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2017年1月15日 (日)

『豊浦町史』を読む

大間のマグロは有名。
大間港で揚げられるマグロは、多い年で200トンくらいのようだ。

先の記事で話題にした噴火湾のマグロ漁について、ある方から「噴火湾ではどれくらいの量だったんでしょうね」とのメールをいただいた。

〝噴火湾では〟という問いには答えられないが、〝豊浦での水揚げ量は〟という問いにならば即答可能(^o^)

というのも、昨年末に この本を読了していたから。

Toyouraこんな喫茶店で、読み始め。

全848ページのうち、42ページが豊浦における漁業史。

マグロの統計値だけを抜き出すと、(注1)
’09(明治42)年  203トン
’21(大正10)年  105トン
’22(大正11)年   30トン
’27(昭和02)年  131トン
’30(昭和05)年  150トン
この頃、豊浦で大規模な缶詰工場の操業が始まっている。
’37(昭和12)年  141トン
’38(昭和13)年   32トン
’45(昭和20)年   64トン

’40(昭和15)年の数字は、3545トンという信じられないもの。(注2)

その後は、
’49(昭和24)年  0.9トン
’50(昭和25)年  1.8トン
’54(昭和29)年  7.1トン
’57(昭和32)年  4.7トン
’58(昭和33)年  2.7トン
’60(昭和35)年  0.5トン
とジリ貧。

町史によれば、
〝噴火湾における漁獲高の減少は 濫(乱)獲に濫(乱)獲を続けた結果<後略>〟
と記されている。

噴火湾のマグロは獲り尽くされたわけだ。

代わりに、
〝礼文華の漁業青年が中心となり、いわゆる「獲るだけの漁業」から脱皮し「育てて獲る漁業」への<後略>〟
と、アワビの稚貝の放流、ワカメ養殖、ウニの放流などを始めている。

噴火湾にマグロが戻ってくる可能性は極めて低い。
私がステラ30000のハンドルを回すことはない、ということになる(^^;

(注1)
本書中での重さの単位は〝貫〟。
記事ではトンに換算して記した。


(注2)

本書には、〝四千百人〟を〝千百人〟、〝安太郎〟を〝安大郎〟と印刷してしまうなどの100ヶ所近い校正もれがあって、それに対して詳細な正誤表が付いている。
その正誤表には、’40年の数字が誤っている旨の記載はない。

改めて、統計値の水揚げ量と売上額を並べてトン当たり単価をチェックすると、
’38(昭和13)年の水揚げ  32トンで売上  11050円  345円/トン
’40(昭和15)年の水揚げ3545トンで売上1890590円  533円/トン
’45(昭和20)年の水揚げ  64トンで売上  68000円 1063円/トン
当時のインフレ率を考えると違和感のない数字となる。

’40年の水揚げ量が間違って印刷されている(もっと少ない)としたら,円/トンの値が大きくなりすぎ、そのほうが不自然。

’40年には、実際に3545トンの水揚げ量があったのだろう。

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