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2010年6月 1日 (火)

直方市石炭記念館

石炭から石油へのエネルギー革命が起こる1960年代以前は、採炭量日本一の炭田はいつも筑豊だった。(60年代以降は石狩炭田が筑豊を上回るようになる。 もっとも、石炭産業が衰退してゆく頃の話で、その中で相対的に多い少ないと言っているだけなのだが。 なお、世界的に見れば石炭産業は斜陽・衰退産業などではなく採掘量は増加一方、日本においても消費量は増えている。)

石炭産業の盛衰に合わせて、町に灯がともり、町の灯が消えた。
その盛衰自体が歴史だし、その繁栄と衰退の振幅の大きさの劇的さもあった。
日本の近代化・工業国化に大きく貢献したという実績とそれへの誇りもあってのことだろう、かつて炭鉱を有していた町にはたいてい石炭記念館・歴史館と呼ばれるような施設がある。
夕張市の石炭の歴史村は、その最大規模の施設だろう。
夕張の歴史村に比べれば規模こそ比較にならないが、今日 訪れた直方(のおがた)市にも石炭記念館があった。
で、入館。
入館料、何と100円。

筑豊では、15世紀にはすでに採炭が始まって製塩(海水を煮詰める)等に使っていたというが、盛期は明治になってから。
筑豊最後の炭鉱の閉山が’76年(昭和51年)。
その間、100年。
筑豊炭田100年の、その総採炭量は8億トン。
現在の日本なら4年、中国なら3ヶ月で使い切ってしまう量である。

100601_3

【画像:上】
石炭記念館裏手高台より。
中央二階建て建屋が石炭記念館本館。
1910年(明治43年)落成の筑豊石炭鉱業組合直方会議所が出自。
延べ床面積90坪ほどの小さな建物だが、内部装飾は凝っていて石炭産業がきらめいていた時代をうかがうことができる。

タイミングが良く他に入館者はおらず、館長自ら施設をご案内してくれました。
どうもありがとうございました。

カマボコ状に延びるのは救護訓練坑道。

【画像:下】
目を右に見下ろすと、筑豊本線。
左奥に進むと直方駅。
直方駅は、筑豊炭田で採掘された石炭の集貨・輸送の拠点駅で、その機能は石狩炭田における岩見沢駅に似ている。

画像奥手に遠賀(おんが)川。
石炭は、この川を利用しても輸送された。
鮭が遡上する九州唯一の川である。

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