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2020年3月

2020年3月27日 (金)

『ハーメルンの笛吹き男』を読む

笛の音でネズミを川へと誘導、町のネズミ被害の悩みを解消させたのが笛吹き男。
ところが、町との間で約束していたネズミ駆除への報酬が支払われなかった。
笛吹き男は、笛の音で今度は子供たちを誘い出す。
笛吹き男と共に姿を消した子供は130人。

副題は『伝説とその世界』だが、130人の子供たちが姿を消したのは〝伝説〟ではない。
〝史実〟。
ドイツのハーメルンにおいて。
1284年6月24日のこと。
大モンゴル帝国が、すでに東ヨーロッパにまで支配圏を広げていた頃。

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こんな喫茶店で読み始め。

この表紙に この帯。
なんという品のなさ。
この本、しかし、表紙や帯から連想されるようなクズ本ではない。

ドイツ中世史の専門家の阿部謹也(あべ きんや)が著者。
時間を惜しまず、知力を惜しまず、手書き文書を読み解き、古文書を紐解き、先人の研究に当たりして、抜けのない根拠のある考察が展開される。

本書第1刷目が1988年。
私の購入したのが、昨年7月発行の第34刷目。
30年以上もの間、毎年新しい読者を得ている書。
歴史学者としての阿部謹也の学識の深さ、学問への取り組み方の誠実さ・正統性が高く評価されているゆえだろう。

中世ドイツのみならず、全ヨーロッパの下中層社会の人々の生活が語られる。

本夕、読了。

さて、冒頭に戻る。
最初、笛吹き男は何をしたのかというと、ネズミの駆除だった。
実は、そのことが史料に現れるのは、子供たちの失踪から300年もあとのこと。
そこに歴史の必然さがあったことを知らされる。

〝史実〟は〝事件〟かもしれないが、〝伝説〟は〝歴史〟である(ようだ)。

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2020年3月24日 (火)

『ジョコビッチはなぜサーブに時間がかかるのか』を読む

2月2日は全豪オープン男子決勝だった。
チャンピオンは、ノバク・ジョコビッチ。
2年連続。
今日現在、ジョコビッチの世界ランキングは1位。

テニスの公式試合は、1セット6ゲームの3セットマッチ。(注1)
6×3は18。
だから18ゲーム取れば勝てるのかというと、そうはならない。
AとBが対戦し、以下の結果のとき、勝者はB。
 AvsB
 6-0
 6-7
 6-7

Aの取ったゲーム数は18.
Bの取ったゲーム数は14。
なのに、勝者はB。
それがテニス。

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こんな飯屋で読み始め。

テニスは時間制限のない競技(だった)。
ショットクロック(点が入ってからサーブを打つまでの時間)が25秒以内と決められたのはつい最近。
2018年。
それまでは、サーブ前、ボールをコート面にコンコンコンとどれだけ時間をかけて突いていてもよかった。
題名の
『ジョコビッチはなぜサーブに時間がかかるのか』
は、そのこと。

選手にとってボール突きはルーティン。
だから、サーブごとのその回数はほぼ同じ。
ところが、ジョコビッチはルーティンを離れ、ボール突きを何度も繰り返すことがあるという。
対戦相手をじらす意図があるのか、自分を落ち着かせるためか、サーブのコースを考えているのか、サーブ後の戦術を練っているのか。
それを、現役プロテニスプレーヤーの著者が分析する。(注2)

本夕、読了。

相手のあるスポーツは、相手の嫌がることをしなければ勝てない。
逆方向へ、
予想外の速度で、
リズムを狂わせて、
と。
同じことを相手も考えている。
今のテニスは、バックハンドのストロークプレースタイルが主流。
いつボールに回り込んでフォアで打つか。
それに至る1打ごとに意味がある。

冒頭で、取ったゲーム数の多少ではなく、取ったセットの多少で勝敗が決まることを書いた。
著者は言う。
試合の展開次第で、捨てるセットもあれば、次につなげるためのセットもあるのだ、と。
1打ごとの意図、1セットごとの意味を知るのに、結果の分かっている試合を見ることを著者は勧める。

