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2016年2月

2016年2月28日 (日)

本日、こんなに掛けてどうしよう(^o^)

冷えた週だった。
今朝も冷えたが、終日 日が照り10時を過ぎた頃から防寒着を脱いだ。

今日の日出は、6時14分。
5時30分、出航。

KON-chan号より1分先にもやいを解いたマス名人が舵を握るPOPEYE艇の航跡に乗ってマス海域へ。

160228【画像:上】
夕べ、サンワドーで買った取っ手付きの大きなポリ袋を持っての乗船。
45リットル。

下心満々なのが下品(^^;

【画像:中】
17分、130メートル海域でシーアンカーを入れた。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
良ナギ。

ヤマメが海に降りてサクラマス。

サクラマスが泳ぐ海の面積は、ヤマメが泳ぐ川の面積よりも圧倒的に広いので、海でサクラマスを見つけるのは川でヤマメを見つけることよりもはるかに難しい。
また、川だとヤマメが棲むのはせいぜい水深数メートルくらいまで。
海だと、サクラマスの棲息範囲は海面から、下はいったいどのあたりまでなのか。

【画像:下】
船は、深いほうへ深いほうへと流れる。

サクラマスは、いったいどれほどの深さにまで潜るのだろう。
142メートルでも掛かった。

こんな深さで掛けたサクラマスを水面まで持ってくるのは難しい。
タモを構えるところまであげたのに、取り込めなかったのが3尾。

1尾も掛からなくとも、まァ、そんなもンでしょう(^^
 1尾掛かれば、ホッ(^o^)
 2尾掛かれば、納得(^o^)
 3尾掛ければ、満足(^o^)
 4尾掛かれば、十分(^o^)
 5尾以上掛かれば、こんなに掛けてどうしよう(^o^)
が、我が艇基準。

本日、こんなに掛けてどうしよう(^o^)

正午、沖上がり。

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2016年2月27日 (土)

冬山を歩く 14

西風強く、我が小船では沖に出られない。

で、山へ。

水元沢コースを歩きたかったが、先週の土曜日に通った際は重機を使っての国有林の整備作業中だった。
監督員から、
「あと10日くらい作業が続きます」

ということで、
登り:西尾根コース
下り:西尾根コース

160227_3【画像:上】
先日の山歩きでは、標高の低いところで〝雪渓虫〟を200匹以上見たのだが、今日は1匹も見ない。(注1)

締まった雪の上に、新しい雪が積もり、その白がまぶしい。
そのまぶしい白の下で、雪上に向かって脚を動かしている最中なのだろう。

入山届記帳後、スノーシューを付けた。

沢に降りる途中で90度左に折れ、高度を50メートル落とす。
氷のカーテンに触ってから登りに取りかかった。(注2)

【画像:中】
数日来の強風で、いちど霧氷は落ちたようだ。
今日見る霧氷は、夕べから今朝にかけて成長したものだろう。

雲の動きは速いが、雲底が高い。
日が出たりかげったり。
時折、風が強まり、舞い上がる雪で顔が痛い。
風の強弱に合わせて、ジャケットのフードをかぶったり取ったり。

【画像:下】
山頂にて。

山頂寒暖計は、氷点下7℃。

山歩き時間、3時間40分。
14940歩。

飲食なし。

(注1)
セッケイムシ。
カワゲラの仲間。
カワゲラは飛ぶ虫だが、このセッケイムシはハネを持たない
雪虫と呼ぶ地方もあるようだが、そう呼ぶのを私は聞いたことがない。

雪虫と呼んで春の季語、雪渓虫と呼んで夏の季語とのこと。
室蘭岳では今ぐらいから見るから、我々の住む地方では、雪渓虫は春の季語とするのがふさわしいように思う。
理由は分からないが、夏の羊蹄山の雪渓では、この虫を見たことがない。

(注2)
〝氷のすだれ〟と呼ぶ人の方が多いかもしれない。
規模の大きいものだと〝登る〟対象となるが、これはごく小規模。

Gpslog_3

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2016年2月25日 (木)

『八月十五日の天気図』を読む

この季節(だけではないけれど)、前日17時発表の気象予報が、当日朝の5時の発表時にはかなり変わっていることがある。
直近12時間の気象観測により、予報がより確かなほうに修正されたということだろう。
ところが、その5時発表時点で、すでに現況と随分違うことがあるのが大いに不満(^^;

