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2018年5月22日 (火)

『景観写真論ノート』を読む

宮本常一(みやもと つねいち)の生涯は、1907(明治40)年から1981(昭和56)年。

彼については、弊ブログに 『海に生きる人びと』を読む と題して'16年4月3日に触れた。
大変な学者で、残した著作も多いが、残した写真も多い。

Photoこんな喫茶店で読み始め。(注1)

著者は宮本常一から直接教えを受けた民俗学者。

本書に載せられている写真は、民俗学的見地から意義があると宮本常一が考えたものを著者に渡したもの。
副題に『宮本常一のアルバムから 』とあるように、アルバムに貼られていた写真を宮本常一自らがナイフではがして、その場で手渡したという。

写真術が書かれている本ではない。
書かれているのは写真から見える民俗。

宮本常一の残した写真は10万枚にのぼり、それが26年弱の間に撮られている。
全てモノクロで、ほとんどがパンフォーカスのハーフサイズカメラで撮られたもの。
民俗調査のメモ代わりに撮ったという写真。

民俗学も写真も知らずに言うのだが、解説を読まなくても、ナゼ宮本常一がそこにレンズを向けたのかが分かる。
民俗学とは人を知る学問だろう。
だから、生活を見るため、人を見るために撮られた写真ばかりである。
が、創作意識のない、自然で、何と味のある写真ばかりだろう。(注2)

大変な学者の宮本常一は、また大変な旅人でもあった。
地図帳を横に置いて読んだ。
写真を見ながら、地図を見ながらの時空を旅する読書だった。

本夕、読了。

100フィート(30.5メートル)の長尺フィルム。
これをその長さのまま、カメラにセットできるキットがある。
さすがに、多写人の宮本常一も、それは使っていない。

この長尺フィルムを切って空のパトローネに詰めるのは、フィルムカメラの時代が長かった者の持つスキル。
宮本常一もそのスキルを持っていたようだ。

大学者がダークボックス(両手だけが入る超小型暗室)作業をしている図というのは、芸術と言っていい。

(注1)
『景観写真論ノート』は筑摩書房からの出版。
その下に置いた2冊は、『宮本常一が撮った昭和の情景 上巻』および『宮本常一が撮った昭和の情景 下巻』。
こちらは毎日新聞社の出版で、編集も毎日新聞社。
これも一緒に読んだ。
どちらも同型の判で紙質も同じアート紙。
内容の雰囲気もよく似る。
実際には、『宮本常一が撮った昭和の情景』のほうが『景観写真論ノート』より4年前に出版されている。

(注2)
本書中に、プロ写真家もアマチュア写真家も〝芸術のワナ〟におちいる旨の記述がある。
ネットで見るアマチュア写真家の作品の多くが、〝芸術のワナ〟に はまっている(ように思う)。
宮本常一は〝芸術のワナ〟とは全然無縁。
メモ代わりの写真なのに、見事な芸術性をかもしている。

本文中に、三脚・フラッシュを使わなかったとある。
使っていたフィルムの多くは、多分TriX(トライ エックス)だったろう。
ISO感度100の時代のISO200(のち400)の高感度フィルムで、どこの写真店にも置いてあった。
コントラストの強い写真に仕上がる。
本書中の写真は、確かにコントラストが強い。

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