上の話の伝でいくと、相手の好むことをしなければダメな釣りは、スポーツではないことになる。
私も、そう思う。
が、私はどうも、スポーツとして竿を出しているようだ。
相手の嫌がることばかりしている。
だから、私のハリにサカナが掛からない(^^;

(注1)
4大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)の男子は5セットマッチ。

(注2)
鈴木貴男。
ランキングのキャリアハイは102位。
ジョコビッチ、フェデラー、錦織らとの対戦経験もある。

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2020年3月22日 (日)

あれもこれも気になって

マスの釣果は聞こえてこない。
根の釣果も聞こえてこない。
好釣果が聞こえてくるのはソウハチだけ。
ンなわけで、昨夜、ソウハチ用に紅イカを刻んだ。

マリーナの開業を待ち、下架。
7時50分、出航。

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今日の出竿はこんな風景の見える海域。
好天、良ナギ。

魚探に根のサカナが映る。
ダメ元でインチクを入れると、5投目で魚信。

と、僚艇から、
「根でサクラマスが掛かった」
旨の入電。

以降、同海域でサクラマス毛鉤を泳がせる。
同じ海域には、ソウハチの反応も。

あれもこれもで、一魚に集中できない。
あれもこれもではなく、あれかこれかの選択をすべき。

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が、あれもこれも気になって、投入する仕掛けを取っ換え引っ換え。
で、どれも中途半端。

ソウハチに専念していたら、200枚はあげられたと思う。
根に専念していたら、15尾はあげられたと思う。
サクラマスは掛からず(^^;。

この画像を撮ったあと。

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最期からひとつ前はインチク投入。
で、クロソイ追加。
最期の最期もインチク投入。
で、更にクロソイ追加。

ソウハチの濃い反応が見えてきた。
根の活性も上がってきた。

しかし、気持ちが分散。
正午、沖上がり。

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2020年3月21日 (土)

冬山を歩く 19

西風強く、我が小船では沖に出られない。
長く山を歩きたい気分。
で、

 登り:西尾根コース
 下り:水元沢コース

山を大きく時計回りに歩く。

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ペトトル川を渡渉。
登りに掛かる。

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西尾根825メートルピークにて。

昨晩は雪が降ったようで、古い雪の上にほんの数ミリ新しい雪。
空は深い青。
しかし、左から右へ猛風。
スネまで埋まる雪質。

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 室蘭岳山頂にて。

山頂寒暖計は氷点下1℃。
このあと、高度を下げるに従って気温が上がる。
ネックウォーマーを取り、帽子から耳を出して歩いた。

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水元沢へ至る斜面は雪が深く、埋まる。
100歩に1歩くらいの割合で、太モモまで埋まる。
特に冬は使いにくいルートなので、今日もヒトのトレース(足跡)はない。
ウサギの足跡も見ない。

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根開き(ねあき・ねひらき)。
春の季語だが、山はまだ冬。

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滑滝にて。

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鷲別川は減水して飛び石があらわ。
しかし、どうしても靴を濡らさねば通過できない一歩がある。

この先、200メートルの登り返し。

山歩き時間6時間10分。
16620歩。

飲食なし。
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2020年3月20日 (金)

『物理でわかるスポーツの話』を読む

自転車に乗れるようになるには、練習が必要。
自転車を考えたヒトは、練習さえすれば、2輪車が倒れずに走れるのだと分かっていたのだろうか。

それより以前の話。
歩くこと。
更にそれより以前の話。
立つこと。

練習すれば〝立つ〟ことができると、乳児の頃の我々は思っていたか。

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こんな喫茶店で読み始め。

著者は、機械工学・流体工学を専攻、それをスポーツ工学へと応用してきたヒト。

100メートル走から、スキージャンプ、ヒップホップダンスまで全44競技。

ごくわずか、例えば、
 逆三角関数のarctan
 無次元数のレイノルズ数
 断面二次モーメント
など、説明抜きで使われる高校課程の範囲を越える数学・物理があるが、基本的には高校物理の力学の範囲。
力の分解が理解できれば、読み進めるのに引っ掛かる部分はない。

