『大名左遷』を読む
予備知識として、
改易(かいえき)とは、取りつぶし
転封(てんぽう)とは、国替え
のこと。
信長、秀吉と天下統一が進み、家康に至って安定した幕政体制が成立した。
その過程は、力によるもの。
ヤクザの縄張り争いと同じ。
こんな飯屋で読み始め。
江戸幕府は、〝末期(まつご)養子の禁〟で大名を縛った。
無嗣絶家(むしぜっけ:後継ぎの子供がいないこと)は改易される。
養子を幕府に届け出て、許可を得ておけば、改易を逃れることはできる。
が、藩主が危篤になってからのような養子、これが末期養子で、幕府はこれを認めない。
早々に養子を決めてしまうと、後で実子が生まれるとお家騒動となりかねず。
みたいなことがあって、幕府への後継ぎの届け出は、そのタイミングが難しかったようだ。
結果、浪人が増え、由比正雪の乱(慶安の変)を招いている。
姫路は西国の外様大名を監視する要衝。
その姫路城々主(姫路藩主)は、小寺氏・黒田氏、池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏と変わっている。
無能藩主や幼年藩主ではその任に堪えないと判断され、転封が続いたからで、姫路藩主と他藩々主が入れ替わる。
という単純なわけがなく、玉突き国替えが当たり前。
なので、特に理由なく、石高が減ったり増えたりすることがある。
左遷・栄転は運任せ。
本夕、読了。
もちろん、運任せが全てなわけがない。
藩政の失敗という実力不足。
世渡りベタ。
は、石高を減らされることに直結する。
どこかの石高が減れば、どこかにそれが配分される。
だいたいは幕府に取り上げられてチョンだが、思わぬ石高増加にあずかることもある。
栄転に運が大きく作用するのは、江戸も現代も同じ。
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