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2018年2月

2018年2月28日 (水)

『「日本の神様」がよくわかる本』を読む

この世の始まり。
現れたのは、造化三神(ぞうかさんしん)の三柱。(注)
次に、別天津神(ことあまつがみ)の二柱。
その前はない。

以降、神代七代(かみのよななよ)とくくられる七代十二柱。
一代目は一柱。
二代目も一柱。
ここまでは、独神(ひとりがみ:独身の神で男女の区別はない)。

しかし、子神を持つ独神もいる。

三代目から七代目が、男神・女神の二柱ずつ。
以降、神々が増えていく。

Godこんな喫茶店で読み始め。

大石神社の祭神は大石内蔵助、江戸のヒト。
東郷神社の祭神は東郷平八郎、明治のヒト。
本書には、だから、大石内蔵助や東郷平八郎などは書かれていない。

7世紀の書の古事記・日本書紀に登場する神々について読むことになる。
のかと思ったら、古事記・日本書紀成立前のヒトである聖徳太子はともかく、9世紀のヒト、菅原道真が掲載されていたりする。
もっとも、神社としての天満宮の格の高さから、掲載は理解できるところではある。

糞尿から生まれた神々もいるし、吐しゃ物から生まれた神々もいる。
日本の神々は、病気にもなるし、殺しあったりもするし、最後は他界する(黄泉の国に入る)。

古事記・日本書紀に書き記されていることに、後世かなりの年を隔ててから更に解釈が加えられたりしているので、その神徳(しんとく:恵み)が交通安全に及んだり、なかにはメガネやカメラに及んだりする神もいる。

本書内で扱われる神々は百柱を超える。
巻末に50柱ほどの神々の系譜図が載せられていて、それを参照しながらの読書となる。
それでも読み進めていくのが困難で、ほとんど最初から系譜関係があいまいなままでの読書となった。

装丁の割には、読みづらい本である。

本書は神々のプロフィール・エピソード集(のようなもの)。
旅行などで立ち寄った神社の祭神に興味を持った時に、参照に使う本だろう。

しかし、古代人の想像力の何と広く深かったことか。
現代のSF作家、ファンタジー作家のはるか上。

本夕、読了。

ギリシャ神話やローマ神話にも多数の神々が現れる。
一方で、キリスト教やイスラム教のような世界宗教として有力な一神教もある。
それを考えると、古代の日本人が太陽・月・雨・風・雷・噴火・森・山・川・海などに神性を感じたのは自然で素朴な感覚なのか。

ヒトの意識の普遍さと偏りを思う。

(注)
日本の神の数え方は、一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)・・・

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2018年2月25日 (日)

冬山を歩く 13

風強く、我が小船では沖に出られない。
山へ。

 登り:水元沢コース
 下り:西尾根コース

入山時は雪がちらついていたが、間もなく空に青が見え出した。

18022501_2【画像:1枚目】
下りに水元沢コースを使うと、最後に200メートル近く高度を取り戻す登り返しが必要。
逆に、登りに水元沢コースを使うと、登りの初めに200メートル近く高度を捨てなくてはならない。
どちらにしても、他ルートより稼がなくてはならない高度が200メートルほど増える。

そのこととルートが長いからだろう、水元沢コースを使うヒトは少ない。

冬は、いよいよ使うヒトが少ない。

水元沢は動物の気配の濃いルートで、
低いところでは、シカ・キツネ・ヤチネズミ、まれにタヌキの足跡を見、
クマゲラが木を叩く音を聞き、
トドマツの幹にリスの駆け上がるのを見、
カワガラスが沢に潜るのを見、
沢の流れに渓魚の影を見る。

やや高度を上げると、ウサギの足跡を見、
エゾライチョウの羽音を聞く。

更に高度を上げると、広い雪面に風の足跡。
画像は、風の足跡。(シュカブラ:雪面の風紋)

18022501_3【画像:2枚目】
このあたり、無雪期はヒトの背丈を超えるササ原。
今、そのササ原を埋めた雪の上にいるのだから、身長4メートルのヒトの目を得て歩いているようなもの。

その視界に入るのは、大きく開けた眺望。

と、同時に感じるのは孤独。
いや。
山での孤独は感じるものではない。
山での孤独は見えてくるもの、聞こえてくるもの。

てな気取った気分にさせてくれないのが冬の山。

風の冷たさのせいだ。
鼻水が出る(^^;
オシッコをしたくなる(^^;

