『米の日本史』を読む
'13年、〝和食〟がユネスコの無形文化遺産に登録された。
それに先立って農水省が旗振り役となって作った『「和食-日本の伝統的食文化-」』と題する提案書に、〝一汁三菜〟の語が見える。
汁物1品
お菜3品
のこと。
〝和食〟と言ったら、この〝一汁三菜〟と〝米(飯)〟と〝漬物〟が基本形。(注)
〝和食〟とは、〝米(飯)〟を食べるための食事だと言ったヒトがいるらしい。
確かに。
こんな喫茶店で読み始め。
副題は、
『稲作伝来、軍事物資から和食文化まで』
著者はイネの研究歴の長い農学者。
農学の専門家としての知識を、考古学と歴史学にからめて、米の話が進む。
日本の歴史を大きく6つに区分けして、米の歴史が語られる。
1.弥生時代の前半まで 紀元前1、2世紀頃
2.弥生時代の後半から古墳・飛鳥時代まで 1世紀~7世紀頃
3.奈良時代から室町時代頃まで 7世紀~16世紀後半
4.戦国時代の後半から江戸時代いっぱい 16世紀終盤~19世紀後半
5.明治時代から太平洋戦争敗戦まで
6.戦後から今まで
武士ら兵士らは米を食べて戦い、商家の奉公人らも米を食べて働いた。
時に、米は価値の基準、領地の石高が領主の格を決めた。
時に、貨幣と同じに扱われ、米の生産・流通は経済活動そのものだった。
酒も米から、お菓子(餅・白玉)も米から。
神社で神々へささげる供物(神饌:しんせん)の基本も、米・モチ・酒。
が、今、米は純粋に食料になったと、本著者。
本夕、読了。
帝国陸軍の兵士への給食は1日に精米4合と精麦1合強。
宮澤賢治の『雨ニモマケズ』は、
一日二玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
本書に、最近の京都市のデータが載せられている。
京都市民の米の消費量は、年に64キロ。
米1合は150グラムだから、年に430合くらい。
一方、パンの消費量は、年に58キロあり、米の消費量とほぼ同じ。
コンビニでは、結構な量のオニギリが売れているように見えるし、義務教育の給食にも米飯が出される。
病院食も米飯が基本。
しかし、米が主食でなくなる時代は近い。
(注)
三菜は、酢の物(刺身)・煮物・焼き物とするのが普通。
会席では、汁・飯は最後に漬物と一緒に出される。
大陸の影響を受けているのかもしれない。
改まった席の中華料理は、二汁も三汁も、かつ九菜も十菜も食べた最後にパン・飯・麺。
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