ところで、ビジネス書では、〝現代日本のデジタル技術産業界にはスティーブ・ジョブズが必要〟などと実在した人物名をあげて書いてあったりする。
本書も同様。
ウサイン・ボルトの記録を越す要領、室伏広治の記録を越す要領が0.1°、1cmの単位で具体的に書かれている。

現実。
スティーブ・ジョブズ以前にも以後にもスティーブ・ジョブズは現れていない。
ウサイン・ボルトの記録を越す要領、室伏広治の記録を越す要領を具現できる人間も現れていない。

〝立つ〟ことは練習の成果。
本書に書かれていることを体現するには、練習だけではどうにもならぬ(^^;

本夕、読了。

話は全く変わる・・・

ピアノの鳴る仕組みは分かる。
ドラムと同じ。
弾かれた振動体(弦・打面)が振動して、空気を震わせる。
振動しているときの振動体は、端部が拘束されているだけ。

ヴァイオリンはどうか。
弦を弓でこする。
振動するのは弦か弓か。
弦も弓もだろう。
振動しているときの振動体を拘束するのは、端部だけではない。
弦はどのように振動しているのだろう。

練習したら、ウサイン・ボルトや室伏広治を越せると考える心理は理解できる。

しかし、ヴァイオリンを最初に作ったヒトが、練習したらヴァイオリンから音楽を鳴らせると考えていたとしたら、その心理は私の理解の外。
冒頭の話に戻る。
練習さえすれば、倒れずに自転車を走らすことができると考えた心理も私の理解の外。

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2020年3月17日 (火)

『カラヤン』を読む

キングなら、キング・カズ、三浦知良。
皇帝なら、ベッケンバウアー。
帝王なら、ミナミの萬田銀次郎にジャック・ニクラス。
そして、カラヤン。

本書は、帝王カラヤンを論じた22編。

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こんな喫茶店で読み始め。

著者は吉田秀和(1913-2012)。

書かれているのは、
カラヤン、その人のこと。
それと、カラヤンの指揮で演奏される楽曲のこと。

私、カプサイシン系の辛味で舌をヤケドする、生ガキにはアタる。
それ以外は、食べ物に好き嫌いがない。
同様に、音楽にも好き嫌いがない。
舌が子供ゆえ。
耳がバカゆえ。
ということで、書かれている音楽のことは私の理解の はるか外(^^;

カラヤンを論じる吉田秀和の音楽の聴き方、吉田秀和が文字で表現する音楽。
それは、理性的。
かと思うと、情緒的。
私のバカ耳に音は聞こえてこないが、吉田秀和の聴こうとする音楽は分かる(ような気がする)。

本夕、読了。

中学1年の1学期終業の日。
「聴いていけよ」
と、クラシック音楽が趣味だというマセた同級生のW君が私に。
誘われるがままに入ったW君宅。
オーディオセット横のラックから、彼が取り出したレコードジャケットは黒。
その黒を背景にした横顔が、
〝ヘルベルト ・フォン・カラヤン〟
そのヒトだと、W君が私にフルネームで教えてくれた。

ベルリン・フィル。

W君の趣味と、私の素養に重なる部分がなかった。
〝その時〟はそうだった。
と、いうことにしよう。
そのLPレコードの片面を聴き終えると同時に、私はW君宅を出た。

その後。
W君から、
「聴いていけよ」
と、誘われることは二度となかった(^^;

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2020年3月15日 (日)

