混乱と秩序
今次の、東北地方太平洋沖地震。
津波は風波に比べはるかに〝寄せては返す〟の周期が長い。
〝寄せては〟必ず〝返す〟のだが、その周期が長いため、〝返す〟ことなく一方的・非可逆的に水位が上がっていくように見える。
我が家から南東まっすぐ300m強でJR室蘭本線。
そのレール天は海抜(標高)5m。 並走して国道36号。
その更に南東200mで、北海道太平洋沿岸西部と呼ばれる海岸線。
三陸海岸と違って、波の集中・回折のない緩やかな線で形成される北海道太平洋沿岸西部ではあるが、我が家の建つ位置で海抜6m。
三陸沿岸クラスの津波がきたら、我が町内の全家屋は流されるか圧流で砕けるかだろう。
一昔半前のこと。
'95年1月17日、某重厚長大会社の東京本社の担当者との電話。
『神戸からは連絡がないので、予定通りに準備を進めて下さい』
それから数日して、その某重厚長大会社の神戸事業所の担当者から、
『仕事を進めますので、打ち合せに来て下さい。 宅配便はまだ機能していませんので、資料は持参して下さい。 断水中なので社員食堂は使えません。 弁当を持参して来て下さい』
神戸へ呼ぶほうも呼ぶほう、呼ばれて神戸へ行ったほうも行ったほうだが、呼ぶほうも呼ばれるほうも、期限を切られた仕事を受けている立場で、工程を遅らせるわけにはいかなかったのだ。
人間は混乱の中に、1時間だって過ごしてはいられない動物だ。
おそらく、地震発生の一瞬の後から、混乱を収拾する方向に全てが動き出したはずだ。
〝この混乱によくぞ〟という頭の使い方をした人がいた。
〝この混乱に乗じて〟という頭の使い方をした人もいた。
もちろん、〝混乱のため何も考えられない〟という人も多くいた。
神戸は瓦礫の中にあったが、すでに秩序を取り戻していた。
市内全域で停電していること、交通が徹底的に規制されていることで、動いているものはほとんど見えず、町なかは妙な静かさ。
学校のグラウンドにはテント村ができていて、そのテントが整然と並んでいる。
これも秩序と言えるだろう。
倒壊したビル、焼失した家屋、脚の折れた高架道路、それらひとつひとつの撤去と再建は、それに取りかかれば1、2年もあれば可能だろう。
が、それらはひとつふたつという数ではないのだ。
百、2百という数でもない。
桁が2つも3つも多いのだ。
あれもこれも、あっちもこっちもパラレルに仕事を進めなければならない。
起案する人・実行する人の手は足りるのだろうか?
私が考えたのは、そんなことだけだった。
一昨日の東北の地震。
多重の安全・保安・非常設備で守られた原発で、その安全・保安・非常設備が機能しなかった。
技術者を縛るのは、自然法則と費用と時間のみ。
要求される仕様が自然法則を越えない限り、費用と時間に枠をはめなければ、彼らは設計の前提を必ずクリアしてモノを仕上げる(はずだ)。
秩序の中で設計されていたはず。
抜けていたのは何だったのか?
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コメント
こっちも揺れました。電車が止まったのが厳しかったです。私のところは歩いても2時間くらいだけれどもね。
歩くしかないから歩きましたよ。
世界中からレスキューがやってくるこれど、震災というより水害だから・・・
いつか言ってましたね、神戸のこと。
投稿: coo | 2011年3月13日 (日) 20:07
cooさん、こんにちは。
私は車で移動中でした。
国会中継中でしたが、『ピンポンピンポン緊急地震速報です。強い揺れに警戒して下さい』
4時間も5時間も歩いた人もいたようですが、それどころじゃないお気の毒なかたが大勢います。
私たちは単に運が良かっただけに過ぎないのかもしれません。
投稿: KON-chan | 2011年3月13日 (日) 23:22