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2016年3月

2016年3月28日 (月)

『石油技術者たちの太平洋戦争』を読む

太平洋戦争は、
 ・航空機の戦い
 ・情報の戦い
 ・工業力の戦い
 ・科学の戦い
 ・文化の戦い
等々 色々な視点から論じられる。

本書は、 石油の戦い の視点で書かれたもの。
帝国が石油を確保するために立案した戦略と、その遂行にいた人たちの話。

なお、石油の体積はバレルで表すのが普通だが、以下、本記事中で使用する単位はKL(キロリットル)に統一した。

 

Engineerこんな喫茶店で読み始め。

現在の日本の石油の国内消費量は、年間2億5000万KL(1人当たり年間2KL)。

'38(昭和13)年の帝国の年間石油消費量は、現在の2%にも満たない400万KL。
輸入は540万KL。
国内消費量を上回る分をせっせと備蓄していたわけだ。
全輸入量の8割が米国から。

ABCDラインによる帝国への主な経済制裁は、
 ・在外帝国資産の凍結
 ・通商航海条約の破棄
 ・石油の禁輸(注1)

帝国軍の仮想敵国は ずっとロシア・ソ連だった。
だから石油輸入量の8割を米国に頼っていても、それを問題視する人は少なかった。
その少なかった人が、開戦の何年も前から蘭印(オランダ領インド:現在のインドネシア)の油田と製油所を得ることを考えていた。

蘭印全島の産油量は1000万KL/年。
オランダ・米国資本によって、大規模施設が操業されていた。
内、パレンバン油田の産油量が470万KL/年と、帝国々内消費量にミートする。

〝蘭印の油田と製油所を得ることを考えていた〟と書いたが、その手段は武力によるものという乱暴な話だから、〝考え〟といえるものなのかどうか。

何をもって成功というのかはさて置いて、開戦間もなく蘭印の支配国がオランダから帝国に変わる。(注2)
破壊された製油プラントの修復・製油所の操業・新油井(ゆせい)の掘削に石油技術者が蘭印に渡る。
タイピストや電話交換手として、若い女性も南の島に渡る。

オランダから奪った地にあったのは、油井地に至るまで舗装された道路、町には劇場・プール・テニスコート・ボーリング場。
オランダ人が住んでいた家には冷蔵庫があり、置かれていたウェスティングハウスやフィリップスのラジオはロンドンやサンフランシスコの放送も受信できた。

現地人の召使いが淹れるコーヒーで朝が始まり、昼休みは2時間、終業17時。
夢のような生活を、オランダ人にかわって今度は日本人が味わうことになる。

占領から1年後、製油所の修復が終わり、石油を満載して喫水を深く沈めたタンカーが、帝国に欲しいだけの石油を運ぶ。

〝夢のような〟とは はかなさの別表現。
米国潜水艦にタンカーが沈められ、製油量は減らないのに、帝国に届けられる油量が減って ついにはゼロとなる。

著者はプラント建設会社の技術者。
'37(昭和12)年の生れなので、本書内で紹介される話の当事者ではない。
だから、内容はごくわずかな聞き取りのほかは、多量の資料・文献に基づく。

技術者らしからぬ興奮した文章が連続する。
創作だとは言わないが、脚色は多い(ように感じる)。
少し疲れた(^^;

本夕、読了。


(注1)

禁輸といっても、商取引までもを禁じたものではなく、米国からは従前と変わらぬ量が輸入されていた。
禁輸されたのは、精製技術・改質技術。
今で言うノウハウ・知的財産だった。
当時の帝国には航空機燃料用の高オクタン価ガソリンを製造する技術がなく、その技術の導入を米国メーカーと交渉中だったが、それを御破算にされた。
開戦の前年になると、石油そのものが入ってこなくなった。
帝国は、結局 高オクタン価ガソリンを自前の設備では得ることができずに終戦に至る。