室蘭と豊浦・穂別・大滝・苫小牧を、胆振地方だということで一緒くたにして予報するというのは、無茶だと思う。
行政区(当地だと「胆振地方」)が予報単位なのは、どういう理由からなのか。
〝ところにより〟という言葉の使い勝手の良さに頼り過ぎではなかろうか。

 

815こんな喫茶店で、読み始め。

著者は気象技術官養成所(気象大学校の前身)出身の帝国海軍士官。
敗戦前年の8月に沖縄から東京へ転勤。
その後、大分の航空基地へ転勤、さらに福岡に異動、そこで終戦を迎える。

任務は、気象班員を指揮し、気象観測・観測データの送受信・天気図の作成を行うこと。
目的は、攻撃予定地(海域)の視界とそこに至る航空路上の気象予測。

体験から相当時間を経て書かれた話。
だから、あとになって知ったことや調べた事実・記録・裏付けも書き込まれる。
それにより客観性は確かに増す。
が、記憶と事実・記録をゴッチャにして、話を盛りに盛っている。
何だか異様に威勢がよくドラマチック。

小説・映画・TVドラマなどの幕末物。
その物語の終わり近く、維新の志士が『日本の夜明けは近い』みたいなフレーズを言う。
だが、現実の歴史の流れの中にいる者は、絶対にそんなことを言ったりしない。
歴史を知る のちの人が書くから、『日本の夜明けは近い』みたいなことを登場人物に言わせることができるわけだ。

それと同じ。
だから、
「いよいよあと二時間ほどで、世紀の大航空戦の幕が切って落とされる」
みたいな文章が多い。

「雲底700メートルの雲は層をなし」
と細かいことが書かれている一方で、表題の『八月十五日の天気図』を作るためのデータが、
「入電する観測所が二つか三つしかない」
と、二つだったのか三つだったのかを記憶していない、なんていうのはあり得ない。
のちに知った記録の上に、著者の経験が散らされているといった内容。
著者の実体験だけを抽出したら、本書の厚みは5分の1にもならないだろう。

著者には申し訳ないが、そんな部分は流し読み。

米軍が行っていた気象観測ルーティンが興味をひく。(注)
マリアナ基地を離陸したB29が高度1万メートルを保ちつつ、北九州上空に達する間に5点、そこから仙台沖へと本州上空を直線状に抜ける間に10点、仙台沖から南下しつつ5点の気象観測を行い、その都度 暗号に組んで観測データを基地に送る。
この暗号の解読に成功した帝国は、その観測データを自軍内でも利用していたと。
そのことを米軍が知ったのは、戦後もしばらくしてからのことという。

本夕、読了。

(注)
米海軍は艦隊行動中に、'44年12月にフィリピン海で'45年6月には東シナ海で台風の進路予測を誤って強風・大波に遭遇し、800名近い人命を喪失、加えて艦船・艦載機に大被害を被っている。
それだけのせいではないだろうが、現在に至るまで北西太平洋の航空機による詳細な気象観測を継続している。
米軍の公開する台風の規模・進路予測は、気象庁発表のものより精度が高いと評価する人が多い。

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2016年2月23日 (火)

『SONIC DESERTER』を読む

マンガ。

現在64歳の新谷(しんたに)かおるが、まだ30歳になる前に発表した作品群の一部。

 

Sonic_deserter_2こんな喫茶店で、読み始め。

10作品おさめられていて、最初に収録されているのが、『SONIC DESERTER』。
『音速の脱走兵』でいいのだろうか。

以下、
『メカニック・ジェミニ』
『ファイター2119』(注)
『試作番号(プロトタイプ)3000』
『定期便(バス・ナンバー)101』
『ラスト・フライト(最終飛行)』
『ホット・ミッション』
『サンダーボルト』
『コブラ11』
『DOUBLE NICKEL』

元からこういう画風のヒトだったのか、アシスタントとして仕えた松本零士の影響なのだろうか。
画風も、ストーリー展開も、擬音までもが松本零士によく似る。

釣師は釣師らしい格好で竿を出し、17歳の女の子は17歳の女の子らしい格好で道を歩く。
もの皆、何となくそれほど広がらずに焦点が定まるもので、全然別な方向に焦点を定められるヒトは尊敬の対象となることもあるが、誰にも相手にされないことになる確率も高い。

