21世紀の秋 Ⅱ
肺結核だった叔母は、結核病院(サナトリウム)に長いこと入院し、そこで最期を迎えた。
私が小学校にあがるもっと前のこと。
この叔母の記憶はほんのわずかしか残っていない。
長じてから見た何枚かの写真。
療養中の叔母や、その叔母と並んで写っている幼児だった私の写真。
モノクロームのそれらの写真の印象が幼い頃からの記憶と綯(な)い交(ま)ぜになり、どこまでが幼い頃から持っていた記憶なのか、写真を見たことで作り出された記憶なのか、自分にも分からない。
動きのある記憶はない。
音のある記憶もない。
病床にあって収入のない叔母は、幼い私に与える菓子の準備ができなかったのだろう。
叔母がオンコ(イチイ)の実を採り、私の口に入れた。
味の記憶はない。
モノクロームの切れ切れの記憶の中に、オンコの実の赤だけが浮き上がってくる。
私の記憶にある一番最初の秋の色だ。
劣化しないデジタル画像色を、生まれた時から持つ新しい世代。
今が昔となる何十年か後。
彼らが秋を想う色はいったいどんな色なのだろうか。
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コメント
〔本記事への追記〕
いま調べてみると、サナトリウムへの往復には丸々1日掛かる距離があって、バス・国鉄・バスと乗り継いで行ったのだと思いますが、その道中の記憶はありません。
私がサナトリウム内に入れたということは、BCG陽転していたからなのですが、それでも叔母は私に結核菌がうつることを恐れたのだと思います。
彼女はオンコの実を摘む前に、手を消毒したのでしょう。
クレゾールのにおいを覚えています。
投稿: KON-chan | 2010年10月16日 (土) 15:04
「21世紀の秋 Ⅱ」
生意気な言い方ですが、名文だと感じました。
今の中学生に問うとどんな答えが返ってくるのでしょう。
鮮明な記録として残る”記憶”にも、
ぼやけていても確かな(不確かな)記憶として、
時々揺り戻される”思い出”も、どちらも大切に
したいと思いました。
ただ、最近のデジタルデータの進歩。その時の臨場感までが蘇って、かえって辛くなるときもあります。
「忘れる」事も人の能力なのでしょうね。
この先は益々フルカラー。色を答えられるのだろうか。
投稿: GA | 2010年10月16日 (土) 18:13
GAさん、こんにちは。
釣りも鳥見も好成果のご様子、何よりです。
私の書くのは迷文、戯言、口から出任せ、思い付きです。
なので、そう改まったコメントを付けられると、私の頭では処理しきれません(^^;
我が家では、アルバム台紙に写真を整理するということが無くなりました。
段ボール箱いっぱいのビデオテープと、これまたダンボール箱いっぱいある現像したフィルムとベタ焼き印画紙は再び誰かに見られることもなく、その内、『燃やせるごみ』となってクリンクルセンターの焼却炉行きでしょう。
情報が熱になる、記憶が霧散する。
エントロピー増大則そのものです(^^;
>「忘れる」事も人の能力なのでしょうね。
時間の経過に従い、新しい記憶も増えていくのでしょうが、私の場合はちょっと前の記憶がどんどんこぼれ落ちていくような気がします。
私はそんな年齢になりました。
中也の言葉に慰められております(^^;
忘れよ! 忘れよ! 自展的観念が誘起する記憶以外の記憶は、たゞ雑念に過ぎないものだ。
投稿: KON-chan | 2010年10月16日 (土) 20:09