(注2)
開戦3ヶ月後、パレンバン油田と製油所を占領したのは帝国陸軍の落下傘部隊、いわゆる〝空の神兵〟なのは有名。
ほとんど同規模の蘭印への落下傘降下作戦を、帝国海軍が帝国陸軍に先立つ2ヶ月前に実施しているが、こちらを知る人は少ない。

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2016年3月27日 (日)

FALCONⅡに曳航されて

5時30分、出航。

160327_7【画像:1枚目】
絵鞆半島に日が昇る。

無風・ベタナギ。
27ノットの高速航海で沖へ。

【画像:2枚目】
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

14分、13分、12分、11分と移動するも、マスのヒト当たりもなし。

【画像:3枚目】
根を経由。
11時、沖上がり。

【画像:4枚目】
11時、沖上がり。
の、つもりだった・・・

つもりだったが、クラッチがつながらない(^^;

帰航は、FALCONⅡに曳航されて。

マリーナスタッフの皆さん、ご迷惑かけました。
どうもありがとうございました。

160327

 

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2016年3月26日 (土)

いつまでも竿を出してていいのだが

8時30分、出航。

ナギ良く、27ノットの高速航海で沖へ。

160326【画像:上】
15分から14分海域に、横一線となった船団。
苫小牧からの遊漁船が何艇か、その船団に並ぶ。

107メートルで、シーアンカーを投入。
船首が風に立ってオカに向いたが、船がその風に向かって流れていく強い潮。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

1投目でビンゴ。
が、以降 アタリが遠い(^^;

115メートルでシーアンカーを入れ直した。
その頃から、波が深くなり出した。
が、都合のいいことに115メートルの等深線をなぞって船が流れていく。

【画像:下】
規制は解除されているので、いつまでも竿を出してていいのだが・・・

12時30分、沖上がり。

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2016年3月22日 (火)

『魚の文化史』を読む

著者は、伊勢神宮の神職だった人。
〝魚の〟とあるが、貝・イカ・タコ・カニ・エビ・ナマコ・クジラも含まれる。

 

Fish_cultureこんな喫茶店で読み始め。

古事記・日本書紀の山幸彦・海幸彦神話には釣りの話が出てくるし、七福神中唯一日本由来の神の恵比寿は右手に竿、左手にタイを持つ。

『魚の文化史』という表題から、そんな話から始まる魚釣りの文化史でも書かれているのかとページをめくったのだが、あにはからんや。
本格的な民俗学書。

文献・資料の収集や現地調査にも執筆にもかなりの年月がかかったとある。
調査の範囲は実に広い。
巻末の「魚の文化史年表」も「索引」も充実していて、時間を要したというのが確かにうかがえる。

奈良の薬師寺の薬師如来像の足の裏には、2尾のサカナが刻まれているそうだ。
サカナが彫られている仏足跡はインドにも日本にもいくつもあるようで、仏教とサカナは相性がいい。
しかし、仏教では生臭いものを避けるが原則で、仏前にサカナを供えたりはしない。

一方、日本では古代から吉事には、生臭(なまぐさ)は欠いていけないものだったようだ。

なかでも、アワビは生臭の代表格とされていたらしい。
今に伝わる熨斗(のし)は〝のしアワビ〟のことで、元来は薄くそいだアワビを乾燥させたもの。
伊勢神宮では、年間で生アワビだけでも4千個以上、乾しアワビなども含めると5千個以上のアワビが神饌(神前供物)に用いられるという。

みたいな話が、ブリ・タイ・サケ・クエ・タラ・フナ・イワシ・イカ・タコ・オコゼ・サバ・ボラ・アユ・コイ・クジラ・イセエビ・ナマコ・カニ・ウツボ・オコゼ・カツオ・ウナギ・ナマズ・ハマグリ・サメ・エイ・アンコウ、まだまだ続く。