18022502【画像:3枚目】
山頂にて。

雪のブロックを積み上げ防風壁を作ったヒトがいるようだ。

この壁の中でしばし休憩、息を整える。

山頂寒暖計は、氷点下7℃。

【画像:4枚目】
樹氷の枝をくぐって、西尾根へ。

18022503

【画像:5枚目】
西尾根825メートルピークにて。

振り返り見る山頂。
山頂からここまでの間、時折 耐風姿勢をとらなければならないほどの強風。

【画像6枚目】
ペトトル川の源流をひとまたぎ。
わずかに登り返すと、間もなく白鳥ヒュッテ。

山歩き時間5時間00分。
14878歩。

飲食なし。

Gpslog

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2018年2月22日 (木)

『「その日暮らし」の人類学』を読む

明日のことなら、おぼろに見える。
明後日のことなら、おぼろにも見えない。

昨日のことなら、おぼろに憶えている。
一昨日のことなら、おぼろにも憶えていない。

私のことだ。

〝その日暮らし〟の私(^^;
本書内の言葉を借りれば、〝Living for Today〟

Living_for_today_3こんな喫茶店で読み始め。

我々はモノ・サービスの価値を貨幣で換算する世界で暮らしている。
それを受け入れる世界は、
大きく言えば、「民主主義」を無邪気に認める世界、「貨幣に換算された価値」を無邪気に認める世界。
小さく言えば、「早寝・早起き・規則正しい生活」を無邪気に認める世界、「適度な運動・腹八分目」を無邪気に認める世界。

教育(環境と言い換えてもいい)のせいだ。
我々は〝知らない〟だけなのだと思う。
というか、誰かの言った「いい・悪い」、「高い・安い」、「うまい・まずい」・・・をオウム返ししているだけなのだと思う。

〝その日暮らし〟だから、今日は食っていける。
〝その日暮らし〟でも、明日も食っていける。

それが、副題の『もう一つの資本主義経済』の意味。

本夕、読了。

本書『「その日暮らし」の人類学』の調査フィールドは、中国・タンザニア。
著者によると、〝(文化)人類学〟とは、〝我々とは異なる生き方とそれを支える知恵や仕組み、人間関係を明らかにする学問〟だと。

中国やアフリカに調査に行かなくては、それを知り得ないってのは、〝人類学〟とは何と か弱い学問か。

街を歩いてみよ。
沖に出てみよ。
山を歩いてみよ。
さすれば、自分とは異なる生き方とそれを支える知恵や仕組み、人間関係をたった一日で明らかにできる。
と、考える私は、〝変人類学〟を知っている(^^;

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2018年2月18日 (日)

冬山を歩く 12

我が小船で沖に出て行ける風ではない。
山へ。

 登り:西尾根コース
 下り:冬コース

18021801【画像:1枚目】
ペトトル川の源流をひとまたぎして登りに取り掛かかる。

この何日間か使ったヒトがいなかったようで、西尾根は全ルートにわたってトレースなし。

今朝まで雪。
わずかな区間を除いてスネまで沈む雪で、山頂まで続いたラッセルで大汗(^^;

【画像:2枚目】
西尾根825メートルピークにて。
左から右への強風が舞い上げる雪煙で、山頂を見通せない。

18021802

【画像:3枚目】
この樹氷の枝をくぐれば間もなく山頂だが、氷化した雪の重みに枝が耐えられず、おじぎ。
右に巻いて、樹氷帯をかわす。

【画像:4枚目】
室蘭岳山頂にて。

山頂に立つ頃には、空に青が見え、時折 陽射しも。
風もおさまってきた(^o^)

冬コースをスキーで上がってきたパーティ。
カッコいィなァ。

昨日 仮設した寒暖計が機能している。
氷点下5℃。

18021803

【画像:5枚目】
冬コースの3本のデポ旗。

これにならって高度を下げていく。

【画像:6枚目】
下り切って見る、白鳥ヒュッテの煙突からのケムリ。

山歩き時間4時間10分。
10627歩。

飲食なし。

Gpslog

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2018年2月17日 (土)

冬山を歩く 11

午前中にも風が強くなる予報。
我が小船で沖に出ていける予報ではない。

山へ。

 登り:冬コース
 下り:冬コース

18021701【画像:1枚目】
冬コースは、樹林帯を抜けると大きく広がる雪原。
目印になるものがないから、雲が低かったり吹雪かれたりすると、向かう方向を失いがち。
その対応にバックカントリースキーヤーが設置してくれたのだろう、山頂間近にデポ旗が3つ。
その延長線上が山頂。

3つあるうちの一番下のデポ旗は雪に埋まっていたので、掘り出して打ち直しておいた(^o^)

