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2015年8月

2015年8月30日 (日)

始まりは遅いが、麦イカ

イカはスレるということがない。(注)
また、多少の環境の変化があっても食欲を失うということもない。
だから、函館の観光魚市場では、浅い水槽に放されたイカを観光客に〝釣らせる〟という商売が成り立たっている。

イカとはそういう生き物。

氷を20キロ搭載。
4時30分、出航。

150830【画像:上】
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
鷲別沖。

霧雨。
ウネリの来る方向に進まねばならず、往航はやっと7ノット。
復航は、24ノット。

出竿海域、潮が早く、シーアンカーを投入するも、ラインが船首方向に流れる。
ウネリが深く、竿の弾性のみではしのげずに、付いたイカが巻き上げ中に外れる。

半分、取り込めたかどうか(^^;

【画像:中】
今日の同乗は、Hiroshiさん

【画像:下】
例年なら、8月前には登別沖にイカ漁船の漁火が見える。
しかし、今年はその漁火の始まりが遅く、私が定点観測場所としているイタンキの丘からは まだ見えぬ。

が、イカはいた。

始まりが遅かったぶん、すでに秋イカサイズにまで大きく育っているのかなと思っていたが、麦イカサイズ。

夏イカサイズが混じる。

家人に好評なのは、小さくて身の薄い、麦イカ・夏イカ。
ということで、我が家基準では良型イカの水揚げとなった(^o^)

中サバが掛かる。
これが噴火湾に入れば、面白いが。

イカ、船中70ハイ。
サバ、船中20尾。

12時30分、沖上がり。

(注)
ここで言うイカは、スルメイカ(マイカ)のこと。
他のイカのことは知らない。

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2015年8月29日 (土)

羊蹄を歩く 8

深田久弥が羊蹄に登ったのは'59(昭和34)年。
彼の著書『日本百名山』(注1)中の「後方羊蹄山」(注2)によれば、それは9月2日のことで、丁度今ぐらい。
ルートは比羅夫(倶知安)コース。(注3

ところで、私のこれまでの7回の羊蹄山歩きで、登ったのは、
 真狩コース   2回
 京極コース   2回
 喜茂別コース 2回
 比羅夫コース 1回

キリよく全コース2回ずつにすべく、本日、久弥が歩いたと同じ比羅夫コースを登下山。

150829【画像:1枚目】
久弥が登った頃は、この基礎の上にまだ建物があった。
建物があったのは'72(昭和47)年までで、築28年で老朽化が進み強風に耐えられず倒壊している。

【画像:2枚目】
比羅夫コースを登り詰めると、火口をはさんで一等三角点のほぼ対面に達する。
比羅夫ピークから、対面の一等三角点方向を望む。

【画像:3枚目】
この1893メートルの一等三角点は旧山頂。
久弥が登った頃は、ここが羊蹄山頂とされていた。
現在は、ここから10分ばかり南の岩稜のピークを羊蹄最高点としている。

【画像:4枚目】
最高点1898メートル。

【画像:5枚目】
最高点直下で、昼食休憩とした。
久弥が登った日は霧で展望がきかず、その中での急登の連続を体操訓練の一種だったとある。
が、しかし、今日の羊蹄、澄んで乾いた風が吹き走り好天。
山頂から得られる展望は、かいた汗に十二分以上に報いてくれるものとなった(^o^)

赤い花のように見えるのは、ウラジロタデの実。

【画像:6枚目】
下山後、洞爺湖越しに仰ぎ見

150829_4る羊蹄。
堂々とした山ではないか。

あの山頂に、この夏、私は8回立った(^o^)

山歩き時間9時間00分。
36032歩。

全給水量は、
 ・600CC
最高点直下で、
 ・コープさっぽろ アンパン(つぶあん) 1個(注4)
 ・コープさっぽろ アンパン(こしあん) 1個
 ・コープさっぽろ カットフルーツ 1パック
 ・キッコーマン 豆乳ココア 200CC