ぎっしり書き込まれている。
著作に時間がかかったという。
読むにも時間がかかった。

今夕、読了。

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2016年3月21日 (月)

オカは春がすみ

風が止まった。
8時、出航。

160321【画像:上】
しかし、沖に出て間もなく西風が降りてきて波が深くなってきた。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
沖根。

オカは春がすみで煙っていたが、沖上がり頃には空気が澄んできた。

【画像:下】
空気は澄んできたが、水のほうは雪代でひどい濁り。

10時過ぎまで、アタリが1回(^^;
その後、食いが立ったが半分はリリースサイズ。

正午、沖上がり。

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2016年3月20日 (日)

白波多数、本日、シケ(^^;

今日の日出は、5時39分。
5時30分、出航。

160320_3【画像:上】
等深線80メートル上を、00分・03分・06分・09分と航海。
浮きソウハチの反応なし。

結局、ベルーガ船長に誘導してもらい、13分・77メートルで出竿。
確かに、25メートル前後に、ソウハチの反応。
どうもありがとうございました。

すでに、出航から2時間が経過していた(^^;

私が使ったのは、アグネス船長自製のスペシャル仕掛け。

しかし、1時間も経ずして、浮きソウハチの反応が魚探から消えた(^^;

【画像:下】
帰港後、絵鞆展望台から見た海況。

白波多数、本日、シケ(^^;

我が艇では、とてもソウハチの反応を探して移動できる波ではない(^^;
船中釣果70枚で、沖上がり。

同乗は、Hiroshiさん
もうおひと方、shinyaさん
ナギの日に、また竿を出して下さい。
船中釣果300枚を超えた日に、おふた方の画像を掲載するということに。

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2016年3月19日 (土)

これはタマゲタ

今日の日出は、5時41分。
5時30分、出航。

ナギ良く、25ノットの高速航海で沖へ。

160319【画像:上】
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

オカの方向にレンズを向けているのだが、濃いガス。
あまつさえ雨さえ降ってきて、色を失った世界。
オカは見えない。

【画像:下】
アタリなく、時間が経過(^^;

船を水深120メートルから110メートルまでに移動中の9時25分、Sea Dragon船長より入電。
『タナ7メートル』

それまで私は100メートル付近に毛鈎を泳がしていたのだから、これはタマゲタ。

で、合わせると、ビンゴ・ビンゴ(バレ)・ビンゴと3連続(^o^)

胆振海区におけるサクラマス船釣りライセンス期間中の主たる遵守事項は、
○釣獲時刻は、日の出から正午まで
○釣獲数は、1人10尾まで

で、ライセンス期間は、12月15日から3月15日まで。
ということで、本日は釣獲制限なし。

制限はないのだから何尾掛けてもいいのだけれど、以降、音なし(^^;
正午、海域離脱。

帰航は根を経由して。

13時、沖上がり。

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2016年3月13日 (日)

我が竿にも掛かってほしい

空がほの明るくなって、まだ見えるのは南の空の火星と土星だけ。
出港準備をしている内に、それも空の明るさに溶けて見えなくなった。

5時40分、出航。

150313【画像:上】
5時51分の日出を、地球岬手前で見る。

いい循環だ。
昨日に続いて、今日もナギ(^o^)

【画像:中】
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

広くばらけた船団。
広くばらけているということは、広くばらけてマスが掛かっているということ。

我が竿にも掛かってほしい。

【画像:下】
私のやっていることは、何か間違っているのだと思う(^^;

もっと掛かってしかるべき。

雪の付いた東風がおりてきた。

11時、沖上がり。

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2016年3月12日 (土)

あえて、名人の評価で言いたい

今日の日出は、5時53分。 
5時25分、出航。

ナギ良く、25ノットの高速航海で沖へ。

160312【画像:上】
太陽が90°から昇る春分が近い。
今日の5時53分の日出は、真東よりちょっと南の93°で始まる。

太陽の視直径は0.5°。
その10倍の5°船首を左に振り、1時間の航海ののち出竿。

【画像:中】
雪代が入り水が濁っている。
まだ雪代の到達していない水深104メートル海域で、シーアンカーを投入。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

