2021年12月
2021年12月31日 (金)
2021年12月30日 (木)
『本当にあったグロすぎる事件』を読む
グロ。
自分がそうなるのは、絶対イヤ。
だけれども、他人のグロは、見たい聞きたい(^^;
こんな喫茶店で、読み始め。
・人間を食らう猛獣たち
・世界を震撼させた連続殺人鬼たち
・銃社会が抱える漆黒の闇
・戦争の悲劇
・食人鬼たちが起こした事件
などに分類された、全部で44のグロ。
装丁からして、すでにグロ。
安っぽい紙質。
だから、本自体の重量は軽い。
それに伴い、筆致も軽い。
が、事実。
本夕、読了。
・幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれも
それぞれに不幸なものである
(トルストイ『アンナ・カレーニナ』)
・百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない
(ナチ親衛隊アイヒマン中佐)
・Kill Japs, Kill Japs, Kill more Japs.
(米海軍ウイリアム・ハルゼー大将)
ヒトは、
人の不幸は蜜の味
と感じる味覚を持つ動物のようだ。
2021年12月23日 (木)
船長、スイーツを作る(^^) 11
幾度か作ったスィートポテト。
今日は、その延長、応用を。
スィートポテトを作ること自体は難しくない。
が、スィートポテトをスィートポテトたらしめる舌ざわりに仕上げるには、裏ごしが欠かせない重要な作業。
繊維の多いサツマイモを相手にする この作業は結構な労働。
裏ごし作業を省略できるスィーツは、出来上がり品に滑らかさを要求されないもの。
たとえるなら、ガーナミルクチョコに対するクランキーチョコ。
で、リンゴ。
サツマイモには酸味がない。
なので、スィートポテトにリンゴを加えても悪くないだろうなァ、とは前から思っていた。
元々、サツマイモとリンゴは相性が良く、両者を炊き合わせたり、焼き合わせたりした箸休め料理やスィーツが従前よりある。
今回は、刻みリンゴを生地中に。
リンゴは一択。
酸味のある紅玉。
冒頭で、
幾度か作ったスィートポテト。
今日は、その延長、応用を。
と書いた。
サツマイモ2に対し、強力粉を1混ぜマフィン風にアレンジしたのが、スィートポテトからの延長、応用。
スィートポテト風マフィン ウイズ アップル
上に乗せたリンゴは飾り。
生地中に、細かく刻んだリンゴが練り込まれている。
オレンジピールやレモンピールを使うのもいいと思う。
さて、食うか(^^)
2021年12月22日 (水)
船長、スイーツを作る(^^) 10
カトリックは、待降節(たいこうせつ)を1年の始まりとする。
待降節とは、クリスマスイヴ前の4週間のこと。
ドイツでは、その頃、シュトレン(Stollen)と呼ぶパンを食べるのが慣わし。
パンだから、作るのは、日糧製パン、サンジェルマン、もりもと といったベーカリー。
だけれども、シュトレン、日本人の感覚だとスィーツ。
だから、六花亭、ROYCE'、わかさいもといった洋菓子店でも作る。
国際標準規格はISO。
が、現業の場でのデファクトスタンダードは以下。
米国国家規格:ANSI(アンシ)
英国規格:BS(ビーエス)
ドイツ工業規格:DIN(ディン)
ウソかホントか。
シュトレンもDINで規格化されているのだとか。
その規格とは、
小麦粉重量の、
30%相当以上のバター
60%相当以上のドライフルーツ
が、使用されていること
なお、マーガリンの使用は認めない
六花亭のシュトレンを入手。
その原材料を見ると、小麦粉・バターのほか、
レーズン
リンゴ
アーモンド
オレンジピール
レモンピール
等。
で、唐突に。
六花亭を越えるシュトレンを我が手で、と。
私は、六花亭のレシピに加えて、クルミとブルーベリーも。
ドライフルーツの表面にコーティングされているオイルを熱湯で洗い落とし、ラム酒に丸1週間漬ける。
オレンジピールとレモンピールは、室蘭市内のスーパーの製菓コーナーでは手に入らなかった。
よって、生オレンジと生レモンの皮を剥き、砂糖漬けしてハンドメード。
生地をこねるのは、それから。