今日のGPSログは、久弥が歩いたと同じコースをなぞったことになる。

久弥、没年は'71(昭和46)年。
享年68。

羊蹄登頂は久弥56歳の時。

(注1)
つい最近、深田久弥著の『日本百名山』を読んだ。
'59(昭和34)年から'63(昭和38)年にかけて山岳雑誌に連載されたものを1冊に編んだもので、連載を終えたのは久弥60歳の年。
ひと山を書き記すのに使っている紙数は5枚。
だから、ひと山ひと山はすぐに読めてしまうが、羊蹄以外は知らない山なので、通して読み進めるのはなかなか難儀なこと。
掲載されている山を見たか登ったかしたことのない人が、この本だけを読んでも全然面白くないと思う。
正直、「後方羊蹄山」以外は、何のイメージも浮かばず面白い読書とはならなかった(^^;

書中、山ごとに写真が1枚が挿入されていて、羊蹄の写真はニセコアンヌプリ側からのショットで積雪期。
雪をかぶって白い山肌の中腹に、北から南にかけてこれまた白い雲をまとった羊蹄山全景写真だ。

撮影は、今も現役の山岳写真家の白籏史朗(しらはた しろう)。

白籏氏の講演を聞いたことがある。
すでに80歳を超えた今でも、彼の入山時装備重量は60キロ。
首に掛けるカメラは4台、それだけで20キロになるという。
80キロを超える装備を背負って山に入ることもあるというから、センスだけでは山岳写真を得ることはできない。

頑強な脚と、衰えない眼と、山を撮る感性。
白籏史朗は、天から三ブツを与えられた人。

本書中の羊蹄山全景写真は、50年以上も前、20代の彼が撮ったもの。

Book_3(注2)
〝後方羊蹄山〟と書いて〝しりべしやま〟と読ませるのが、『日本書紀』の表現。
〝羊蹄山〟と書いて〝ようていざん〟と読ませる表現の定着はそれほど古くない。
せいぜい6、70年くらい前のようだ。

(注3)
さて、『日本百名山』によれば、久弥の行程は以下の通り。

早朝に比羅夫駅を出発。
麓(ふもと)まで下りた時にはとっぷり暮れていたとある。
麓というのは半月湖野営場あたりのことだろう。

9月2日というと、日没は18時くらい。
〝とっぷり暮れていた〟のだから、彼が麓まで下り着いたのは19時くらいか。

小屋(画像:1枚目のこと)に寄って火口を一周したとあるから、大火口(父釜)を巡ったのだろう。
比羅夫駅に早朝に着く列車はというと、倶知安方面から6時半前に着く便が今でもある。
彼は、それに乗って比羅夫に来たのだろう。

以上から、彼は12時間前後かけて羊蹄を登下山したことになる。
比羅夫駅から脚を使っているので、今の比羅夫コース登山者の大半が脚を使い出す半月湖駐車場からに比べて、彼は1時間ほど長く歩いている。
それと昼食休憩を考えても、最新のガイドブックのコースタイムを切れていないと思う。
かなりゆっくり目の歩行ペースで、私の脚と変わらないじゃないか(^o^)
ということで、今日は私も比羅夫駅から脚を使ってみた。

『日本百名山』には、写真に加えて、ひと山ごとのごく簡単な地図も掲載されている。
それには、比羅夫・京極・留産(喜茂別)の名は示されているが、真狩は示されていない。
 ・羊蹄西の比羅夫コースは、比羅夫駅(函館本線)
 ・羊蹄北東の京極コースは、京極駅(胆振線)
 ・羊蹄南東の喜茂別コースは、留産駅(胆振線)
と、登りに取り付くまでに徒歩で1時間程度のところに駅があったのに、羊蹄南の真狩には鉄道が通らなかったことがその理由だろう。
真狩コースが開かれたのは、他3ルートより随分あと、何十年もあとのことだと思われる。
真狩コースの六合目以降火口外縁までは切られたジグ(ジグザグ歩きルート)が多く、登山者の負荷を抑える動線となっているのも、のちになって考えて開かれたルートゆえなのかと思ってみたり・・・

