『そばと私』を読む
『新そば』は、'60(昭和35)年に創刊、途中4年の休刊期間をはさんで今に続いている季刊誌。
その『新そば』には、毎号 各界の著名人による”そば〟をテーマに語ったエッセーが何編か寄せられている。
『新そば』はすでに200号を超えているが、本書におさめられているのは67名、67編分。
本書の前書きによると、その67編は〝珠玉〟の〝そば賛歌〟とある。
こんな喫茶店で読み始め。
1編が3から6ページと どれもごく短い。
私が言うのも何なのだが、とても〝珠玉〟とは言えないエッセーもある(^^;
筆者の名前を見ただけで、読む前から その内容が予想でき、そしてその予想通りのエッセーもある(^^;
ただ、編者はいさぎよい。
・好物はそば より ウドン
・食べることは書いてなく、語られるのは その語源
・評判のそば屋に案内してもらったが、そこの十割そばが気に入らぬ
みたいな〝そば賛歌〟とは言えないエッセーものせている。
その道で名を成すようなヒトが、釣師のブログじゃあるまいし、
〝そばはノドで食うもの〟
〝信州のドコソコのそばがうまかった〟
程度のことを書くわけがない。
と、期待したいところだが、エッセーのシメかたが、
〝あの時のそばの味が忘れられない〟
〝新そばの香りが鼻から抜けた〟
〝そば屋での酒がなかなか〟
という釣師のブログと同レベルのものもある(^^;
〝そば〟を書くのは難しいことだと思う。
第一に、〝そば〟は御馳走ではない。
庶民の食べもの。
第二に、〝そば〟を語るに添え物の存在が壁として高い。
ツユ、それとネギとワサビにまでは触れてもいいように思うが、添え物のはずの具(タネ)に触れるのは何だかなァだし、そもそもにおいてタネものソバを話題にするようでは少しも粋でない。
語る対象の原則は、もり と かけ。
さて。
今日の私の昼飯は、そば(^o^)
本夕、読了。
私の味覚だと、『新そば』のエッセーのどれにも同調できない(^^;
今日の昼飯のそば。
具は、ネギ・タマゴ・トロロ・カシワ・ナルト・シイタケ・天カス・刻みノリ。
私は私の食いたいように食う(^o^)
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