出来上がりまでに、発酵工程が2回。
シュトレンは、常温でも半年くらいは もつ保存性優秀なスィーツ。
で、日の経過とともに変化する味を楽しむのだと。
上:六花亭のシュトレン(商品名はシュトーレン)
下:私の手による シュトレン
表面の白は粉砂糖を使ったが、生地に練り込んだ甘味はノンカロリーのラカントS(エリスリトール )。
と、カロリーの抑制には気をつかった。
とは言え、シュトレンに限らずスィーツを食べるということは、砂糖を舐めながらバターをかじるようなもの(^^;
では あるが・・・
さて、食うか(^^)
我がシュトレン、DINで定める
小麦粉重量の、
30%相当以上のバター
60%相当以上のドライフルーツ
が、使用されていること
なお、マーガリンの使用は認めない
を大きくクリア。
小麦粉の重量の、
バターが68%相当
ドライフルーツが92%相当
2021年12月17日 (金)
『お楽しみはこれもなのじゃ』を読む
内容は、 '76年から'79年の足掛け3年にわたって『月刊マンガ少年』に掲載されたもの。
'91年に単行本として発刊後、版を重ねず絶版。
'97年に文庫版として発刊後、版を重ねず絶版。
本書は、その追悼復刊。
著者の みなもと太郎 は、今年の8月逝去。
享年74。
こんな喫茶店で、読み始め。
著者は並外れた読書量・記憶力の持ち主。
また、鑑賞、批評を文字で表現する力も大変に高い。
年の離れた2人の姉がいるそうで、少女マンガの読書量も多い。
出てくるマンガ家は140人。
手塚治虫のように一人で10作以上取り上げられているマンガ家もいるので、紹介されるマンガは200を超える。
ゴルゴ13、ドラえもんなども話題にされるが、戦前の『のらくろ』も。
どころか、1921(大正10)年の、岡本一平の『人の一生』なんていうのまで。
マンガっ子、テレビっ子の代表みたいな私だが、本書内に書かれていることの、半分の半分のそのまた半分の更にその半分も既知なことはなかった。
高評価を得ている連載を持っていたのに、突然 ペンを置き、米国に移住したマンガ家
出産を機に専業主婦になったマンガ家
数年に1作しか作品を発表しない寡作なマンガ家
劇画の出現に納得できず創作を止めたマンガ家
等々。
本夕、読了。
ドレッドノート出現の前とあと。
世界の海軍が変わった。
ビートルズ出現の前とあと。
世界の音楽が変わった。
マンガの世界にもそれはあり、このマンガ家がいなければと思わせるマンガ家が幾人もいる。
いや、全てのマンガ家が、次に出るマンガ家に大きく影響している。
カールした明るい色の長い髪、大きく輝く目、長くて細い指の笹川華子は、月刊りぼんに連載されていた『早春物語』の登場人物。
作家は清原なつの。
本書の副題は、『漫画の名セリフ』。
『早春物語』で、マンガ家は笹川華子に言わせる。
何のために生きるか 課題が与えられていたら
あなたは その通りに生きるつもりなの?
2021年12月11日 (土)
という話を聞いたのは、帰港後
6時30、出航。
防波堤を出て左転舵。
日出は、6時54分。
その日出は雲の向こう。
短い時間の朝焼けののち、いつの間にか日が昇った。
あんなに濃かったベイトの反応は、ポツラポツラ。
そこへジグを放っても、竿は曲がらない。
サバは水温の高い海域へと移動したようだ。
沖根で出竿。
ウネリが強く、その上、思いのほか風も強い。
ポイントへワームをうまく届けられず。
不釣(^^;
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
あと10メートル深場に行けば、抱卵スケソの入れ食い海域。
という話を聞いたのは、帰港後。
底近くにサカナの反応を見付けたのは、11時過ぎ。
東からの風が西からの風へと変わる直前で、穏やかな海況となった。
が、西に変わった風が、大粒の雨を連れてきた。
正午、沖上がり。
2021年12月 9日 (木)
『歴史をかえた誤訳』を読む
夏目漱石の死去は、1916(大正5)年12月9日。
享年49。
だから、今日は漱石の106回忌にあたる。
英語教師として松山中学赴任時の漱石。
I love you.