【画像:下】
名人なら、以下の評価だろう。
1.5キロなら、『まァまァ』
2キロ前後で、『オォ、いいカタ』
2.5キロを超えると、『スゲ-なァ』
3キロを超えると、『一度、見てみたい』

我が艇の評価だと、
1.5キロなら、『オォ、いいカタ』
2キロなら、『スゲ-なァ』
2.5キロを超えると、『一度、見てみたい』
3キロ超え、『いるわけない』。

今日は、あえて、名人の評価で言いたい。
『オォ、いいカタ』(^o^)
最大魚は2.1キロ。

正午、沖上がり。

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2016年3月 8日 (火)

『カレーライスと日本人』を読む

本書の終わり近く、
〝何でもカレー粉を入れればカレーになってしまうが、カレーに何を入れてもカレーのままである。〟
とある。

沖縄県石垣市内の食堂で『ラーメン』を注文すると、『日清カップヌードル』をどんぶりに移しただけのものが出される。
ホントの話。

ホントにそうだった頃の、石垣島より もう少し西の西表島での話。
同島大原の船着き場近くの売り場面積が2坪もない よろず屋が、西表島全島唯一の商店。

売り場面積が2坪もない よろず屋。
そこには、ノート・洗剤・電球・タマネギ・ニンジンは置いてあるが、生肉・生魚は置いていなかった。
牛・豚・鳥・魚を問わず、生肉を買い求めるということができないのが西表島だった。
この島で肉といえば、ハーフガロン(約2リットル)缶に詰められた米国メイドの塊肉のコンビーフがそれ。

西表島唯一の商店に、生肉は置いてなかったが、しかし、キッコーマン醤油、ブルドックウスターソース、カゴメケチャップ、キューピーマヨネーズ、そしてエスビーの赤缶のカレー粉は置いてあった。

島には専業のホテルや旅館はなく、民宿が数軒。
私が泊ったある民宿の、ある日の夕食はカレーライス。
その民宿のカレーは、溶いた小麦粉にカレー粉で色を付け、タマネギ・ニンジン、そしてコンビーフ。
確かに、〝何でもカレー粉を入れればカレーになってしまうが、カレーに何を入れてもカレーのままである。〟は至言である。



Curry_and_riceこんな喫茶店で読み始め。

本書内の記述によれば、著者は〝旅行して回ることが商売〟だというカメラマンでジャーナリスト。
調べてみると、食文化研究者という肩書も持っている。
文化人類学を修めた人なので、本書もそうだが、食文化研究のレベルは大変に高度。

マレーシアで食べたカレーが甘かったという話から進んで、〝カレーの定義〟や〝カレーのルーツ〟の調査。
そして、カレーが日本の国民食となる歴史の調査と考察。

以下、カレー、カレーライスという語は、日本でいうところのカレー、日本料理としてのカレーライスを指すものとする。

日本で文字として残っているカレーのレシピの最初は、1872(明治5)年発行の料理書。

インドを植民していた英国のC&B社製のカレー粉が、開国間もない日本に入っている。(注1)

著者は、歴史をさかのぼるために、国立国会図書館に行く。
英国のC&B社へ行く。
大英図書館へも行く。
大英図書館付属のインド専門図書館にも行く。
インドへも行く。(注2)
もちろん、日本で最初に紹介されたカレーのレシピに従って調理も試みる。(注3)

我々日本人が、タマネギ・ニンジン・ジャガイモの入ったカレーを食べるのは、大正期になってから。
なぜなら、これらが国内で栽培されて流通に乗るのは、明治もかなりたってからで、それまでのレシピはタマネギではなく長ネギ。
大正期になると、軍隊食にタマネギ・ニンジン・ジャガイモを使ったカレーが見え、以降、家庭でもタマネギ・ニンジン・ジャガイモが使われだす。(注4)

