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2009年12月13日 (日)

『釣魚大全』を読む

091213 アイザック・ウォルトン(注1)が著した『釣魚大全(The Compleat Angler)』は、釣り本としては、世界で最も有名で、世界で最も売れている本だろう。
だけれど、〝現代の釣師の立場から言うならば〟この本は読む価値に乏しい。
何せ初版が1653年。
17世紀の英国の釣具・釣技に、21世紀の我々が参考にしうるものがあろうはずがない。(注2)

はずがない。
はずがない。
はずがない。

はずがないが、Amazon.co.jp(注3)から届いた『釣魚大全』を今夕読了。

はい。
とっても粋な本でした(^o^)

(注1)
Izaak Walton
英国の人
1593年生 - 1683年没

(注2)
特に淡水フライフィッシング(当書では〝蚊鉤釣り〟と表現している)を趣味とする粋な人になら、現代においても『釣魚大全』はお勧めできる(かも)。
ウォルトンの書いた魚の生態、あるいは釣法、それらの多くの部分は現代人の知識に照らすとかなりおかしい。
でも、『釣師の話』というものは、それを話す人にとってのみの真実で、聞く人はそれを真(ま)に受けぬもの。
それが古今変わらぬ『釣師の話』というものではなかろうか(^^;
背景はバロック時代。
気分を盛り上げるなら、冬の夜、スコッチをなめながらページを繰っていくという読み方だろう。

(注3)
釣りの世界においては、『釣魚大全』は古典中の古典だから、原書、和訳書とも複数社から出版されているが、大規模書店でも店内棚でこの本を見つけるのは難しい。(札幌の三省堂、丸善の店内検索システムの表示は、在庫無し)
で、Amazon.co.jpに発注。
角川選書版はⅠ部・Ⅱ部構成。
平凡社ライブラリー版はⅠ部・Ⅱ部・Ⅲ部構成で翻訳も新しいのだが、増刷が進んでないようで新刊書の入手はAmazonでもできず、購入は前者。
ところで、この『釣魚大全』でウォルトンが書いたのはⅠ部のみで、Ⅱ部(以降)の著者はウォルトンの弟子にあたる詩人のチャールズ・コットン(Charles Cotton)。
Ⅱ部の方がⅠ部よりはるかに技術的。
後(あと)出しが前(まえ)出しに秀でるのは、当然。

もちろん、優等は前出しの人。

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コメント

ご無沙汰です。

訳者によってもかなり左右されますね。
その昔、立松和平訳の釣魚大全も読みましたがこちらは案の定、異臭が鼻に付いた記憶があります。
このアイザック・ウォルトン卿、to be quietを極めたのか、あきらめたのか、晩年はロンドンで釣り具屋さんだったと開高 健おじさんは申しておりましたね(笑)。

投稿: 与作 | 2009年12月14日 (月) 17:52

与作さん、こんにちは。

私には立松訳がお似合いだったかもしれません(^^;
私はカトリックの知識も、韻文を落ち着いて読みこなす(忍耐)力も持っていないので、森訳の釣魚大全を読み通すのは結構な力仕事でした。

開高健の『フィッシュ・オン』や『オーパー』は、彼がそうした釣り本を書く直前に『ベトナム戦記』や『サイゴンの十字架』のような過酷な経験をしたのだということ知りながらも力を抜いて読めたンですけどね。

(上を書いた翌朝になって気付きました。 17世紀の英国なら、カトリックではなく既に聖公会ですね。 だから上の文章はおかしいですが、無知者ゆえそのままにしておきます。 カトリックというところをキリスト教、あるいはバイブルと読みかえて下さい。)

投稿: KON-chan | 2009年12月14日 (月) 22:26

こんばんは
そうだったのですか、
開高 健もまた原著を意識しつつ、硬軟取り混ぜ文豪らしく「完本私の釣魚大全」のタイトルで出していましたがこちらは同様に力まず、楽しく読めた記憶があります。
アイザック・ウォルトン卿は主にイギリスの片田舎でゆるやかな小川に棲息するブラウンを毛鉤で釣って、難しい事を考えたんじゃなかったですかね。

なるほどですね、でも愚生にとってはカトリックもプロテスタントも聖公会もごちゃ混ぜでいいんです(笑)。

投稿: 与作 | 2009年12月15日 (火) 22:37

与作さん、こんにちは。

定年退職された仕事の先輩からいただいたのですが、『開高健のスコットランド釣紀行』というビデオを持っています。(TV放映されたものを録画したのものだと思います)
肥満体型で、ロッド操作もカッコ良くない。
大したことを書く人じゃァ無いだろう、と一方的に思ってましたが、どうして、彼、開高氏は大した人ですね。

ウォルトン氏ほどになれば、釣りの最中は入れ食い続きで難しい事を考えるヒマもないように思います(^^;
私のようにヘボだと、釣りの最中は難しいことを考える時間が十分にあります。
だけれども、難しいことを考え得る〝頭〟がありません(^^;

投稿: KON-chan | 2009年12月16日 (水) 08:19

再々、お邪魔します。

墓石にしゃべらせようか
三文詩人に称賛を受け
わたしゃやっぱり偉大な人物
     (釣魚大全/立松翻訳より無断引用)

キリスト各宗派を(時々'r'入り)アーメンの一言ですべて片付ける程度の愚生ゆえ、無知も甚だしいのですがウォルトン卿に宿る、一神教ゆえの毒々しさには眼をつぶっても、上記の3行は何故か、書き留めておりました。