よく似ることが、悪いわけではない。

本夕、読了。

(注)
森博嗣は、『ファイター2119』を読んでいるはずだ。
森博嗣の『スカイ・クロラ』には、『ファイター2119』とそっくりなシーンがある。

よく似ることが、悪いわけではない。

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2016年2月21日 (日)

冬山を歩く 13

北西の季節風強く、沖に出られない。

で、山へ。

登り:西尾根コース
下り:夏道(南尾根)コース

160221【画像:1枚目】
ザックにスノーシューをくくりつけて入山。

650メートルあたり。

ここで、すでに登り終えて下りてきたSさんと。(注)
「お久しぶり」
「お久しぶりです」
と、2分ほど立ち話。

私は、この手前の斜面を825メートル西尾根ピークまで登り詰め、右手奥の911メートルピークを目指す。
山頂には雲がかぶり出し、ここにも雪の付いた北西風が降りてきている。

【画像:2枚目】
825メートル西尾根ピークにて。
手前の雪庇の右下を抜け、その後、雪庇の左上にルートを変えて この雪庇帯を通過する。

通過後、ダウンがあってアップ、ダウンがあってアップ、ダウンがあってアップ、ダウンがあってアップと、ダウン・アップ4回。
累積獲得高度が増えてゆく。

新しい雪が積もり、深いところは太ももまで埋まる。
背中のスノーシューを足に付ければ15センチ足を上げ下げしたらすむところを、ツボ足だと60センチ以上の上げ下げが必要(^^;
が、結局、ツボ足で歩き通した。

【画像:3枚目】
西尾根コースの最後は、霧氷樹林帯をくぐって歩く。
左が北西。
木の幹は だから南東に傾き、枝が伸びるのもその方向。

風に乗って、霧氷のかけらが落ちてくる。

【画像:4枚目】
山頂にて。

山頂寒暖計は、氷点下1℃。
風は強いが、暖かい。

山頂には3人。
私のほかの お二人は、
平地を歩くより速い登り脚で私を抜いていった、某山岳会所属のスーパー山男。
そして、今年、槍ヶ岳・奥穂高に行く予定で、今日はこれから孫とスキーをするというスーパー山お姉様。

このメンバーで私が会話に入れるはずもなかろうが、でもどういうわけかしばしの立ち話が成立。

雲が下がってきた。
最短距離で下りましょうってことになり、夏道(南尾根)コースで下山。

山歩き時間、3時間50分。
10988歩。

飲食なし。

Gpslog_3(注)
このかた、室蘭岳では有名な山お姉様。
年に200回以上、室蘭岳の山頂に立つ人。
長いコースを歩くに加え、とても速い。

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2016年2月20日 (土)

冬山を歩く 12

今朝の風は弱かった。
が、しかし、風の読み違い。
夕べ、船を下架していない(^^;

マリーナのクレーンの動く時刻から沖に出ても、さて・・・
今日のナギは短いだろうと、山へ。

長いルートを。

登り:水元沢コース
下り:西尾根コース

160220【画像:1枚目】
高度を200メートル落とし、鷲別川源流の渡渉を2回終えたところで、機械音。
国有人工トドマツ林の伐採中で、重機が2台。
監督員に誘導してもらって、作業域を巻いて抜ける。

抜けたところで、スノーシューをつけた。

【画像:2枚目】
この2週間、寒い日は寒く、暖かい日は暖かくと気温の振れ幅が大きかったが、降雪量はそれほどでもなかった。
ルートはしかし、その少ない降雪におおわれて、トレースは消えている。

今日は、とても暖かい。
帽子から耳を出して歩く。

山頂まで残り高度200メートル地点あたりからは、雪をかぶった広いササ原斜面。
この斜面に、1ヶ所、2メートルあるかないかの高さの壁がある。
雪のない時は何ということない段差。
だが、今は登りをはばむ方向に雪がせり出し、脚掛かり手掛かりがないので、越えるには雪面に体をつける必要がある。
右か左にジグを切ってかわすのが楽。(注)

前回ここを通過する際には、左にジグを切った。
今日は右へと。

山頂にて。
山頂寒暖計は、氷点下1℃。

【画像:3枚目】
西尾根コースは霧氷樹林帯をくぐって歩くコース。
そこをくぐって歩いた何人分かのトレースが見えるが、気を配って通り抜けたのだろう。
どの木の霧氷も壊れていない(^o^)