著者の考察をまとめると、以下のごとし。

文明開化後、洋食が入ってくると同時に、日本食は高度な技術を要する板前料理と家庭料理とに二極化した。
カレーは洋食。
何でもカレーを入れればカレーになるが、カレーに何を入れてもカレーのままである。
だから、カレーは増殖することができた。
カレーは日本人の主食の米とともに食べる。
その上、インスタントカレールウの流通により簡単に作れる。
家庭料理となる条件がそろっている、ということで国民食となったのではないか、と。

日本人は、月に4回 カレーライスを食べているという統計があるそうだ。

カレーライスは家庭でもそれなりのものが作れるので、外食産業化は難しい、と言われていた。
長いこと、そして今も喫茶店のお手軽メニュー、学食・社食の最速提供メニュー、献立を考えるのに疲れたおかあさんの骨休め料理といった位置付けだろう。

CoCo壱番屋が、カレーだけで成功させた経営手腕は大したものだと思う。

本夕、読了。

(注1)
C&B社は300年以上も続く伝統ある会社。
ピクルスやサラダオイル、ビン詰め肉など保存食品が主力製品。
今も変わらぬ調合でカレー粉を出荷しているが、現在、製造自体は外部委託とのこと。

(注2)
インドでは、インド人に〝インド人もビックリ〟の『ハウス印度カレー』を食べてもらうようなことを行っている。
インド人は、『ハウス印度カレー』を彼らの味覚でもカレーだと認めるそうだ。
そして、ウマイとも。

(注3)
明治の初頭から、ウシ・ヒツジ・ブタ・トリ・ウサギ・エビ・貝などを使うレシピが紹介されているが、文字として残っている一番最初はカエル。
著者は、だからカエル肉とC&B社のカレー粉を使い、往時のレシピをなぞる。

(注4)

インド・英国ではカレーにリンゴ、レモンをよく使う。
明治のレシピにも、リンゴ・レモン(代替品としてユズ)が書かれている。
また、砂糖も使う。
昭和の初期には早くも日本でインスタントカレールウが作られているが、広く家庭に行きわたった商品は'63(昭和38)年発売の『ハウスバーモントカレー』。
〝リンゴと蜂蜜 とろーりとけてる〟は、カレーの王道といえるかもしれない。

なお、インド・英国では、カレーにニンジン・ジャガイモを入れない。
特に、カレーにジャガイモを入れるのは、極めて日本的調理法。
『エスビーゴールデンカレー』のCMソングが、〝ジャガイモは入れないほうがおいしいのヨ〟だったのは、まさにそういう意味で王道路線を狙っていたのかもしれない。
但し、これにはジャガイモ生産者からクレームが付き、ほどなくこのCMソングは流されなくなった。

現在売られている『エスビーゴールデンカレー』の箱裏のレシピには、タマネギ・ニンジンの次にジャガイモが記載されている。
これは、私自身がスーパーアークス中島店の商品棚で確認済み(^o^)

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2016年3月 5日 (土)

ということにしておこう(^^;

南東の空、低いところにあと4日で新月となる細い月。
南の空に、夏の星座のサソリ。
サソリの頭に火星の赤。
サソリの心臓アンタレスのすぐ東に土星。
もうじき夜が明ける。

5時35分、出航。

6時04分の日の出を、イタンキ沖を東に航海中に見る。

160305_2【画像:上】
早朝は冷えたが、快晴。
背中で受ける日差しが、暖かい。

先日の釣行の話。
沖へ沖へと流れて、水深150メートル。
バケが、その水深150メートルに着底。
で、底を切るため5メートル巻き上げたら、バケから3メートル上の毛鈎にサクラマス。
水深142メートルで掛かったことになる。
この深さからだと、水面まであげてくるのに5分ほどかかる。
鈎掛かりが甘くなってくるし、途中、スケソウが付いたりもして、深いところで掛けたマスを船中にあげるところまで持ち込むのは、なかなか難しい(^^;