雲底低く、800メートルから上は雲中登山。

風は左から右。
左が西。
強風。
上から横から吹雪。
下から地吹雪。

【画像:2枚目】
山頂にて。

先日 来た時には、山頂寒暖計が堅い雪の下に埋まっていた。
で、今日、新しい寒暖計を1本持って上がり山頂鐘の支柱に仮設。

仮設山頂寒暖計は、氷点下8℃。

18021702【画像:3枚目】
西尾根を下山しようと行きかけるが、視界はホワイトアウト寸前。

最短ルートの冬コースに戻った。

降雪多く、加えて地を払う風が強い。
ついさっきの自分の登りのトレース(足跡)が もう消えている。

【画像:4枚目】
樹林帯に入って以降は視界も得られ、粉雪を踏んで快適に高度を落とす。

白鳥ヒュッテが見えてきた。

山歩き時間2時間30分。

10427歩。

Gpslog_3

飲食なし。

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2018年2月16日 (金)

『魚影の群れ』を読む

本書におさめられているのは、
「海の鼠(ねずみ)」
「蝸牛(かたつむり)」
(う)」
「魚影の群れ」
の4編。

この4編で1冊の成書とし、当初の出版の表題は「海の鼠」。
ページ数は、「魚影の群れ」よりも「海の鼠」の方が倍近くも多く、本書全体の約半分は「海の鼠」。

しかし、のちに「魚影の群れ」に改題されている。

本記事では、「魚影の群れ」にのみ触れた。
魚影とはマグロのこと。

School_2こんな喫茶店で読み始め。

主要登場人物は3人。
マグロの1本掛け漁師と そのひとり娘とその夫。

漁場は津軽海峡。

本書中に、
糸から腕に伝わるサカナの引きの描写がない。
ハリの掛かった場所の描写がオカシイ。
などなどと釣師の気分で言ってはいけない。

著者は釣りをしたことがない人に違いない。
そもそもにおいて、著者の興味は釣りでもマグロでも漁師の生活でもない。
著者の興味は、〝ヒト〟。

〝魚影〟というタイトルに食い付いた私は、サカナと同じ程度の頭の構造(^^;

本夕、読了。

増毛は『駅 STATION(監督:降旗康男)』のロケ地として有名。

増毛駅舎に ほど近い国稀酒造創業家の本間家旧宅。
旧家が居間としていた部屋には、見学者のために40インチほどのモニターが据えられている。
そのモニターの前の小さなテーブルに置いてあったのは、映画のDVDパッケージ。

映画の題名は『魚影の群れ』。
増毛は、『魚影の群れ(監督:相米慎二)』のロケ地でもある。

なお、映画の『魚影の群れ』は、小説の『魚影の群れ』を下敷きにして作られているから、登場人物の構成やストーリーの全体感がよく似るのは当然のこと。
が、小説は小説、映画は映画。

小説の『魚影の群れ』は、小説の『魚影の群れ』。
映画の『魚影の群れ』は、映画の『魚影の群れ』。

映画の封切りは'83年。
本書の「海の鼠」から「魚影の群れ」への改題も同じ年である。

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2018年2月12日 (月)

冬山を歩く 10

昨夕から冷え始め、今朝の里は吹雪だった。
もちろん、我が小船で沖に出られるような海況ではない。
山へ。

 登り:夏道コース
 下り:冬コース

18021201_2【画像:1枚目】
締まって堅い雪。
かと思うと、ヒザまで埋まるパウダー。

間もなく山頂。
風は左から右の強風。
その風に乗って若い声が。
冬コースを上がる6人パーティが目に入った。

【画像:2枚目】
山頂にて。

山頂寒暖計は、雪に埋もれて掘り出せない。
エンペックスの携帯サーモの表示は、氷点下18℃。

【画像:3枚目】
降る雪が増え、眺望なし。

カメラのオートフォーカスが定まらない(^^;
ホワイトアウト。

【画像:4枚目】
ここまで高度を落としても、林を抜けてくる風が鋭く冷たい。

冷気を割って、クマゲラの木を叩く音が聞こえてきた。

山歩き時間2時間40分。
10022歩。

飲食なし。

雪の上だから、決まったルートがあるわけではないが、GPSログの、
右線が夏道
左線が冬コース

Gpslog_2

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2018年2月10日 (土)

雪が降ってきた

ナギの週末は久しぶり。
なのに、朝イチに野暮用が入り、出航は9時15分。

サクラマス海域で竿を出したかったが、マス海域までの所要航海時間は1時間とちょっと。
一方、ライセンス制限時刻は正午ゆえ、マス海域の はるか手前で船を止めざるを得なかった(^^;

17021001【画像:上】
きょうの出竿は、こんな風景の見える海域。

雲が低く、オカは見えない。
色のない世界。

【画像:中】
根は好釣(^o^)

【画像:下】
雪が降ってきた。

13時15分、沖上がり。

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2018年2月 9日 (金)