眼下、室蘭市内。
画像向こう、噴火湾。

目を左にもっていくと、工場群。
工場の煙突からの排蒸気が、真っ直ぐ立ち昇っている。
ナギは昼まで持ったようだ。

沖に出れば良かった(^^;

160220_2【画像:4枚目】
雪庇帯の最高点が、西尾根825メートルピーク

そこで、スノーシューからアイゼンに替えた。

【画像:5枚目】
ペトトル川の瀬音が聞こえてきた。
ここをひとまたぎ、40メートル高度を上げて山歩きの終わり。

アカゲラの木を叩く音が響く。

山歩き時間、5時間20分。
15219歩。

給水量は、
・150CC

山頂にて、
・中ノ目製菓 十勝金時甘納豆 6粒

(注)
〝ジグを切る〟とは傾斜をジグザグに登る(下る)こと。

Gpslog_2

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2016年2月18日 (木)

『日本人の英語力』を読む

沖縄の主権が米国から日本に戻ったのは、'72年。
6年後の'78年、沖縄の交通ルールが変わり、自動車の右側通行が左側通行となった。
この時、
『車の右側通行が世界の大勢だ。 沖縄の交通規則を変えるのではなく、本土の交通規則を変えるべきだ。』
と言ったヒトがいた。

香港、インド、フィリピンなどの公用語は現地語にプラス英語。
英語国の支配を受けたからで、返還・独立後の今もそう。
香港、インドは英国に租借・植民されたから、車の通行も英国式の左側通行。
フィリピンは米国に植民されたから、車の通行は米国式の右側通行。

沖縄上陸後の米軍は、車の右側通行をただちに実施。
なのに、日本本土に進駐した占領軍(GHQ)は、なぜかそれを施行しなかった。(注1)

というつながりで、公用語について。
日本の占領は連合国軍によって行われたが、事実上、米国及び英国連邦軍によるもので他の連合諸国軍の進駐はなかった。
であるのに、日本語に加えて、なにゆえ英語も公用語としなかったのかが不思議。(注2)

以下、植民とか占領とかを受ける側の民族意識とか国家観といった、重い話は脇に置く。
言葉に限った話。

 

Marsha_krakowerこんな喫茶店で読み始め。
著者は、マーシャ・クラッカワー。(注3)

表題は『日本人の英語力』だが、日本人の英語能力を評論しているわけではない。
ビジネスや公のパーティや会議の場で使うにふさわしい、品位ある英語を話すには、という内容。

品位ある英語を話す必要があるのは日本人に限るわけではないから、キャロライン・ケネディやヒラリー・クリントンの言葉づかいも話題に上がる。

単語の省略からスペルの省略まで進んでゆく Internetese(インターネッティーズ:インターネット語)という言葉があるそうだ。

著者は言う。
そんな英語や立ち話英語を使うネイティブスピーカーのマネをしてはいけない。
How to say it(どのように話すか)よりも What to say(何を話すか)が大切、中学・高校で学ぶ正しい英文法をベースにしてと。

ところで、私の英語力は中学1年1学期終了程度(^^;

中学・高校で学ぶ正しい英文法というものが、そもそも身についてない(^^;

ただ読んだだけ(^^;


(注1)

GHQは日本本土においても右側通行とすることを意図していた。
が、実行しなかった。
バスの乗降口を変える費用・技術がなかったのが理由だと伝えられているが、根拠としては薄い。

今の日本にある車は8千万台。
バスだけで20万台をこえる。
敗戦直後、日本国内にあった車両は10万台にも届かず、内、バスは1万3千台ほど。
東京駅前の交差点でさえ、交通整理は警官の手信号。
ワンマンバスはなく、必ず車掌が乗っていた時代だった。
やれたはずだと思う。

(注2)

無条件降伏した国を占領するわけだ。
だから当然のこと、GHQは公用語に英語を加える占領プログラムを持って日本に進駐している。
実際、'45年9月2日、日本が降伏文書に調印した その直後、
英語を日本の公用語とする〟旨の布告文書を日本政府に渡している。
その施行は翌3日10時から。
これは結局 布告されなかったのだが、そこに至る2日から3日にかけての経緯は大変に面白い。

ただし、〝
英語を日本の公用語とする〟ではなく、〝日本語に加えて英語も公用語とする〟という布告なら、香港・インド・フィリピンなどと変わらないから、実行されていた公算大。
日本が占領下にあった期間は7年。
当初より7年で終わるという工程表が引かれていたわけではなく、日本の変わり方次第で3年かも10年かも50年になるかもしれなかった。
いずれにしても、現在の我々が日本語と英語のバイリンガルになっていた可能性はかなり高かった。
そうであったら、私は本書を手にしなかったはずだ。