〝そう頻繁に起こることではない〟と同義フレーズ

冷えた朝だった。
ウインドウの霜取りをして、6時10分、出航。

昨日の今日。
海の様子に大差ない。
大差がないどころか小差もない。

マスが掛かる雰囲気、全然なし。
真っすぐ、沖根に向かった。

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今日の出竿はこんな風景の見える海域。

魚探には根のサカナが映る。
しかし、食わない(^^;
インチクを入れても、ワームを入れても、食わない(^^;

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根の上には、浮いているソウハチ。

ソウハチの仕掛けにマスが掛かることは珍しいことではない。
〝珍しいことではない〟は、〝そう頻繁に起こることではない〟と同義フレーズ。

10時30分、沖上がり。
マスは掛からず(^^;

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2020年3月14日 (土)

粘っただけ(^^;

マリーナ開業時刻を待って、船を下架。
9時、出航。

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今日の出竿はこんな風景の見える海域。

水のニゴリは先日並み。
つまり、ひどくニゴっている。

先日は1℃を切る海域もあったが、そんな海域はなくなった。
しかし、2℃ない。
つまり、大変に冷たい。

サカナがいないのではなく、〝こんな水〟だから食わないのだろう。
と、〝こんな水〟ではない海域を求めて沖目をさぐるが、スカ(^^;

ライセンス制限の正午まで粘るが、粘っただけ(^^;

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帰航はソウハチ場を経由して。

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2020年3月10日 (火)

『ぐうたら旅日記』を読む

著者は札幌在住の作家。

副題は『恐山・知床をゆく』だが、
 恐山に2回、春と秋
 知床に1回、夏
 積丹に3回、いずれも夏
1泊2日から3泊4日。
移動は車。
恐山旅行の時は、苫小牧からのフェリーも使って。

筆休めというか、埋め草のつもりなのか、旅行とは関係のないショートストーリーが5編挿入されている。

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こんな飯屋で読み始め。

総勢3名の時もあれば4名の時も16名の時もある。
オトコ1人にオンナ2人とか、オトコ3人にオンナ13人といったオンナ比率の高い人数での旅行。
年代内訳は、20代ごく少数、30代が何人か、大半が40代。
著者自身は40代、オンナ。

帯に、
〝あまりに笑えて涙腺崩壊!?〟
とある。
が、私が言っては失礼・不遜だが、〝涙腺崩壊〟などしない。
直近、東海林さだおの文章を読んだばかり。
東海林さだおと比べてはかわいそうってものだが、比べなくとも、〝あまりに笑え〟たりしない(^^;

著者自身が旅程を組んだり宿を手配したりすることはなく、誰かの運転する車で移動するだけ。
で、食べたり飲んだり。
旅先での食べたり飲んだりは、誰にとっても話のネタの定番。
しかし、これでヒトを笑わせるのは大変に難しいこと。

その難ネタで、著者が笑いを取るのに難儀している姿が見える(ような気がする)。
そのことが笑える(^^;

本夕、読了。

題に〝ぐうたら〟とある通り、アナタ任せの〝ぐうたら旅〟。
それは、しかし、著者の本の上での演技(だと思う)。
〝ぐうたらブリッ子〟を演じているだけ(だと思う)。

旅先の風景・会話・就寝時刻・起床時刻など、よく覚えている。
著者の実体は、几帳面・きれい好き・しっかり者(のはず)。

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2020年3月 8日 (日)

濁った海にサクラマスは似合わない

日出は、6時00分
サクラマスライセンス旗を掲げ、5時50分、出航。

地球岬をかわしてからは、東から風と波。
それに対向して、チンタラ航海。

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今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

水温が低い。
1℃を切る海域もある。

100メートル海域、にごり。
160メートルまで沖に出るが、にごり。

サクラマスは、降海したヤマメ。
ヤマメは清流のサカナ。
だから、濁った海にサクラマスは似合わない。

ということにしておこう。
ライセンス制限時刻の正午まで、マスをさぐるが、アタリもサワリもせず(^^;

