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2015年8月29日 (土)

羊蹄を歩く 8

深田久弥が羊蹄に登ったのは'59(昭和34)年。
彼の著書『日本百名山』(注1)中の「後方羊蹄山」(注2)によれば、それは9月2日のことで、丁度今ぐらい。
ルートは比羅夫(倶知安)コース。(注3

ところで、私のこれまでの7回の羊蹄山歩きで、登ったのは、
 真狩コース   2回
 京極コース   2回
 喜茂別コース 2回
 比羅夫コース 1回

キリよく全コース2回ずつにすべく、本日、久弥が歩いたと同じ比羅夫コースを登下山。

150829【画像:1枚目】
久弥が登った頃は、この基礎の上にまだ建物があった。
建物があったのは'72(昭和47)年までで、築28年で老朽化が進み強風に耐えられず倒壊している。

【画像:2枚目】
比羅夫コースを登り詰めると、火口をはさんで一等三角点のほぼ対面に達する。
比羅夫ピークから、対面の一等三角点方向を望む。

【画像:3枚目】
この1893メートルの一等三角点は旧山頂。
久弥が登った頃は、ここが羊蹄山頂とされていた。
現在は、ここから10分ばかり南の岩稜のピークを羊蹄最高点としている。

【画像:4枚目】
最高点1898メートル。

【画像:5枚目】
最高点直下で、昼食休憩とした。
久弥が登った日は霧で展望がきかず、その中での急登の連続を体操訓練の一種だったとある。
が、しかし、今日の羊蹄、澄んで乾いた風が吹き走り好天。
山頂から得られる展望は、かいた汗に十二分以上に報いてくれるものとなった(^o^)

赤い花のように見えるのは、ウラジロタデの実。

【画像:6枚目】
下山後、洞爺湖越しに仰ぎ見

150829_4る羊蹄。
堂々とした山ではないか。

あの山頂に、この夏、私は8回立った(^o^)

山歩き時間9時間00分。
36032歩。

全給水量は、
 ・600CC
最高点直下で、
 ・コープさっぽろ アンパン(つぶあん) 1個(注4)
 ・コープさっぽろ アンパン(こしあん) 1個
 ・コープさっぽろ カットフルーツ 1パック
 ・キッコーマン 豆乳ココア 200CC

今日のGPSログは、久弥が歩いたと同じコースをなぞったことになる。

久弥、没年は'71(昭和46)年。
享年68。

羊蹄登頂は久弥56歳の時。

(注1)
つい最近、深田久弥著の『日本百名山』を読んだ。
'59(昭和34)年から'63(昭和38)年にかけて山岳雑誌に連載されたものを1冊に編んだもので、連載を終えたのは久弥60歳の年。
ひと山を書き記すのに使っている紙数は5枚。
だから、ひと山ひと山はすぐに読めてしまうが、羊蹄以外は知らない山なので、通して読み進めるのはなかなか難儀なこと。
掲載されている山を見たか登ったかしたことのない人が、この本だけを読んでも全然面白くないと思う。
正直、「後方羊蹄山」以外は、何のイメージも浮かばず面白い読書とはならなかった(^^;

書中、山ごとに写真が1枚が挿入されていて、羊蹄の写真はニセコアンヌプリ側からのショットで積雪期。
雪をかぶって白い山肌の中腹に、北から南にかけてこれまた白い雲をまとった羊蹄山全景写真だ。

撮影は、今も現役の山岳写真家の白籏史朗(しらはた しろう)。

白籏氏の講演を聞いたことがある。
すでに80歳を超えた今でも、彼の入山時装備重量は60キロ。
首に掛けるカメラは4台、それだけで20キロになるという。
80キロを超える装備を背負って山に入ることもあるというから、センスだけでは山岳写真を得ることはできない。

頑強な脚と、衰えない眼と、山を撮る感性。
白籏史朗は、天から三ブツを与えられた人。

本書中の羊蹄山全景写真は、50年以上も前、20代の彼が撮ったもの。

Book_3(注2)
〝後方羊蹄山〟と書いて〝しりべしやま〟と読ませるのが、『日本書紀』の表現。
〝羊蹄山〟と書いて〝ようていざん〟と読ませる表現の定着はそれほど古くない。
せいぜい6、70年くらい前のようだ。

(注3)
さて、『日本百名山』によれば、久弥の行程は以下の通り。

早朝に比羅夫駅を出発。
麓(ふもと)まで下りた時にはとっぷり暮れていたとある。
麓というのは半月湖野営場あたりのことだろう。

9月2日というと、日没は18時くらい。
〝とっぷり暮れていた〟のだから、彼が麓まで下り着いたのは19時くらいか。

小屋(画像:1枚目のこと)に寄って火口を一周したとあるから、大火口(父釜)を巡ったのだろう。
比羅夫駅に早朝に着く列車はというと、倶知安方面から6時半前に着く便が今でもある。
彼は、それに乗って比羅夫に来たのだろう。

以上から、彼は12時間前後かけて羊蹄を登下山したことになる。
比羅夫駅から脚を使っているので、今の比羅夫コース登山者の大半が脚を使い出す半月湖駐車場からに比べて、彼は1時間ほど長く歩いている。
それと昼食休憩を考えても、最新のガイドブックのコースタイムを切れていないと思う。
かなりゆっくり目の歩行ペースで、私の脚と変わらないじゃないか(^o^)
ということで、今日は私も比羅夫駅から脚を使ってみた。

『日本百名山』には、写真に加えて、ひと山ごとのごく簡単な地図も掲載されている。
それには、比羅夫・京極・留産(喜茂別)の名は示されているが、真狩は示されていない。
 ・羊蹄西の比羅夫コースは、比羅夫駅(函館本線)
 ・羊蹄北東の京極コースは、京極駅(胆振線)
 ・羊蹄南東の喜茂別コースは、留産駅(胆振線)
と、登りに取り付くまでに徒歩で1時間程度のところに駅があったのに、羊蹄南の真狩には鉄道が通らなかったことがその理由だろう。
真狩コースが開かれたのは、他3ルートより随分あと、何十年もあとのことだと思われる。
真狩コースの六合目以降火口外縁までは切られたジグ(ジグザグ歩きルート)が多く、登山者の負荷を抑える動線となっているのも、のちになって考えて開かれたルートゆえなのかと思ってみたり・・・

(注4)
久弥の山中食はアンパンが多かったと、別の書で読んだ。
そのマネをしてみた(^^;

Gpslog

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