(注3)
米国人を父に、日本人を母に持ち、東京で生まれ育った人。
アメリカンスクール、聖心と日本で学んだのち、米国の大学院で英語教授法を修めている。
完璧な英語と完璧な日本語を書き話せる日・米語バイリンガル。
現在、母校の教授。

聖心では、厳しい先生として通っているようだ。
学生には、マーシャ先生などとファーストネームでは呼ばせず、
  Professor Krakower
  Ms. Krakower
  クラッカワー先生
のいずれかで呼ばせていると本書内に記されている。

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2016年2月14日 (日)

札幌駅にて

2月4日の記事 『文学の中の鉄道』を読む で、〝鉄道は大量のヒト・モノの移動を目的とする機関なので、鉄路が結ぶ各点はヒトの活動地。〟と書いた。

〝ヒトの活動地と活動地を鉄路で結ぶ〟という時間順は自然の流れなのでそう書いたが、そうではなく、〝活動地とするために鉄路を敷く〟という人為的な歴史の流れもあった。

例えば、軍事拠点地に向かう鉄路。
また、大住宅地造成に伴う鉄路の敷設。
東急の歴史がそれ。

160214_2本日、所用あって札幌。

北海道の鉄道のスタートは、小樽市内の南小樽-手宮。
札幌と小樽を結ぶのは、そのあと。
道庁所在地としての札幌のスタート自体が計画都市。

ということとは全然関係なく、この冬、札幌は雪が少なく歩きやすい。
駅から半径1キロ以内の3ヶ所へ、全て徒歩で所用完遂(^o^)

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2016年2月13日 (土)

「本日十分」ということにしておこう(^^;

今日の日出は6時36分。
6時10分、出航。

160213【画像:上】
17分海域、水深120メートルでシーアンカーを入れた。

雲の底が低く、オカは全く見えない。
日がさえぎられ、空にも海にも色がない。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

【画像:下】
スケソウのマヌケ面が嫌い。
銅色に光る肌の色が嫌い。
が、今時期は意識して避けないとスケソウが掛かる。
一昨日の釣行では、30キロほどもあがり某家に貰っていただいた。

今日も、いつの間にかスケソウが寄ってくる。
寄ってくるスケソウのタナの下で、毛鈎を泳がす。

2月6日の記事で、私の釣果評価を、

 1尾も掛からなくとも、まァ、そんなもンでしょう(^^
 1尾掛かれば、ホッ(^o^)
 2尾掛かれば、納得(^o^)
 3尾掛かれば、満足(^o^)
 4尾掛かれば、十分(^o^)
 5尾以上掛かれば、こんなに掛けてどうしよう(^o^)

と書いた。

海ヤマメが2尾混じったが、「本日十分」ということにしておこう(^^;

正午、沖上がり。

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2016年2月11日 (木)

作業を継続しただけ(^^;

登山靴とザックを車に積んで、家を出た。

二つ目の交差点で赤信号。
ンっ。
交通安全の黄旗が垂れて、そよとも動かない。

Uターンして、山装束から釣り装束に着替えた。
それ行け、沖へ。

8時30分、出航。

160211【画像:上】
地球岬をかわした後は、良ナギ。
25ノットの高速航海で、北東に上る。

水深106メートルで、シーアンカー投入。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
19分、登別沖。

【画像:下】
タナを上げても下げても、いつの間にかスケソウが寄ってくる。
マスを狙うにふさわしくない海域に浮かんでいることを悟り、移動を考えた矢先、マス(^o^)

で、移動せずに、毛鉤を泳がす作業を継続。

作業を継続しただけ(^^;

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2016年2月 9日 (火)

『山人たちの賦』を読む

昨年末12月23日の発行と新しい本だが、内容は'86年出版の復刻。
13の話が編まれていて、内11話が'86年出版時の本におさめられていたもの。
復刻にあたって書き下ろされた2話が追加されている。
その2話の内容も、時代は30年ほど前のこと。

 

Kaizaki_keiこんな喫茶店で、読み始め。

30年前に書かれた12話は、表現が大変に若い。
著者、34、5歳の頃。
取材相手は全て自分よりひと回り・ふた回り・み回り年上。
だからだろう、山を生活の場とする人たちと比べ、自分の山経験の少なさ、山歩き技術乏しさを卑屈さを感じさせるほどに自身を低い所に置いて書いている。