開高 たけし氏は大した人とは行動と結果よりきっとその精神性に付いてだと思います。
2年前の愚ブログ、「今一度、開高 健論」で意味不明な事を書き連ねております。
もし、お時間が許されるのでしたなら笑って下さい。

http://yosaku-turinosekai.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_1766.html

投稿: 与作 | 2009年12月16日 (水) 18:54

与作さん、こんにちは。
開高談義ができること、うれしく思います。

>墓石にしゃべらせようか
>三文詩人に称賛を受け
>わたしゃやっぱり偉大な人物

森訳だと、

>手足を縛りて碑に語らしめよ
>三文詩人の三文(へぼ)詩のなかで
>われはひとり天下の偉人

となります。

さて、『今一度、開高 健論』を読ませていただきました。
ありがとうございます。
御説を理解できぬ莫迦者ゆえ、読ませてもらったことへの謝意しか述べられません。
ただ、私はいまだ、〝見事に氏の引っ掛け用の釣り針に喰い付き、ぬか喜びする事〟もできぬほどの小魚であるのは確かなようです。

『私の釣魚大全』も読んでます。
「チロルに近い高原の小川でカワマスを十一匹釣ること」の章の〝追記〟のページの端が折ってあります。
〝釣師には四階級あるという。最低は・・・〟というところを面白く感じたからです。(私はもちろん最低階級)
これを書いたあとですね、彼がスコットランドの貴族の領地の川で毛鉤釣りをするのは。

ベトナムで17/200を生きたウンのいい男も、スコットランドではボーズを喰らってます(^^;

投稿: KON-chan | 2009年12月16日 (水) 22:37

再々々、お邪魔します。

久しぶりに学生時代にもどった様な気持ちになります。
愚生、正しくぴったり、ミミズを手にした土ン百姓釣り師です。(爆笑)

英国北部のあそこは寒い所で、チェック模様の服装で釣りを楽しんでいる釣り師は実はほとんどおらず、しかも今では養殖魚がほとんどです。
アラスカ、ノースカナダそしてアリューシャン列島の何某島でのオヒョウ釣りも今では観光地化し、ハリバットも小型化していますが捌いてくれますし、レストランには山葵、醤油、ワインも完備されております、但し妖艶な女性はおりません、あしからず。(笑)

ヴェトナムはアメーバ赤痢が怖いので行きません。(爆笑)

早い、簡単という、このご時勢にもしも文豪が存命ならば、なにやら嘆き節が聞こえそうですね。

投稿: 与作 | 2009年12月16日 (水) 23:48

与作さん、こんにちは。

> 愚生、正しくぴったり、ミミズを手にした土ン百姓釣り師です。(爆笑)

私も同様、第四番目の釣り師階級です(大笑い)

> 早い、簡単という、このご時勢にもしも文豪が存命ならば、なにやら嘆き節が聞こえそうですね。

私が釣りを始めた時、開高氏は既に彼岸の人でした。
私が彼の文に触れたのはつい最近のことで、17/200を生き延びた彼が魚を追いかける様子を描いている『フィッシュ・オン』が最初でした。
彼岸で、彼、嘆いていますね、きっと。

私のように装置産業企業が建つ土地で製造現場に近い所にいると、ヴェトナムは既に、アジアの工場(中国が世界の工場と言われるのに呼応させて)で、かなり身近な存在です。
アメーバ赤痢には罹るかもしれません(^^;
が、アメーバ赤痢を治療するくらいの医療水準はとっくに獲得済みの国になっています(^o^)
安心してメコンで竿を出してください。

投稿: KON-chan | 2009年12月17日 (木) 08:21

再々々々、お邪魔します。

ヴェトナム料理は日本人の口にあいますね。

ご存知の事と思いますが、文豪の初期の著書に登場する釣り、ワインそして美女が次第に精神性の高い、時には東洋的感性を含んだ運筆に変わり、最後はジンギスカンの墓に執着しなければならなかったほど、文豪の内面は変化しております。

所詮、美女も突き詰めるとがい骨ですし、法隆寺の五重の塔も真ん中に継ぎはぎだらけの乾燥した、ぶっとい芯柱が突っ立っているだけで、要は目視できる所を装飾・・、それを各々の分野の人はやれ芸術だの、ナンタラだのとのたまっております。

スケソウダラの産卵前の美味しい身を食べた人と産卵後のパサパサした身を食べた人の評価の違いだけが議論される昨今の風潮、それも良いのでしょう。

コラ、与作、せっかく此岸にいるんだったら・・・・・と、文豪にいつも怒られている様な気がしてなりません。

投稿: 与作 | 2009年12月17日 (木) 22:03

与作さん、こんにちは。

見せてはならない顔がある、それは
 アレをしているときの顔
 クソをしているときの顔
 カネを勘定しているときの顔
だと、開高氏の前々年の芥川賞受賞者の周作氏が言ってます。
それに追加してもいいかもしれません、
 美女のX線顔写真(^^;

浮世絵にもあります、美女の亡骸が腐って骸骨になっていくのを表したものが。

今の時代にナポレオンが生まれてきても、英雄には育ち得ないでしょう。
時代というか環境というか教育というか、ヒトは思想も審美眼も、味覚や痛覚さえも、社会(とここでは仮に名付けます)によって決定付けられます。
それを運命とか宿命と言ったりもできるのでしょうが、まァ、私の場合は〝嗜好〟ですね(^^)
厚塗りの香水プンプンの〝美女〟が私の好みです(^^;

コラ、KON-chan、せっかく此岸にいるんだったら・・・・・と、私も怒られますね(^^;

投稿: KON-chan | 2009年12月18日 (金) 07:58

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