を
我は君を愛す
と訳した学生に、
日本人はそんなことを言わない
月がきれいですね
と訳せ。
そう、教えたとか。
作り話だろう。
著者は、鳥飼玖美子。
著者は、序章で、
言語は文化であり、文化は言語である
文化に対する認識が欠けたまま言葉のみ訳そうとすると、
誤訳が起きる。
正確に訳そうとするならば、言語レベルを越えた文化の
理解が不可欠である。
と言う。
こんな喫茶店で、読み始め。
1945(昭和20)年7月26日の帝国へのポツダム宣言は、
我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、
またその行動について日本政府が十分に保障すること
を求める。
これ以外の選択肢は迅速かつ完全なる壊滅があるのみ
である。
これに対して、時の首相の鈴木貫太郎は〝黙殺する〟と発言。
その真意は〝静観したい〟。
だが、国内向けに弱気だととらえられないように〝黙殺する〟という言葉を選んだと伝えられる。
東京から連合国への打電は、〝ignore〟。
〝ignore〟は、〝無視する〟の意だが、連合国側は、〝ignore〟を、〝reject(拒否する)〟の意に解釈。
それゆえ、連合国は、宣言の最後のセンテンスの「迅速かつ完全なる壊滅」を実行。
それが、8月6日の原爆投下だったという説があるようだ。
〝ignore〟という英訳に深く関わった当事者は、のちに、
〝黙殺する〟を〝no comment〟と訳しておけば
と、述懐している。
本夕、読了。
粉末大豆とニガリ(凝固剤)が、レトルトカレーサイズの箱にパッケージされたハウス食品の「ほんとうふ」。
豆腐にするには、水を加えて煮立て、型に入れて固める。
長期保存ができて軽いので、山メシにするヒトもいる。
今は通販でしか手に入らない商品だが、かつては三遊亭圓生をイメージキャラクターとするTVコマーシャルが流されていた。
圓生の決め台詞は「バカうま」。
「バカうま」の〝バカ〟。
この〝バカ〟には、〝たいへんに〟とか〝えらく〟とか、北海道弁の〝なまら〟とか、現代的に〝チョー〟とか、英語で〝very〟の意味がある。
この意味で使う〝バカ〟は、〝アホ〟とか〝マヌケ〟には置き換えられない。
中国・韓国などでは、
「バカうま」
「バカに暑いな」
という言い方はしないほうが無難。
かの地では、日本人の口から発せられる〝バカ〟は、ほぼすべて、〝アホ〟、〝マヌケ〟の意味にとらえられ、思いがけない事態を招くことがある。
日本のある製造業者が中国に設立した工場。
ここの日本人管理者が、原因不明の設備不調に対し、中国人従業員を前にして、
「そんなバカな(ことがあるのだろうか)」
と、つぶやいたところ、侮辱されたと勘違いした中国人従業員らに、大規模なストライキをかけられた事例がある。
2021年12月 8日 (水)
いや、海況のせいではない
こんなことばかりしている、オイラはバカ(^^;
今日の日出は、6時52分。
6時30分、出航。
防波堤を出て、左転陀。
東の空が焼けた。
間もなく日が昇る。
そんな時間帯から、鳥たちがKON-chan号のやや右手沖へと向かう。
我が艇、それを追わず、沖根で船をとめた。
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
タグに曳かれて、作業船が南下してゆく。
ウネリがあり、その頭も尖っていて、底のサカナを掛けるには不都合な海況。
いや、海況のせいではない。
根にかぶっているイワシを飽食しているのか、そもそもサカナがいないのか。
竿はなかなか曲がらない。
正午半、沖上がり。
クロソイとマゾイが掛かった。
6尾掛かったスケソはリリース。
今日の出竿海域の深さだと、目を飛び出してあがってくるガヤは、リリースが難しい。
画像の外に、幼児虐待サイズ多数(^^;
2021年12月 7日 (火)
方向が定まろうが迷おうが、関係なし
こんなことばかりやっていて、いいのだろうか。
いいはずない。
いいはずないが、9時20分、出航。
港を出ると、間もなく騒ぐトリ。
アッチにもコッチにも。
カメラはオートフォーカスモード。
それが、どこに焦点を合わせていいのか迷い、ピンボケ量産。
私も方向が定まらず、アッチでもコッチでもジグを放る。
方向が定まろうが迷おうが、関係なし。
どこに放っても、サバの入れ食い。
良カタ。
今日は、しかし、全てリリース。
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
沖根。
雲底200メートルくらいの低い雲で日射しがさえぎられる。
日はないが、風もなく、釣りには好都合。
根の上にはベイトがキッシリ。
昨日より、それが増えているような気がする。
そのベイトの反応の下へとワームを沈めるが、沈降途中で糸がふける。
やはり、サバ。
これもまた良カタだが、リリース。
やっと着底したワームに掛かるのは、ガヤとスケソウ。
リリース。
2021年12月 6日 (月)