30年を経た今現在の書き下ろし2話が枯れた表現になったかたというと、 いやいやいや。
変わらず、30年前と同じ。
若い。

いずれも、開発、建設、モノ作り、研究ルポルタージュ本と共通した言葉づかい。
副題が『山暮らしに人生を賭けた男たちのドラマ』。
この表現からして、筆づかいが分かろうというもの。

山で暮らしていても、冬には暖を取れ、呑もうと思えば毎夜でも酒が呑める。
山には山の大変さがあるだろうが、町にも町の大変さがある。
そして、町には町の住み良さがあるように、山には山の住み良さがある。
山暮らしをしているヒトは、山が好きで、山が住み良いから山にいるだけのこと。
別に、山での生活を強いられているわけでもない。
〝人生を賭けた〟というのは何ぞのことや。

みたいなことを言ってしまえば、身も蓋もない(^^;

〝山人たち〟と〝我々〟の違いは、山が〝生活・仕事の場〟か〝レクレーション・スポーツの場〟かということだろう。

〝生活・仕事〟としているのは、マタギ、岩茸(いわたけ)採り、イワナ養殖、ボッカ(歩荷:強力(ごうりき))・川魚釣り漁師等々。
いずれも、傾斜を自分の脚で登る必要のある職業。

私の傾斜登りは、レクレーション。

本夕、読了。

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2016年2月 7日 (日)

冬山を歩く 11

北西の季節風強く、我が小船では沖に出られない。
で、山へ。

登り:西尾根コース
下り:冬コース

160207【画像:1枚目】
ヒュッテから40メートル高度を落とし、ペトトル川の源流をひとまたぎ。

雪は締まっている。
が、渡渉先で、アイゼン代わりにスノーシューを付けた。

瀬音を右手に聞く。
鳥の声。
それらが、雪に吸われて消える。

静寂の白。

【画像:2枚目】
標高700メートル付近にて。

手前の斜面を登り詰め、西尾根825メートルピークに立つ。

以降、雪庇帯・深雪帯・霧氷樹林帯と、尾根を伝って高度を上げる。


ここまでは、空に青色が見えていたが、数分後、雪の付いた強風。

【画像:3枚目】
山頂にて。
山頂寒暖計は、氷点下11℃。

【画像:4枚目】
この冬、初めて冬コースを歩く。
冬コースを下りて間もなく、山ボーイ3人・山ガール2人の5人パーティーに追いつく。

追いつくも、スノースライダーで滑り降りる彼ら彼女ら。
たちまち、置いていかれる。

山歩き時間、2時間50分。
13602歩。

飲食なし。

Gpslog

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2016年2月 6日 (土)

我が艇基準でも、いいカタ未満(^^;

昨夕は、強い西風。
室蘭気象台だけが、今日の風と波に釣師を喜ばせる予報を出していた。

で、昨夕、船を下架。

今日の日出は6時45分。
6時30分、出航。

22ノットで沖へ。

160206【画像:上】
この時季のナギは、大変に貴重。
かつ、この時季、ナギならサクラマス海域へと舵を切らねばならない。
ということで、地球岬をかわしてのちは、北東に上った。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

【画像:下】
サクラマスの魚体評価は、体長よりも体重。

 1.5キロなら、『まァまァ』(注)
 2キロ前後で、『オォ、いいカタ』
 2.5キロを越えると、『スゲ-なァ』
 3キロを越えると、『一度、見てみたい』

で、釣果評価の私の感覚は、
 1尾も掛からなくとも、まァ、そんなもンでしょう(^^
 1尾掛かれば、ホッ(^o^)
 2尾掛かれば、納得(^o^)
 3尾掛かれば、満足(^o^)
 4尾掛かれば、十分(^o^)
 5尾以上掛かれば、こんなに掛けてどうしよう(^o^)

本日、釣果満足(^o^)

今朝になって、室蘭気象台の予報が変わった。

10時30分、北西風が降りてきた。
同時刻、沖上がり。

(注)
〝1.5キロなら、『まァまァ』〟という評価ができるヒトはマス名人。
上に記したのは、名人がする評価。

私の実釣果から言うと、胆振沖太平洋では以下の評価が妥当だと思う。
 1.5キロなら、『オォ、いいカタ』
 2キロなら、『スゲ-なァ』
 2.5キロを越えると、『一度、見てみたい』
 3キロ越え、『いるわけない』

