『もう道に迷わない』を読む
少年院をたった今出たばかりの少女。
晴れ渡った空をまぶしそうに見上げて更生を誓ってつぶやく言葉は、『もう道に迷わない』。
とは、違う(^^;
遭難に至る山での道迷いの実例とその対策が書かれているのが、『もう道に迷わない』。
ヤマケイ新書(山と渓谷社刊)。
こんな喫茶店で読み始め。
同時に購入した『山岳遭難の教訓』も、本書に引き続いて読んだ。
両書は著者こそ違うが、内容はいずれも山と渓谷社出版の『月刊誌 山と渓谷』と『隔月刊誌 ワンダーフォーゲル』に掲載した記事からチョイスし、それに筆を加えたもの。
地形図を示し、遭難に至る過程を時系列的に書く手法は両書とも同じ。
取材をベースにした記録・報告文だから、書き方も表現もよく似ている。
本夕、読了。
山での遭難の原因には、転倒・滑落による受傷やナダレに遭遇して行動不能となるということもあるが、圧倒的に多いのが〝道迷い〟。
本書内で紹介される遭難者は、地図・コンパスを持って山に入っている。
しかし、地図・コンパスを持ってはいても、その使用時期を誤ると何の役にも立たない。
コースを誤り、背丈を越える視界をさえぎるヤブに入ってしまったり、濃いガスに巻かれてから地図・コンパスを取り出しても、もはや自位置を知るのは大変に難しくなる。
越える必要ない尾根を越えてしまったことに気付かなかったりした時にも、地図上に自位置を求められなくなってしまうことがあるようだ。
そうなる前に、自位置を失わないようにしていなければならない。
しかし、それができない。
山を歩いていると、地図を広げる作業というのは平地で考えているほどそうしばしばやれるものではない。
初めての山だと、事前に地図を読みルート確認をしなければならない地点を頭に入れている。
その要確認の地点が、15分とか30分ごとといった短周期で現れるわけではない。
頭に入っている(つもりでいる)範囲は、まずは歩いてしまう。
でないと、リズム、気分が乱れてしまう。
たいがいは、「ン?」と感じた時点を随分過ぎてからの位置確認作業となる。
で、道迷いへと。
救助を必要とするような遭難に至るのは、延べで何万・何十万とある道迷いの内のほんのレアなケースなのだろうが、経験と準備が十分なパーティーを組んで歩いていても起こりうるもののようだ。
ガス・吹雪の中を歩くパーティーの後ろの者が脱落・道迷い、時には後ろにいるはずの者が知らぬ間に先行者を追い抜いてしまって道迷いということもある。
経験豊かなリーダー自身が道に迷うということもある。
遭難者に向かって、無知・無謀を言うのは簡単だ。
しかし、無知を自覚できる無知な者はソクラテスくらい。
無謀を自覚できる者も滅多にいない。
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