釣師の経済学 序論にして最終章(^^;
市場経済が成功した経済システムなのか、将来も継続するシステムなのかは知らない。
だが、このシステム内で使う『モノの価値』を表現する単位のデキの良さは、大方の認めるところだと思う。
単位とは、金額のこと。
釣果を前にしてしばしば言う。
「店で買った方が安い」
これは明らかに『モノの価値』を表現している。
で、次の休日、貧果が予想され「店で買った方が安い」ことが分かっているにもかかわらず、再び、三度(みたび)、どころか六度(むたび)、七度(ななたび)と竿をかついで出かける。
そしてまた言う。
「店で買った方が安い」
釣師が言う『モノの価値』を表す「店で買った方が安い」は、うしろに必ず「でも(しかし・だけど)」が付く。
「店で買った方が安い。でも、釣れないのが分かっていても竿を出したい」、と。
釣りが生活感覚の経済学と違うのは、求めるものが『モノの価値』とリンクしていないこと。
金銭意識から遠いところにあるのが釣りの経済学。
釣りは『欲求の強さ』、これがほとんど全て。
(釣りだけじゃなく、趣味・嗜好の価値は個人の『欲求の強さ』がすべてだろうけど)
釣りたいから釣るのであって、高い安い(市場で言う高級魚・雑魚)とは無関係。
リリースの釣りもあるし、船頭・ガイドのように人に釣ってもらう釣りもある。
【画像:上】
雨。
秋が里まで降りてきた。
「店で買った方が安い」ことと関係がないところにいるからといって、釣師が純で無垢で素朴で清廉なわけでは決してない。
その実(じつ)、釣師とはかなり心根が汚い人種だ(^^;
例えば、釣場の情報を得るためのやり取り(^^;
場が荒れる(荒らされる)からとか、何人も竿を出せるほどのキャパがないからとかという理由のもと、問われた方は答えないことが多い。
確かにその通りで、それが真っ当、そうしなければたちまち場は枯れる。
だが、尋ねる側とは裏腹の、答える側に立った時のまァ何というシミッタレ具合(^^;
我(われ)のみが正義のひとりよがり(^^;;
釣師の経済学はシミッタレの経済学である(^^;;;
【画像:下】
右が三番粉(さんばんこ:ソバの実の一番外側部分。表層粉)。
左は挽きぐるみ(ひきぐるみ:殻を除いて製粉。製粉後のふるい分けをしない全層粉)。
頭の中と同じ、舌もいかれてる。
釣師は、二つの粉の味を区別できない(^^;
コメント
船長、こんばんわ。
>シミッタレ具合(^^;
恐れ入りました^^
ご指摘の通りですw
まぁでも、でもですよ、シミッタレにも一分の理。
『我が釣』『我が場』
これは承認したいところデスね。
要は周囲の認知と日頃の行いとでも申しましょうか^^;
(自己満足の極みですがw)
この絶妙のバランスは私にも測りかねますが、
何ともこんな感じでご容赦願いますでしょうか?
さて、船長ご指摘の『下品』なサケもぼちぼち終わって
上品なサケの時期。
私も機会があれば『上品なる』一尾を求めたいところですが、如何せんドライブの一部が欠落w。
まぁ、、、「釣りたい」「上げたい」と思う心が『下品』の極みw
まぁいつも下品なUserです。
雨上がりまでは鳥でも見ておりますw
投稿: Ga | 2011年10月22日 (土) 20:44
Gaさん、こんにちは
雨ですねェ。
紅葉に似合う、いい雨です(ということしましょう)。
そう、この
>『我が釣』『我が場』
これが、釣れないンだなァ(^^;
私、負け惜しみでも何でもなく、全く素直な気持ちで言うのですが、この大して釣れないってのがそれほど悪い気分ではないです。
そしてまた、私、うぬぼれでも何でもなく、全く素直な気持ちで言うのですが、釣ろうと思えば釣れると思うンですよネ。
エンジン付きボート、魚探、刺さる針、切れないライン、よく曲がるロッド。
それらを持っているのだから、釣ろうと思えば釣れないはずがない(^o^)
釣師の経済学は圧倒的な強者の経済学でもあって、圧倒的強者は魚が釣れないことくらい何とも感じたりはしないワケで(^o^)
ドライブの部品待ちですか。
上品なサケの時期はアッと言う間です。
納品を急がせましょう。
投稿: KON-chan | 2011年10月22日 (土) 22:20