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2015年12月 2日 (水)

『へんな虫はすごい虫』を読む

仕事であったり趣味であったり。
それが自分のものであれば、何と言ってもそれがとにかく〝特別〟で〝特殊〟で〝大切〟なコトなのがヒトの感情。

魚釣りを趣味としている人に、
「いい大人が、魚を掛けるのに日出から日没まで。 小さな脳ミソの魚を相手に知恵比べなんてことまであなたはおっしゃる」
なんてことを言ったりしたら、それはもう大変なことに。
いかに魚釣りが時間をかけるにふさわしいことで、大人の頭での工夫・判断が必要で・・・みたいなことを反論してくれるのならまだいい。
ひと言の反論もなければ、すでにあなたはクモ・ダニ・ヤスデのように思われていること間違いない(^^;

たいていの人にとって、虫の生態なんぞはどうでもいいことで、〝特別〟で〝特殊〟で〝大切〟なことではない。
しかし、虫の研究者にとっては、〝特別〟で〝特殊〟で、生涯をかけるにふさわしい〝大切〟なことのようだ。

言い方がおかしい。
時系列を整理すると、当人にとってまず第一に虫が〝特別〟で〝特殊〟で〝大切〟。
それで、虫に生涯を捧げる研究者になった、ということだろう。

Book_3こんな喫茶店で読み始め。

クモ・ダニ・ヤスデまで含めた虫たちが、見開き2ページで説明される。
その2ページ中には図・写真もあるから、説明が圧縮される。
そのせいもあろうが、まァ、とにかくすごい。

表題通り、〝すごい虫〟ばかりが並ぶ。

これも、言い方がおかしい。
〝すごい虫〟ばかりが並んでいるのではなく、全ての虫は〝すごい〟。

擬態・共生など虫の今の姿・生態を、著者は〝進化〟によって得たと言うけれど、私には、その〝進化〟というものがどうにも腑に落ちない。

毒を持つので鳥が食べないマダラチョウ。
それとそっくりな羽根を持つことで、鳥からの捕食を逃れているメスアカムラサキチョウ。
食虫植物のウツボカズラの補虫袋の中で育つボウウラ。
ハチやアリの社会性。

まだまだ一杯ある。

〝進化〟という言葉は生物を説明するのに窮した時にしばしば使われるけれど、まだまだ一杯あるこれらには、本当に〝進化〟という過程があったのだろうか。
時間を必要とする〝進化〟というプロセス抜きに、虫がこの世界に現れたその瞬間、彼らはすでに〝すごい虫〟だったのではなかろうか。

副題が、「もう〝虫けら〟とは呼ばせない!」

〝虫けら〟の世界の〝すごさ〟は、〝特別〟で〝特殊〟で、研究者が生涯をかけるにふさわしい〝大切〟なことに違いない。

今夕、読了。

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