『人種とスポーツ』を読む
著者は日本で比較文化学(って、どんな学問?)を修めた後、米国で米国史を学んだヒト。
著者のキャリアと『人種とスポーツ』という題名からは、
「人種による知性の差がないように、人種による運動能力の差もない。 環境とトレーニング次第で、人は運動能力を高めることができる。 それは人種に関係なく平等なのだ」
といった、つまらない結論が導かれて本書がシメられるような気がするが・・・
こんな喫茶店で読み始め。
著者の専攻が米国史であることから予想される通り、本書は米国黒人スポーツ史。
1930年頃から、黒人は白人より運動能力に優れているのではないかということが言われ出す。
この〝黒人は運動能力に優れている〟という説を、著者は〝ステレオタイプな見方〟、〝風潮〟と表現する。
米国における近代スポーツは、白人エリートの娯楽であったことから本書が始まる。
〝つまらない結論が導かれ<中略>るような気がする〟と書いたが、大変失礼ながら それに近い(^^;
文献調査は豊富で、引用元も丁寧に示されるのだが、歴史的トピックスを並べるだけで、何だかグダラグダラして話が収束せず。
〝黒人〟という境界は不明瞭なのだ、つまり〝黒人〟を定義できないみたいなことを著者はいう。
読む側は、ンなことを言われて納得できようか。
白いとか黒いとかはどうでもいい話。
我々は、解剖学的・生理学的に、どういう形態の骨格・筋肉・内臓を持っていれば速く走れるのか、どういう赤血球量とエネルギー発生量と筋肉の関係があればマラソンに向く生理なのかを知りたいわけだ。
ヒトの体は、いまだ完成品ではない。
口の内側を噛む、舌を噛む、恐怖から逃げる前に目を閉じる・立ちすくむ、なんでもないところで足をくじく、などというのは、人間の体の構造・生理が不完全な証拠(だと思う)。
だから、走るとか泳ぐとかに都合のいい体の構造を知りたいのではないか。
100m走に理想的な体
100m自由形競泳に理想的な体
マラソンに理想的な体
走り幅跳びに理想的な体
というのがあるはずで、どこそこ地方のなんとかという民族がそれに近いというようなことが言えると思うのだが。
本書の最後は、歴史的・環境的・文化的なところに話が行き着き、で終わり(^^;
本夕、読了。
戦闘機から脱出するには、座席ごと機外に放り出してもらう(射出座席)。
だが、米国人と日本人とでは体の重心位置が違う。
なので、日本人パイロットが米国軍機で射出されると、パラシュートが開く前に頭が下になってしまうそう。
だから、米国軍パイロット用の射出座席と空自パイロット用の射出座席とでは設計から違うのだ、ということを空自の技術幹部だった人の書いた本で読んだ。
ひざをかかえてしゃがむ。
日本人だと、その格好で ひざの上にひじを乗せると 手のひらは ほおの位置にくる。
ところが、インド人だと 下肢が長いので ひざはもっと上の位置。
このひざの上に直接あごが乗る。
インドで生活するヒトが書いた本に写真がでていた。
ことほどさように、人種間には体のつくりの違いがあるのだから、体の動き、運動能力の違いもあって当然のことと私は思う。
本書内には、以下の事実が書かれている。
陸上100メートル決勝。
決勝レースを走れるのは8人。
1984年のロサンゼルスから昨年のリオデジャネイロまでに開催されたオリンピックは9回。
この9回のオリンピックで陸上男子100メートル決勝を走れたのは、のべ72人。
で、この9回の大会のメダリストは、すべて黒人。
という話より以前に、決勝を走った のべ72人全員が黒人。
著者のこれに対する見解は、歴史的・環境的・文化的。
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