『胎児の世界』を読む

うぶ湯のタライの中から見た光の記憶から始まる小説を読んだことがある。
それは新生児の世界。

本書は うぶ湯をつかう前の世界。
胎児の話。

Fetusこんな喫茶店で読み始め。

宇宙の終わりは必然なのかもしれない。
しかし、宇宙の創成は必然だったのか奇跡だったのか。

著者は解剖学者。
だから、本書は自然科学的に筋の通った理屈を積み上げて章がすすむ。

生命の終わりは必然なのかもしれない。
しかし、生命の始まり、これは奇跡だ。

本著者の研究過程で得た知見を語る表現は、自然科学者の言葉ではない。
うぶ湯のタライの中から見た光の記憶から始まる小説を書いた作家をはるかに超える筆力。
だが、奇跡を語るのに、ヒトの持つ表現力の程度でどうして足りよう。
どう表現していいのか分からない。
でありながら、どうあっても表現しようとする著者の気持ちが伝わってくるページが続く。

本夕、読了。

何十億年も前。
古代の海から生命が出現し、あるものは海にとどまり、あるものは陸に上がり、あるものは陸から再び水に戻った。
鶏卵の観察から、
サケの卵の観察から、
ヒトの胎児の観察から、
いずれも発生の初期段階は ごく似ていることが知られている。
本書を読む時間は、生き物の悠久の歴史をさかのぼってゆく時間だ。

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2018年2月 4日 (日)

『A Pale View of Hills』を読む

12月22日に読了したのは、Kazuo Ishiguro の『遠い山なみの光 』。

『遠い山なみの光』は会話文が多いのだが、日本語で読む限り、それは口語的でない。
また、地のセンテンスは短く、読み返さないと理解できないような複雑・難解な文章はない。

ンで、原書も読めるだろう、と。

A_pale_view_of_hillsこんな喫茶店で、読み始め。

日本語訳で読んだ通り、単語こそ義務教育レベルを超えるが、構文に複雑なものはない。
翻訳本ではあったが、一度 読み切っているというのが効いているのだろう、それほど時間をかけずに本書を読み通すことができた。

すでに、先々月の22日に拙ブログの  『遠い山なみの光』を読む  で記事にしたから、それ以上のことをああこう書くつもりはないけれど、やはりストーリーを言うのもテーマを言うのも難しい。

Hayakawa Onlineの『遠い山なみの光』の紹介文が、本小説のストーリーをわずか2行でまとめている。
これが、とてもウマイ。

本夕、読了。

著者の他の長編の邦訳版の題名は、原題を日本語に ほぼ直訳。
ところが、本書の邦訳版は、初め『女たちの遠い夏』として出版され、のち、原題に近い『遠い山なみの光』に改題されている。
この改題された『遠い山なみの光』にしても、彼の他の長編ほどには、原題をストレートに訳していない。
翻訳者が何を考えたのかを私は分かっているつもりなのだが、とても2行でそれを言えるものではない。

題名の説明が大変に難しい本である。

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2018年2月 1日 (木)

『病が語る日本史』を読む

困っちゃった事態の当事者になると、入院しちゃうヒトがいる。
病気にでもなりたくなる気持ちは分かる。
ただし、その困っちゃった事態からの避難・時間稼ぎのために、入院し療養が必要な旨の診断書が出され特別室が用意されるのは相当な大物。

Illnessこんな喫茶店で、読み始め。

あとがきで、本著者はこう書く。
「今でこそ医学は自然科学に属するが、病み、治療する歴史は、科学史より文化史である。 医療は体の文化史である。」

著者は、医師だが非臨床医。
専攻は医史学。
古文書を読み解き、絵図を見解きして、現代医学の知識で日本人が罹患した病がどのように歴史へ関わっていったかを考えていく。

古代。
疫病の流行、あるいは貴人の重病は政治に不具合があったからと考えられていた。
だから、天皇や将軍を含めた政治の中枢者は それを払拭するため、宗教儀式のほかに大衆への施薬・療養所の開設を行っている。
その施策質量は意外なほど高かつ大。

歴史観とは視点。
病から見る歴史も単眼的ではない。
大変に深い。

本夕、読了。

有史前遺跡からは人糞も発掘される。
それには大量の寄生虫卵が見られるという。
だから、有史前人は、寄生虫によって栄養障害・腹痛・下痢だったのだろうと。

有史前人の皆が皆、自分の腹に大量の寄生虫を飼っていたのだから、それによる健康障害は普通のこと。
そうでない状態を知りようがないのだから、それをどうしたいこうしたいとは思うことがなかったに違いない。

私は腹ではなく、頭の中に虫を飼っている(^^;

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