オイラの職場はソウハチ場
本日の日出は6時6分。
それに合わせて出航。
同乗者はshinyaさんとHiroshiさん。
地球岬をかわし、太陽をほぼ正面にして走り船団と会合。
一日中ナギで、性格どおりに控えめな釣りをしていた(^^;私でも11時頃には3桁超え。
ひたすら釣っていたshinyaさんとHiroshiさんの最終釣果はどれほどになったのか。
2人で400くらいはあげたのでは。
KON-chan家では先日のストックもあるし、この先の水揚げもあるだろうことから、全数クール宅急便で札幌の親戚へ。
15時からの会議に6分遅れて滑り込み。
が、遅れたその6分間で主要な報告は終わったようで、参加者にあれこれ聞き取りして本社にメール。
本社のS氏、大したもんだ、今日も出社して報告を待っていたようで、『オ~、仕事やってんじゃん』とのReメール。
ウン、確かにオイラ、海上で労働していた(^^;
コメント
こんばんは
ソウハチ釣りにご案内頂き有り難うございました。
12時間後に消えるという戯言拝見。
>>淡水で1尾掛ける困難さを克服した時の幸福感をより大きなものにするための布石の言葉であるということを私は知っている
いや、少なくとも私はそういう布石はありませんよ(^^;。僕の忙しいという基準は休養日である休日に釣りへ行ったら仕事に影響があるだろうなという身体の疲れを感じている時です。そういう基準なので、本当に忙しいのか僕の体力が無いだけなのか端からみると判断出来る代物ではありません(笑)。
それと、淡水だから掛けるのが難しいというわけではないです。食い気のある魚がいれば、これまた一発で喰ってくるものです。
>>彼らは、いわゆる〝淡水マン〟とはどうもかなり違うらしい(^^;
ははは(笑)。でも、僕自身は素直な釣り師だと思っていますよ。トラウト系の釣りは確かに独特の雰囲気を持っているものですが、その独特のというのが曲者で、先に書かれていた様に人をスノップ化させる。それも、釣るという行為を文化的な何か特別な行為の様に語られる事も多いものです。僕自身もそういう面は確かに持ち合わせているのですが、所詮釣りなど、自覚はしていないかもしれませんけど生まれ持った狩猟本能をベースにした娯楽です。
どんな釣りをしていようが、釣っている本人が満足しているのであれば構わないというのも事実なんですが、偏狂的に一部の釣りをやっていたとしても僕は食べる魚を沢山釣るという釣りも楽しいと思います。それも到底自宅では処理できないくらい釣りまくるという下品な釣りをしてもですね。網走湖のワカサギなど数で言えば今日の10倍以上。どう考えても食べきれるわけがありません。
食べる分だけ頂くという知恵を持った人も確かにいるのですが、僕はそこまで悟りを開いてはおりませんし、年に何度かはそういう釣りを楽しむのも決して間違いではないと思います。
今日の入れ食い状態だった時にそういう人が来ると二回ほど竿をおろしたら定量。本当に「それで十分じゃ」という釣り人が居たとしたらある意味でその人は釣り師ではないでしょう。やはり釣りなんてモノは数が大きさを求める遊びなんですよ。
但し、坊主と一匹の間は∞と思えるようなギャップがあるのは事実です。坊主喰らいそうな状況の時に釣れた一匹は価値を感じます。でも、直ぐに一匹釣れちゃったら恐らく帰宅する頃に「納得できん。まだまだ釣りたい」と思うはずです。
何が言いたいのか訳の判らない文章になってしまいましたが、趣味・遊び・娯楽である釣りなんですからケースバイケースで何が楽しいのか違いがあっても構わないですし、それが当たり前だという事ですね。
ちなみに僕やShinyaさんは、どちらかというとコーヒーブレイクはあまりありません。他の仲間と同行したときにそういう時間を作ってもらって「う~む、こういう時間もいいのう」と感じるのですが自分だけで釣りをしているとひたすら魚を追ってます(笑)。
その意味では正統派の淡水マンとは違う人種かもしれませんねえ。
投稿: Hiroshi | 2006年3月 6日 (月) 00:46
事情を知らない人が読んだら、何に対するコメントだか分からなくなりますね。
この〝芸風〟、もっと練ってから使う必要がありそうです。
Hiroshiさんの言わんとするところ、御意。
投稿: KON-chan | 2006年3月 6日 (月) 06:44