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帰航は、ソウハチ海域経由で。

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2020年3月 7日 (土)

goto文の釣り

船内に積もった雪が堅い。
艇にあるスコップは、プラスチック製。
とても歯が立たない。

除雪できたのは、釣り座となる艇尾(とも)側の一部だけ。
それだけでも小半時間。
残余の雪は船に乗ったままなので、喫水が15ミリ下がっている。

6時30分、出航。

地球岬をかわしてのちは、日の光をウインドウのピラーでさえぎって、しばしの航海。

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今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

1投目。
100メートルまで、フリーフォール。
そこからは、
 5メートル巻き上げて竿を1回振って3秒間のポーズ
 また1回振って3秒間のポーズ
★更に、5メートル巻き上げて竿を1回振って3秒間のポーズ
 また1回振って3秒間のポーズ
goto ★
で、海面まで(^^;

みたいなことをアッチでコッチで。
アッチでコッチでやった。
が、ヒトアタリもなし(^^;

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その goto文の釣りを中断。
艇首(おもて)左舷側の雪をかく作業。
その様子を写してくれたヒトがいる。
ありがとうございます。
ところで、マスは掛かりましたか。

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ソウハチは掛かるが、気持ちが乗らぬ。

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2020年3月 6日 (金)

『ひとりメシ超入門』を読む

東海林さだおの〝食うシリーズ〟はほとんど 読んでいる。
週刊誌に連載中のものを読んだことも、四六判の単行本で読んだものもある。

しかし、一番いいのは文庫本。
構えて読むような内容ではない。
夜汽車の席でとか、夜間飛行の機内でとか、バスを待つ停留所でとか、お茶のお供とかに読む本。
このシリーズは、必ず文庫化される。
それをポケットにねじ込んでいき、読み終えた先で捨ててくる。
そんな読み方をする本。

JR東室蘭・南千歳間だと読み切れないかも。

東室蘭・札幌間、あるいは新千歳・羽田空路間だと余裕で読み切れる。

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こんな喫茶店で読み始め。

上で、一番いいのは文庫本と書いていながら、新書版(^^;
2月28日出版の最新刊。

以前、『ホルモン焼きの丸かじり』を読む という記事で、
〝東海林さだおは秀才の知性と、天才の視点を持っているヒト。〟
と書いた。

本書も、書かれている風景は〝天才の視点〟。

前のページを再読しなければ理解できないという、ややこしい話は一切ない。
ひとつ前の行を再読しないと理解できないということさえ、絶対にない。
しかし、次のページでの展開はもちろん、ひとつ先の行の展開さえも予測できない意外性に満ちている。
〝意外性〟とは言っても、書かれているのは〝食う〟話。
〝意外性〟とは、〝ウィット〟・〝輝き〟・〝ユーモア〟の言い換え。

本夕、読了。

キリストの最後の晩餐。
パンとワイン。
それと、焼いたサカナも食卓にあがっていたという説がある。

元禄14年3月14日(1701年4月21日)。
江戸城内で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に対して抜刀、傷を負わせた浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)は、即日切腹を言い渡される。
最後の食事に長矩が所望したのは、湯漬け(お湯をかけたゴハン)。
それを2ハイ食べて、切腹の場についたと聞いたことがある。

死に臨んでいてさえ、ヒトは食う。

ところが、健康体の東海林さだお、ぬるま湯、白湯(さゆ)をテーマにしたエッセーを書けるヒト。

釜めし。
かき混ぜてから、メシ椀に盛るのが標準的食事作法。
が、かき混ぜず、メシ椀に盛らず、釜から直接食べたい。
なのに、給仕嬢が著者を監視するような所に立っている。

焼肉。
焼き過ぎないように、との言葉を添えられて供される。
給仕嬢が近くを行ったり来たり。
焼き具合を見られているようで落ち着かない。

こんな時、どう食うかが書かれている。
で、その対応策はない(^^;

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2020年3月 3日 (火)

