
メシが食えなくなるのは、船を沈められた時。
戦死した時。
帝国海軍が模範としたのは、英国海軍。
食事も欧州に範を取っている。
カレーライス用のライスは、スープで炊く
チキンライスのライスはサフランで色付けする
ロールキャベツはかんぴょうで結ぶ
と、手が込んでいる。
大鍋で作る。
ある船の烹炊科員は、3日ごとに1人当直。
その1人当直の朝ごとに、大鍋で朝風呂を決め込んでいた烹炊員がいたようだ。
洋上では真水は貴重品。
入浴後の鍋の湯は、そのまま調理に使われた、と。
(注1)
原発から電子デバイスまで手掛ける大手電機メーカーの、今の話ではないのだが。
社長室にはタキシードのおさまったクローゼット。
社長室に隣接して、専用バス・トイレ・厨房。
専属コックが常駐、その待機室まであった。
帝国の将官も、これに似ている。
平時においてさえ、帝国の国家予算の30%以上は軍費。
その予算を使う組織の将官であるのだから、権威は絶大。
旗艦では将官の食事に合わせて、軍楽隊がBGMを奏でていた。
(注2)
陸軍は2合で〇型に2個握る。
海軍は2合で△型に3個握る。
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