釣道を歩まず(^^;
昨年の今頃、本ブログに『江戸の釣りと我が釣り』とする記事を掲載した。
それには、
釣りは武道の心得に通じる心身鍛錬の技としてあった。
と書いた。
で、
釣りは、心身の‘身’の鍛錬には悪くはなさそうだが、‘心’の鍛錬になるようなものではないだろう。
と、結論付けた。
釣りとはそういったもの、レクリエーション・レジャーだろうという気分からだった。
【画像】
年に400本を超えるペースで竿を作った人がいるのを知った。
竿を作ることを生業としていた人だったのかどうかは知らない。
そうであったとしてもこの数は凄い。
画像の竿がその一部。
船竿だが、中央の1本は手ばね竿。
他はリールシートの付いた現代的なタイプ。
’57年(昭和32年)から’81年(昭和56年)の24年間で作った数は1万本。
作ったのは加賀保氏、室蘭の人。
釣道七段(注)、’82年(昭和57年)没。
竿銘は『むろらん竿』。
(注)
釣道という『道』があるのを初めて知った。
そういう『道』にいたがゆえの1万本なのだろう。
釣師(私)が竿を握っている時の心情というのは、かなり下品なもの。
まァしかし下品と言っても、レクリエーション・レジャーの範囲内のこと。
『釣道』という『道』があったとしても、私のような者が歩む『道』ではなかろう(^^;
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