『北海道室蘭市本町一丁目四十六番地』を読む

父、弘史。息子、顕。
二人とも、室蘭という街に生まれました。
本籍、北海道室蘭市本町一丁目四十六番地。
ちなみにこの住所、今はもうありません。

で、始まるエッセーが20編。
息子の〝顕〟とは、本書著者。
安田顕(やすだ けん)のこと。

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こんな喫茶店で読み始め。

実家が絵鞆町。
絵鞆小、港南中。
大学は札幌。
現在の活動拠点は東京。
妻娘を札幌に置いての活動で、東京・札幌間を行ったり来たり。

書かれていることの大半は、父親のこと。
それと、
自身の子供の頃のこと。
母親のこと。
娘のこと。
妻のこと。
祖母のこと。
祖父のこと。

俳優という本業を持つ者が、余技として書く自分のことや身内のこと。
だから、どこにでも誰にでもある話しか出てこない。

どこにでも誰にでもある話。
それが、どこにでもある言葉で、誰でもが使う表現でつづられる。

本夕、読了。

わずかに小学校のことに触れているが、それ以外の学校のことはほとんど書かれていない。
教師のこともクラブ活動のことも書かれていない。
今の職業の俳優業のことも書かれていない。

上で、
どこにでも誰にでもある話。
それが、どこにでもある言葉で、誰でもが使う表現でつづられる。
と書いた。

どこにでもある言葉で、誰でもが使う表現でつづられているが、決して、どこにも誰にもない話が、5歳の娘が顕に宛てた手紙。
 いつもやさしくしてくれて ありがとう
 こんどふたりで さかなつりしたいです

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2020年3月 1日 (日)

『海に生くる人々』を読む

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栗林商会本社ビル向かい、フェリーターミナルすぐ西の入江臨海公園内にある石碑。
青色の文字は、『海に生くる人々』。

遠景の山は、私の山歩きトレーニングフィールドの室蘭岳。

私の立っているこのあたり、石炭を運搬船に積み込んでいたところ。
積み出し量の最大記録は、年間500万トン。

背中が貨車操車場と石炭ヤード。
夕張などがある石狩炭田から200輌以上も連結された石炭輸送用無蓋貨車(セキ3000)の、全長2キロにもなる列車で運んできた石炭の卸し場。
いずれも、〝かつては〟という枕言葉が付く。

室蘭ー横浜航路の石炭運搬船に乗り組んだ経験のある葉山嘉樹(はやま よしき)が、『海に生くる人々』を創作している。

初版は、1926年。
1955年には岩波書店から文庫が出版されているが、ここ30年ほどは絶版。
が、この2月、岩波書店の「2020年〈春〉のリクエスト復刊」された27点のうちの1点として本書も出版された。
たまたま立ち寄った札幌の紀伊國屋でそれを目にし、購入したという次第。

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こんな喫茶店で読み始め。

いわゆるプロレタリア作家が書いたものだから、
・資本が悪、労働が善の紋切り型ストーリー展開
・説明的な記述で、尖った激しい表現
・教訓的結末
が書かれていて、100ページも読んだら放り投げることになるに違いない。
ンな気分の、読み始めだった。

実際、その通りで、
・資本が悪、労働が善の紋切り型ストーリー展開

・説明的な記述で、尖った激しい表現
は、予想以上に更に説明的で、表現も更に尖って激しい。
しかし、結末は教訓的ではない。

本夕、読了。

舞台は石炭運搬船、2千トン。
最大速力、9ノット。

外防波堤築堤前の室蘭港。

真冬の出港。
大黒島をかわしてからは、冬の波にもまれる。

真冬の夜間入港。
大黒島灯台からの警報音で、フルアスターン(全速後進)と緊急投錨で行き足を止め、大黒島への衝突をまぬがれる。
翌朝まで港外停泊。
大黒島南の浅瀬がすぐそこに見えるところで投錨していたことを知る。

読みづらい本だった。
それでも、途中で放り投げることもなく、何とか最終ページまで読み進めることができた。
大黒島付近の冬の海を、私も知っているからだろう。

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