(注4)
久弥の山中食はアンパンが多かったと、別の書で読んだ。
そのマネをしてみた(^^;

Gpslog

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2015年8月22日 (土)

羊蹄を歩く 7

道道97号から喜茂別(比羅岡:留産)コース登山口に至る道は、車のすれ違いができないほどの狭いダート。
カーナビも案内してくれない。

羊蹄4コースの内、喜茂別コースは使う人の最も少ないルート。
他ルートより火口縁に至るまでの距離が短い、それはつまり急登ルート。
ということで敬遠されるようだ。
が、傾斜がきつければゆっくり脚を使えばいいだけのこと。
大きくて深い段差が他ルートより少ないので、私の脚だと喜茂別コースが一番歩きやすい。

本日、喜茂別コースを登下山。

150822【画像:1枚目】
登山口の標高は360メートル。
そこから40分ほど、カラマツの人工林の中を歩く。
そののち登り。

夕べは雨だったのだろう。
靴が滑った。

1200メートルを超すあたりまでは、エゾゼミ100万匹の鳴き声。
騒音とは感じさせないが、だからと言って詩情を与えもしない鳴き声だ。
なぜなら、強弱変化もリズムもないA♭の単一音階の単調音(^^;

【画像:2枚目】
ロープ場が7ヶ所。
登りではロープ不使用。
しかし、下りではこのロープがバネ性能の劣る私のヒザにありがたい。

このルートを登り詰めると、最高点(1898メートル)に直結する。

登頂時はガスっていたが、やがて1500メートルより上は晴れわたった。

【画像:3枚目】
最高点に立ってのち、父釜(大火口)を巡る。
途中、測候所跡で食事休憩。

向かいにニセコアンヌプリ(1308メートル)が見えるはずなのだが、雲海の中。

【画像:4枚目】
リスの多い山。
目が合った(^o^)
羊蹄山頂のエゾシマリスの冬眠期間は、7ヶ月。

【画像:5枚目】
オノエリンドウは、もう終わり。
これだけしか見つけられなかった。

山歩き時間、10時間00分。
23834歩。
累積獲得高度は、2852メートルになった。

全給水量は、
・900CC

測候所跡で、
・ハウス 温めずにおいしい野菜カレー 1パック
・ライ麦パン 1枚
・コープさっぽろ カットフルーツ 1パック
・森永Piknik エスプレッソ  200CC

歩行中に、
・グリコ ビスコミニパック 2パック

Gpslog

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2015年8月16日 (日)

羊蹄を歩く 6

6月20日から8月8日までの50日間で、羊蹄に5回登った。
この5回、そのたびに咲く花が変わり、地を這う虫・飛ぶ虫が違った。
標高1800メートルの季節の移ろいは、早くいさぎよい。
そこで見る生命は、たくましく・はかなく・美しい。

京極コースを登下山。

150816_3【画像:1枚目】
京極登山口にて。

ガスっているが、風穏やかで好天となる雰囲気。
手前はニンジン畑。

昨日は雨が降り、加えて風が吹いたようで、登山道は雨で掘れ、木の枝葉が積もり、ぬかって歩きにくい。

【画像:2枚目】
独立峰ゆえ、天候の変化は早い。
高度を上げると、雲の湧き出しが追いかけてきて、たちまちガス。

火口縁到達後は、三角点を経由して、ガスにけむる最高点1898メートルを目指す。

【画像:3枚目】
三角点までもどり、食事休憩。

画像奥は、200メートル落ち込む父釜(火口)。

コケモモは赤く結実。
山頂は秋。

【画像:4枚目】
コケモモの中に見つけた、
オノエリンドウ。(注)