本日の最大魚、1.37キロ。
我が艇基準でも、いいカタ未満(^^;

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2016年2月 4日 (木)

『文学の中の鉄道』を読む

鉄道は大量のヒト・モノの移動を目的とする機関なので、鉄路が結ぶ各点はヒトの活動地。
また、タイムテーブルのもとにヒト・モノが移動・離合集散するから、孤独・雑踏、出会い・別れが時刻ごとに発生・消滅してゆく。
劇的さも平凡も、複雑も単調も、病気も健康も鉄道の風景に現れて消えてまた現れる。
だから、文学・映画・歌謡のしばしば重要な舞台、あるいは添景となる。

本書は、作品中に鉄道が現れる日本の文学作品を初出年順に並べ、解説を加えたもの。

 

Book_4こんな喫茶店で、読み始め。

扱われている文学作品は、
正岡子規『はて知らずの記』 1893(明治26)年
から、
有川浩 『阪急電車』2008(平成20)年
までの60作。

1作品に割かれるのは5ページ。

5ページは短い。
しかし、あなどるなかれ。
これが、思いのほか読むのに時間を食う。

夏目漱石、松本清張、三浦文子など有名作家の作品が取り上げられているのだが、私の既読本は1つもなし。
そのことは、しかし、本書を読む上での障害には全然ならない。

著者は、鉄道史研究家・旅行ライターの原口隆行。
〝旅〟という あれもこれも書きたくなるテーマを、限られたスペースに記事にすることを日常にしているプロ。
5ページの範囲内で、作品のあらましに加えて鉄道の話が見事におさめられている。

なお、情景が目に浮かぶ読書とするには、読む側に義務教育レベル程度の日本地理の知識があるといい。
地理(だけじゃないけれど)に弱い私は、中学生用地図帳をそばに置いて本書を読み進めた。

本夕、読了。

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2016年2月 1日 (月)

『督促OL 修行日記』を読む

キャッシングとは、〝借金〟。
〝ツケ〟・〝ローン〟。

某信販会社(クレジットカード会社)では、キャッシングの返済が契約支払日から遅れる人、つまり支払い遅延者が5人に1人いるのだそう。
その信販会社に、ある年に就職した新卒が100名超。
内、債権回収部署に配属されたのが、男10名・女3名の計13名。

督促とは、〝債権回収〟。
〝取立て〟・〝借金取り〟。

就職後、督促業務を見習い、時には授業料を払ってセミナーで学び、職業人としてのキャリアを積み上げていく話。

 

Dunning_2こんな喫茶店で読み始め。

著者のプロフィールがよく分からないが、文中に就職氷河期に採用されたとある。
今から15、6年前、’00年前後の入社だろう。

著者が新人OLの頃、7時から23時まで勤務したことがある。
ときには12連勤になった。
と、書いている。
しかし、その程度の勤務なら標準偏差±σの範囲。
日本中の企業が〝24時間 戦えますか〟が異常でも特殊でもなかった時代だった。
今でも、おおかたは〝22時間 戦えますか〟くらいだろう(^^;

信販会社の督促業務の現場はコールセンター。
督促電話ノルマは1時間に60本。
ほとんどの返済遅延は、うっかりミスで生じるのだと思う。
だから、大概は、
「お引き落としができませんでした。 お支払いをお忘れではございませんか」
「ハイ、申し訳ありません、ウッカリしてました。 御免なさい。 明日、銀行に入金します」
で終わるのだろうけれど、それでも1時間に60本、これはキツイだろう。

遅延が2ヶ月を越えると長期延滞者とされ、カードが停止される。
以降、カードを作れなくなることもある。

信販会社としては、それは避けたい。
建て前としては、
「お客さまが信用をなくすのはお客さまの不利益。 それは避けさせるべき」
本音としては、
「借りた金を返すのは、借りた人の義務。 回収しなければ会社の損。 カードを使ってもらえなくなれば、お客を一人減らすことになる」

実務に付いた最初の日の最初の督促電話。
「うるせぇんだよ馬鹿野郎! ちゃんと支払うっつってんだろ!」
「テメェ! 今度電話してきたらぶっ殺す!!」

督促OLの督促業務の修行が始まる。

本夕、読了。

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