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2013年3月16日 (土)

『開高健 夢駆ける草原』を読む

生年1930年、没年1989年。
享年58。
開高健の生涯は長くない。

彼の取材・釣行の相棒カメラマンだった秋元啓一は開高と同じ年の生まれだが、開高より更に若い48が享年。

秋元啓一亡き後、開高の釣行に同行したカメラマンは、開高より(ということは、秋元より)20歳ほど若い1949年生まれの高橋曻(のぼる)。
『オーパ!』シリーズは、高橋曻が撮ったもの。
その高橋は2007年、開高と同じ58歳で逝った。

Kaikoh高橋曻は開高をテーマとした写真本を何冊か出している。
亡くなる前年刊行の『開高健 夢駆ける草原』が最後の本。
写真家の本だ。
文字は少ない。
私向き(^o^)

本夕、読了。(注1)

〝草原〟とは、〝モンゴル〟のこと。

本の頭の40ページほどは、開高のモンゴル来訪時の主要同行メンバーの鼎談(ていだん)録。
話者は、元TV番組プロデューサーと元現地案内兼通訳と高橋曻。
三人とも若い頃から力のある人たちだったようで、その後、それぞれが、広告会社トップ・大学学長・スタジオとスタッフをかかえる写真家へとのぼっている。

そんな彼らと開高がモンゴルへ渡ったのは1986年。

イトウを釣るため。(注2)

すでに、『旅にも疲れた、読むことも、見ることも、聞くことも、食うことも、飲むことも、ぜんぶやってしまった。 もう充分ャ』との境地に達していた開高。

あご足付き。
また、自分のことを〝先生〟と呼ぶ上記三人の秘書・アテンダーの立場の者が帯同する釣り。
2ヶ月前に先行したロケハン隊が、ルアーでイトウを実釣済みでもある。

であれば、釣れないわけがない。

『もう充分ャ』という高みにいる人物が、こんな釣れるのが当たり前の釣行で、魚を掛けたところで何になろう?

などと考えるような私は、根が汚れて、しみったれで、いやしい(^^;

モンゴル滞在丸々1ヶ月。
高橋カメラマンのほかにTV・CMのムービーカメラマンも彼のフィッシュ・オンを待ち構えているのに、開高の投げるルアーにイトウは掛からない。
今日で出竿は終わりという日。
ハリウッド映画のラストシーンさながら、ギリのギリのギリギリでイトウが掛かる。
95センチ。(注3)

この瞬間まで、開高は何を考えてルアーをキャストしていたのだろう。(注4)

翌年、モンゴル国あげての行き届いた調査のもとで竿を出す。
イトウの、入れ食い。
120センチを掛けて納竿。

文中、地名がいくつか出てくる。
東北アジアの地図(注5)を脇に置いて読むと、旅情・釣情がわき立つ(だろう)。

『夢駆ける草原』の〝夢〟とは、〝チンギス・ハーンの墓所の発見〟。(注6)
竿を納めた開高が最後に見た夢だ。

(注1)
1986年とその翌年のイトウ釣行の件は、1989年発刊の『オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 国境の南』にまとめられている。
『夢駆ける草原』はその釣行を、20年たってから振り返ったもの。
ネタが同じだから、当然 内容はかぶる。
使い回されている写真も多い。
が、写される側だった人が書いた本と、写す側だった人が書いた本の違いの差は大きい。

『オーパ、オーパ!! 国境の南』では、モンゴル釣行は開高自身が企画したという意識にあふれているが、『夢駆ける草原』を読むと話は全然変わる。

そりゃァそうだ。
人の世。
文士に魚を釣らせることに、何の見返りも期待せずに誰が経費を負担しよう。
企画はTV局。

(注2)
当初は、開高に中国の川でイトウを釣らせるテレビ番組が企画されたが、中国の川でイトウを探すことは当時すでに難しかった。
それで、モンゴルでイトウを釣らせる番組に企画が練り直されている。

その企画に、オーパ!シリーズ出版元の集英社が乗っている。
高橋曻は集英社カメラマン。
サントリーがスポンサー。
ローヤルのCM録りがこの釣行で行われている。
開高はサントリー宣伝部出身。

宣伝とは魅せること、気が利いていること、強調すること、清潔であること、美しくあること。

どう撮られるべきかをよく知っている人間が、自らCMに出演するわけだ。(開高出演のサントリーCMはいくつかある)