山歩き時間9時間10分。
22732歩。

全給水量は、
 ・600CC
三角点東で、
 ・コープさっぽろ ピザ 3片
 ・コープさっぽろ カットフルーツ 1パック
 ・キッコーマン 豆乳抹茶 200CC

4合目まで下山したところで、YAHOO豪雨予報『京極町 激しい雨41mm/h』と。

カメラと携帯を防水袋に避難させ終える間もなく、土砂降り。
全然〝予報〟になっていない。
実況。
実況なら私にだってできる(^^;

(注)

オノエリンドウは、北アルプスでも見られるようだ。
北海道では、羊蹄の1800メートルの等高線付近でしか育たない植物。
同じ環境の大雪でも育ちそうなものだが、なぜか羊蹄だけ。
名はリンドウだが、我々の知っているリンドウよりもずっと背が低く花も小さい。
花は天を向いて咲く。
開花期は、羊蹄の秋季、まさに今。
背が低く花も小さいので見つけるのは難しい。

コケモモの実がすぐ横に見える。
この実の大きさがマッチ棒の頭くらい。

Gpslpg












登りでは、8合目を過ぎたあたりでガイドブックに紹介されているコースから少し北側に移動して歩いてみた。
一面、赤レンガ色の火山砂礫。
そこに巨火山岩と浮いた火山岩のガレ場。
深い溝の登山靴の靴底でもグリップがきかず歩きにくいことこの上ない。
そんなところにも花は咲く。

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2015年8月14日 (金)

『文藝春秋9月号』を読む

『文藝春秋』はコンビニにでも売っているが、誌中の広告ページの対象は極めてハイソ層。(注)
記事も、私のような無知・無教養な者を相手にしていない(^^;
相手にされないのは、まァ、そりゃそうで、十分納得。
ひがみ・ねたみさえ生じない。

ンなオイラだけれど、そんな世界をのぞいてみたい、出歯亀根性(^^;
で、立ち読み。
そして、時々購入。

 

Magazine9こんな喫茶店で読み始め。
左は全面ガラス。
それを通して、西日の直射。

九月特別号。
大特集が、『「昭和九十年」日本人の肖像』。
特集が、『8・12日航ジャンボ機墜落』。

昭和90年、戦後70年、墜落30年と十進法が区切りの特集。
十進法でしか区切りを付けられないのは、我が国の初等教育のどこかに問題があるように思う。
が、気にすまい。

第153回芥川賞受賞作2作の全文が掲載されている。

本夕、読了。

(注)
こういう言い方をしても、文法的には間違っていないと思う。
しかし、文脈は狂っている。
〝売っているが〟の逆接・対比の接続助詞『』がおかしい。
〝売っているが〟ではなく、〝売っていて〟と順接の接続助詞『
』を使うべき。
』だと、ハイソ層にいる者がコンビニを利用するのはオカシナことだということになるが、ンなことはないだろう。

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2015年8月12日 (水)

60キロの氷で、ホッケを〆た(^^;

船に氷を60キロ積み込んだ。
こういう下心が、我ながらイヤラシイ(^^;


4時15分、出航。

150812【画像:上】
港を出ると濃いガスで、視程0.05海里。
ガスの下はナギ。
ナギの海に、先行艇の航跡。

先行艇はAGNES
船団を組ませてもらい、その航跡に乗って南下した。

しばらくするとガスが薄まり、視界が開けてきた。

今日の出竿は、こんな風景の見える海域。
木直漁港沖。

【画像:下】
船団トータルでマダラ1ダース。
で、それは全て先行艇の釣果。

我が艇にはホッケ。
良型だが、これだけ・これのみ・これっぽち(^^;

60キロの氷で、ホッケを〆た(^^;

11時30分、沖上がり。

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2015年8月 9日 (日)