深いところにもマスはいる。
が、上記のような事情で私の力量範囲外。

なので、今日は水深105メートルから130メートルで竿を出した。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

画像左に見えているピークは室蘭岳。
ベタナギ。

エトロフウミスズメの大群が、画像の見えないところ 右の海域で羽根を休める。(注)

【画像:下】
スケソウがうるさい。
ソウハチがうるさい。

ということにしておこう(^^;

マス 1尾(^^;
マスとそれほど身長の変わらないマダラが6尾。

正午、沖上がり。

(注)
鳥の写真家Libre船長から教えてもらった。
この海域と根室あたりの海域でしか見ることができない鳥だとのこと。

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2016年3月 2日 (水)

『タブーの漢字学』を読む

中国人と仕事をすると、こちらがノートいっぱいにメモを取っているのに彼(女)らのノートは3割ほどしか埋まらない。
表意文字である漢字の力だ。

以下、便宜上、日本で使う漢字を〝漢字〟、中国で使う漢字を〝中国字〟と表記する。

漢字だと、例えば〝数〟は〝すう〟・〝かず〟・〝かぞ(える)〟といくつも読み方がある。
中国字は、一文字、一音(節)。
といっても、発音数は千以上。
それよりずっと多く、中国字の総数は10万以上もあるようで、だから、同音異字がたくさんあることになる。(注)

長い歴史のある文字・言語だから、残されている資料も多い。
近代以降の文献は除くとして、多分 日本の一万倍は文献が残っている。

 

Tabooこんな喫茶店で、読み始め。

著者は、中国語学者。

上で書いたように中国字文献は大変な量が残っているので、中国語を専門とする言語学者の調査範囲はとても広い。
中国字辞書から漢方医学書、料理本も。

表題でいう〝タブー〟とは、例えば〝死〟。

崩御なら、天皇・皇后
巨星墜つなら、吉田茂・毛沢東
逝去なら、庶民にも使う。

〝死〟をストレートに〝死〟と表現しないのは、日本も中国も同じ。
いや、中国の規定を日本人が使っている。

天子(皇帝)は、崩
諸侯(地方の王)は、薨(こう)
大夫(高級官僚)は、卒
士(一般官僚)は、不禄(ふろく)
その他、不諱(ふき)、物故、不在など。

これらに注目して資料を読むと、上下・敵味方の関係が解けてくる。

征夷大将軍を天子(天皇)から与えられているので、徳川家康は諸侯相当。
よって彼の死去は、薨去(こうきょ)と表現される。

〝斃る(くたばる)〟は文字の中に〝死〟がある。
〝死〟以下の表現だろう(^^;

本夕、読了。

(注)

今の中国人は、小学校入学前には500字くらいの読み書きができるそうだ。
日本語はカタカナを持っているので、computer をコンピュータと表記できる。
中国字は文字自体に意味があるので、そうは簡単にいかない。
権威ある人・部署なりが、computerは電子計算機と表記するとか電脳と表記するとかと定めないと、表記も発音も定まらない。
但し、表記が決まれば、一文字一音だから、発音は自動的に決まる。

難しいのは、固有名詞。
 米国大統領バラク・オバマ(Barack Obama)を、見拉克・奥巴馬
 米国大統領候補ドナルド・トランプ(Donald Trump)を、唐納徳・川普
と表記することを決めるのは、政府の仕事。(実際には、マスメディアが先行することが多いようだ)
ドナルド・ダック(Donald Duck)は、唐納徳・達克 と表記するから、Donaldイコール唐納徳かというと、それほど単純ではない。
McDonald'sにはDonaldが入っているが、表記は麦当労
商標などは、企業の側が決めるのだろう。

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