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2014年10月 9日 (木)

『神の子供たちはみな踊る』を読む

6つの短編小説が、おさめられている。
村上春樹著。

小説には、なかなか手が出ない。
これまでの人生で、何編の小説を読み通せただろう。
十指では足りないが、二十指では余るような気がする。
そのたった二十指で余る程度の数の小説なのに、頭に残っているものは何もない(^^;

『本(文学書)を読むことは美徳である。 美徳とまでは言わないにしても、少なくとも悪いことではない』というのが世の一般的な価値になっているように思われるが、ホントかなァ。
本を読む時間に、歩いたり・歌ったり・そして眠ったりするほうがずっと健全な時間の使い方じゃなかろうか、などと思ったり・・・

さて、村上春樹の小説を読むのは初めて。

Harukimurakamiこんな喫茶店で読み始め。

6編はそれぞれが独立した物語。
いずれも、初出は'99年。

そして、その6編いずれも'95年の阪神・淡路の大地震がちょっとからむ。

地震は、背景・伏線に重要な役割をになってはいなく、話の小さなきっかけ・アクセントとして、ちょっとからむだけ。
このちょっとのからみがないと話が成り立たないかというと、ンなことはない。
ンなことはないが、このちょっとのからみがやはり必要。

固有名詞が目立つ。
サントリーの角瓶、ホンダ・アコード、エロル・ガーナなどなど。

擬態語が目立つ。
すたすた、ぬめぬめ、ごそごそなどなど。

文章は短く語彙は平易。
ストーリーも複雑ではなく読みやすい。

1編目。
大した話ではない(と思う)。

2編目。
大した話ではない(と思う)。

・・・
・・・

6編目。
大した話ではない(と思う)。

6編どれも大した話ではない(と思う)が、読書を中断できない。
コーヒーのお代わりを頼み、こんな喫茶店で読み終わり。

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