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2015年5月18日 (月)

往時の表記は〝大佛鐵道〟

JR関西本線、主要駅の加茂駅と奈良駅。

ずっと以前のこと。
この2駅を始発・終着としてつないでいたのが、関西(かんせい)鉄道の大仏(だいぶつ)鉄道(線)。(注)
名前が示す通り、終着奈良駅のひとつ手前、東大寺の真西2キロほどのところに大仏駅が置いてあった。

1898年(明治31年)開通。
1907年(明治40年)には早くも廃線となったので、遺構は極めて少ない。
日本が自前で機関車を作れるようになったかどうかという頃の線。
なので、客車を牽引していたのは英国から輸入した蒸気機関車。

その廃線を歩く。

150518_2【画像:上】
大和川支流の佐保川。
ここに大仏線の鉄橋が渡っていた。
川底に、言われて初めて分る赤レンガ。
それが、その鉄橋の基礎石。
大仏線が通っていたことを示す小さな小さな遺構だ。

【画像:中】
基礎から大仏線敷設経路の方向が分かる。
それに従って歩を進めたい。
しかし、廃線後に相当規模の土地造成が入っているようで、鉄路ではあり得ない直角右左折を何回か行わないと歩みを進められない。
だから、大仏線そのものは10キロもなかったらしいが、今の町並みだと、加茂駅から奈良駅まで13キロくらい歩かねばならない。

手焼きせんべい店が。

【画像:下】
いくつか購入。
右下、『大仏鉄道 明治31年』と焼き込まれた手焼きせんべいを食う。

20633歩。
帰路は現役の関西本線で15分。

(注)
〝かんせい〟と読ませる資料と〝かんさい〟と読ませる資料があるが、〝かんせい〟が正用らしい。
のち、国有鉄道となる。
日本の鉄道史において有名な島安次郎の最初の就職先がここ。

大仏鉄道、往時の表記は〝大佛鐵道〟。

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コメント

高円寺でございます。
渋いところを散策されたようで。せんべい屋さんがこんな焼き型を作っておられるとは。
鉄橋の基礎が残っているのですね。

投稿: 高円寺 | 2015年5月19日 (火) 17:06

高円寺さん、こんにちは

このせんべい屋さん、店を開けるのが早くて私が通りかかった朝の7時ちょっと過ぎには、もう画像の様子。
せんべいの手焼きは結構あちらこちらで見ることができますが、鉄道がらみだと、ここのほかにも青森駅の駅舎内でやっているのを知っています。
ワッフルだとかドラ焼きだとかにも応用がきくし、テツのすし職人ならタマゴ焼きの焼印に使えそうなアイディアですね。
このせんべい職人の背中のほうに大仏駅があったことになりますが、遺構は皆無です。

【画像:上】は向かって右が北、左が南。
この佐保川の赤レンガの鉄橋基礎跡は、近年、人の手が入ったようにしか見えません。
左側のほうにも基礎跡らしきものが川底に見えます。
だとすると、それを結んだ線に鉄橋が架かっていたことになりますが、廃線から100年を経て街並みが当時とは随分と変わっていることを考慮しても、この基礎を結んだ線がかなり不自然でほんの少しの延長線上が住宅地。
三面護岸川なので川底もモルタルで固めているのだから、古い基礎を残すとしたら一方に手を入れ他方はそのままというのもおかしいのですが、何だかよく分かりません。
この基礎位置が当時のままだという前提に立てば、4本脚基礎の北西と南東の対角で残っているのではないかと思いますが、オリジナル位置がここではないという人もいるようです。
私もその考えが正しいように思います。
まァ、ああこう考えるようなこだわりが、私にあるわけではありません。
今は切り通しになっているトンネル跡とか、人用隧道上の軌道跡とか、歩いていると点々で経路を追え、これらの画像はネットで拾えます。
川底の基礎はネットでは拾えないようなのでブログの記事にしてみました。

〝渋い〟というほどのルートではありません。
今は全ルート、町の中です。
ママチャリでも所要1時間以内でたどれるでしょう。

投稿: KON-chan | 2015年5月19日 (火) 18:23

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