サケの姿を見ることはかなわず(^^;
穏やかに経過する予報。
タイミング良く、あれこれあって私は公休。
マリーナの開業時刻に合わせ、9時、出航。
この秋のサケは諦めた。
諦めた。
諦めたが、サケの跳ねを探しながらの航海しばし。
結局、サケの姿を見ることはかなわず(^^;
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
騒ぐトリの真下は根。
底が見えないほど、ギッシリとベイトの反応。
インチクを落とすと、着底のはるか以前に糸の出が止まる。
サバ。
何度やってもサバ。
サバのカタは悪くない。
が、根からの魚信が欲しい。
インチクのようなユラユラ系の仕掛けでは、根までフックを届けることができない。
で、150号のオモリを使って、ミノーを急速沈降させる。
良カタのガヤが続けて掛かる。
ガヤのリリースを7尾か8尾の、そのあと。
いいカタのソイが掛かった(^^)
2021年12月 5日 (日)
2021年12月 4日 (土)
冬山を歩く 2
北西風強く、我が小船では沖に出られない。
山へ。
登り:西尾根コース
下り:水元沢コース
山を大きく時計回りに。
西尾根825メートルピークにて。
ここまでの間、わずかな量だが、硬い雪が左から吹き付ける。
室蘭岳山頂にて。
時間の経過とともに、風が穏やかになり、雪もやんだ。
短い時間だが、空に青が見えた。
山頂寒暖計は氷点下4℃。
左の急傾斜から沢に下りて、滑滝。
ここで、バーナーに点火。
沢水を汲んでコーヒーを淹れた。
山を出る直前に、鷲別川の本流を2ヶ所、大きく渡渉しなければならない。
飛び石を伝って渡渉するのだが、その飛び石の一部が流されたか。
靴を濡らさないで渡るには、2ヶ所とも身長が2メートルあるヒトのコンパスが必要。
防水力の落ちている登山靴だと足を濡らすこと必至。
左右それぞれに防水スプレーを1本ずつ吹いてきたのが良かった。
半沈石も使っての渡渉だったが、足を濡らさずに対岸へ(^^)
山歩き時間4時間20分。
16018歩。
全給水量は、
・150CC
滑滝で、
・スターバックス ハウスブレンド 1ドリップ
・グリコ ビスコ 焼きショコラ 2個
2021年12月 2日 (木)
『イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑』を読む
コンビニ、スーパーのレジ。
バーコードの読み取りは店のスタッフだが、清算は購入者が行うセミセルフレジへの置き換えが進んでいる。
まだ少数だが、バーコードの読み取りも購入者が行うフルセルフレジもある。
レジ担当者の、清算業務がなくなった。
が、これは〝昭和の消えた仕事〟でなくて、〝令和の消えた仕事〟。
こんな喫茶店で、読み始め。
本書冒頭に、〝昭和における「賃金・物価」の遷り変わり〟とあり、
昭和6・16・24・32・40・50年の、
小学校教員初任給
東京の大工の賃金
米の価格
醤油の価格
などが示され、消えた仕事の貨幣価値の理解を助ける。
あげられている職業は114種。
文選工。
新聞などの印刷のため、原稿を活字に置き換える。
今は、DTP。
その前は、写真植字。
さらに前は、鋳植機。
そのさらに前、活字をひとつひとつ拾って並べる仕事をしていたのが文選工。
〝文〟選工というより、〝字〟選工といったほうがいい。
帝国時代は、誤植は絶対に許されないと、〝天皇陛下〟と、これだけで一つの活字にしていたらしい。
5階までしかないデパートにも案内嬢が乗っていた。
昭和の消えた仕事のひとつとして、本書が取り上げているのが このエレベーターガール。
エレベーターの床の、エレベーターガールの立ち位置だけがヒールですられ、色が落ちていたのを憶えている。
三越も東急も、とっくに乗っていない。
が、この職業、昭和の消えた仕事かといえば さにあらず。
東京スカイツリー、六本木ヒルズのエレベーターは、エレベーターガールが案内する。
本夕、読了。
室蘭港は、石炭積み出し量が東洋一だった歴史を持つ。
石狩炭田で採掘された石炭が、50両も60両も連結されたセキ3000形貨車で運搬されてくる。
今の入江運動公園あたりがその集積場、石炭ヤード。
そこであった冬の仕事が、〝ガンガンたたき〟。
貨車の中で凍りついた石炭をヤードに落とす作業のこと。
10ポンドハンマーやツルハシで貨車をガンガンとたたく仕事。
1969(昭和44)年まであった仕事だ。
女性:看護〝婦〟
男性:看護〝士〟
も消えた職業。
が、昭和ではない。
看護〝師〟に呼称が統一されたのは、2002(平成14)年。
増えた仕事もある。
保健〝婦〟はいたが、保健〝士〟はいなかった。
保健士の誕生は1994(平成6)年。
保健〝師〟への呼称統一は看護〝師〟と同様な経緯。
YouTuber。
今世紀に入ってから、これも平成からの仕事。
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