開高が身につけたジャケットもネッカチーフも帽子も靴も魅せる特級品なのが、印刷からでも分かる。
スナップショットに見えるような写真でも、ローヤルのビンのラベルが必ずカメラのほうを向いている。

イトウ釣りは開高の息抜き。
だが、写す側も写される開高も生活と贅沢がかかっていた・・・。

(注3)
本の初めのほうでは元TV番組プロデューサー氏が92センチと言っているのだが、本の終わりのほうの高橋カメラマンの文章では95センチと書かれていて混乱がある。
実は、掛けた開高自身さえ、『オーパ、オーパ!! 国境の南』で
93センチと書いたり95センチと書いたりしている。
「釣った魚の話をする時は、両手を縛っておけ」をまさに地でいっている。
一番小さい数字、
92センチが真実なのかも知れない。

(注4)

こういう書き方は、釣りをする人には思わせぶりに、また生意気に聞こえる(^^;
文士だろうが、月給取りのサンデーアングラーだろうが、昨夜遅くまで仕事におわれていた人だろうが、明日も明後日も予定のない人だろうが、そして、最初の第1投目だろうが、その日の第200投目だろうが釣竿を持った人間の考えることは同じ。
『魚がいれば掛かる』
『魚がいなければ掛からない』
それ以外を考えることはない。

『掛からないのは、自分の仕掛けの前に魚がいない時』
もちろん、昨日の失敗のアレコレ、明日の成功のためのアレコレを考えたりはしない。

(注5)
ウランバートルとカラコルム以外のモンゴルの地名を知っている人は少ない(と思う)。
かなり詳しい地図がないと、開高らの旅跡をたどるのは難しい。

魚釣りをするモンゴル人は少ないし、モンゴル人は魚を食べないそうだ。
そのモンゴルで、今はイトウが釣れなくなっていると。
開高のイトウの釣果の放送・出版も、原因のひとつだろう。
いや、100ある原因の内の100全てかも知れない。

上でも書いた。
釣竿を持った人間の考えることは、『魚がいれば掛かる』。
そして釣師は、魚がいると知ればそこに出向いて竿を出すものだ。
魚がいると知れば・・・(^^;

(注6)
『オーパ、オーパ!! 国境の南』での開高の表記は、〝ジンギス汗〟。
’06年文科省検定済の『詳説 世界史(山川出版)』における表記は、〝チンギス=ハン(Chinggis Khan)〟
ウランバートルの国際空港に掲げられている英語のサインの表記は、〝Chinggis Khaan International Airport〟。

カタカナ表記だと、〝チンギス・カーン〟が一番近い(ように思う)。
(本記事では『夢駆ける草原』中の表記〝チンギス・ハーンに従うことにする)

モンゴル帝国の立国は13世紀に入ってから。
歴史上最大面積と最多人数を支配した大帝国だったが、100年持たずに支配圏が縮小してゆく。
大帝国立国の祖チンギス・ハーンはその死を秘匿することを遺言した。
棺を運ぶ様子を見た者は殺され、埋葬地の上には千頭の馬を走らせて埋葬の痕跡を隠したと伝えられている。

現在のモンゴル国は日本の4倍ほどの国土をロシアと中国に囲まれてある。
人口300万弱。
近代史の中ではソ連邦からも中国からも併合を狙われた歴史を持ち、今現在は中・韓の進出が目立つ。

ところで、〝チンギス・ハーンの墓所〟は、今に至るも発見されていない。
〝夢〟のまま・・・

長い話だった。
本日、シケ(^^;
明日もシケ(^^;

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コメント

釣りテクニック、ワイン、オンナ、理想、現実などを唯物、形而上的にどんどんとぶった切って丸裸にして、再構築して、また教えてください。

と、ここまで書いたところで、抑制のきいた文、行間にある通りk/cha様にはかなりの部分お見通しですね。

投稿: 9 | 2013年3月20日 (水) 09:15

与作さん、こんにちは

まァ、そう買い被られても。
私は無知の徒。
だから、何かを見通せるわけもありませぬ(^^;

抑制なら知性の活動。

私の場合は眠気ゆえです(^^;
鼻詰まりのせいではなく、眠気で頭がポワァーンとしているので口を半開きにして生きております。
その精気の無さが、抑制に見えたのかも(^^;

投稿: KON-chan | 2013年3月20日 (水) 16:18

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