江戸の釣りと我が釣り
本夕、『江戸の釣り』読了。
この本によれば、わが国においてレジャーとしての釣りが文書となって残っているのは、アイザック・ウォルトンが『釣魚大全』を初出版したのと同じ頃で17世紀のもの。(注1)
当時、レジャーとしての釣りをやれたのは武士層だけで、彼らは農工商に範を垂れなければならない立場の者たちだから、遊びで釣りをやるというわけにはいかなかったようだ。(注2)
なわけで、釣りは武道の心得に通じる心身鍛錬の技としてあった。
都合のいい、言い訳に決まってる(^^;
日本人は“刀を構える”・“矢を射る”、更には“自害(切腹)する”という武士としてのたしなみどころか、“茶の一服”・“火消し”・“ヤクザの仁義切り”にさえ「型」を求め、「道」・「家」・「流」などの格を磨く民族だ(った)。
“武道の心得に通じる釣り”なんていうのも、そういったノリだったのかもしれない。
現在のヘラブナ釣師やフライフィッシャーには、上で書いたような「ノリ」が見られ、ちょっと憧れをおぼえるファッション(文化・様式)性を私は感じる。
それはそれとして。
釣りは、心身の‘身’の鍛錬には悪くはなさそうだが、‘心’の鍛錬になるようなものではないだろう。
だから、当然の成り行きで、釣りの世界には千家も小笠原流も生まれることはなかった。
もちろん私の釣りも、型なし・道なし・家なし・流なし。
釣ってりゃ楽しい、釣れればなお楽しい、という以上のものではない。
我が型なし・道なし・家なし・流なしの釣りワザで、デカイのを掛けたいものだが・・・
明日からシケるようだ。
(注1)
日本における釣りの歴史的証拠は縄文時代にまでさかのぼれる。
(青森市にある縄文時代の遺跡、三内丸山遺跡を見学した際に、動物の骨で作られた釣り針の展示を見たことがある)
しかしながら、縄文人がレジャーとして釣りをやっていたとは考え難い。
また、海彦・山彦神話や恵比寿は文書に残っているし、時代も17世紀よりはるか前までさかのぼれるが、いずれも神様。
やはりレジャーとしての釣りとは言えないだろう。
(注2)
「金さえあれば」というのは一面、いや、一面どころか万面以上の真理。
金を持った者は〝士〟でなくとも遊びとしての釣りをやれていた。
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