羊蹄を歩く 5

脚が羊蹄を歩きたがっている。

昨日、真狩コースへ。

Mtyotei_2【画像:1枚目(昨日)】
入山時は曇り空だったが、2合目まで上がると、大粒の雨。
ザックにレインカバーをかぶせた。

足元がぬかるみ出して歩きづらくなったが、高度を上げ続ける。
4合目を過ぎたあたりで雨雲から抜けた(^o^)

雨を降らす雲海を下に見て、濡れた帽子とシャツを乾かす風に吹かれて登り詰める。

火口縁に出た後は、父釜と母・子釜を分けるルートを下って登って、最高点1898メートルへ。

【画像:2枚目(昨日)】
最高点直下で、食事休憩。

花はイワギキョウ。
羊蹄では秋の花。

【画像:3枚目(昨日)】
避難小屋に寝床を確保。
今夜は小屋泊まり。

雲海に日が落ちる。
雲海から頭を出しているのは、ニセコアンヌプリ(1308メートル)。

【画像:4枚目(昨日)】
日が落ち、全てを朱に染めてほどなく、闇。
月の出は遅く、23時。

南の雲海上に、横になったサソリのS字。
サソリの心臓、赤いアンタレスと同高度やや西、土星。

手前左は老朽化して使えなくなった避難所の屋根。
右すぐに、一昨年建てられた避難所の屋根。

その屋根越しに、南東の空、ワシ座。

Mtyotei_4【画像:5枚目(今日)】
今朝。
朝日を反射する雲海目指して下山。
右方はるか、雲海から頭を出しているのは、雷電山(1211メートル)。

【画像:6枚目(今日)】
ついこのあいだまで、雪渓からの雪解け水が流れていた沢。

7月4日は、避難小屋に至るのに、この沢の水の中を歩く必要があった。
と言っても、最大水深で2センチ。

今は枯れ沢。

昨日、立秋。
羊蹄は暦通り、吹くのは秋風。
羊蹄を背に、枯れ沢を歩く。

【画像:7枚目(今日)】
下山後、洞爺湖の向こうに羊蹄を仰ごうと。
グラスの左に羊蹄が見えるはずだが、雲の向こう。

以下、二日間合計で。
山中滞在時間28時間10分。
36904歩。
全給水量は、
 ・3.0リットル
全摂食は、
 ・山崎製パン ブランデーケーキ 4個
 ・スコーン 2個
 ・アサヒフード クリーム玄米ブラン 4枚
 ・スーパーアークス カットフルーツ 1パック
 ・Calbee フルグラ 50グラム
 ・カマンベールチーズ 200グラム
 ・グリコ アーモンド効果 200CC
 ・紀文 調整豆乳 200CC
 ・UCC 職人のコーヒー 2ドリップ

Gpslog

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2015年8月 5日 (水)

『悲劇の発動機「誉」』を読む

帝国時代の日本には幾社も航空機メーカーがあったが、代表格は三菱と中島飛行機(以下、中島と称す)。

中島は敗戦後に10以上の会社に解体され、現在の富士重工はその内の1社。
富士重工の企業規模の大きさを見れば、解体前の中島がいかに大きな企業だったかが分かる。
実際、人員規模・製造量において、中島は東洋一の航空機メーカーだった。

例えば、帝国陸軍の『隼』には『ハ25』、帝国海軍の『零戦』には『栄』という1000馬力級エンジンが搭載されていたが、これは中島の設計・製造。
戦争終期の帝国陸軍の『疾風』のエンジンは『ハ45』、帝国海軍の『紫電改』のエンジンは『誉』で、2000馬力級。
これも、中島の設計・製造。(注1)

 

Bookこんな喫茶店で読み始め。

書かれているのは、2000馬力級エンジンの『誉』のこと。

欧米と帝国とでは、技術の歴史的進捗に大きな差があった。
必然、帝国のエンジンは欧米の先進メーカーから製造権を買い、そのコピー、せいぜいモデファイ。
欧米の技術に乗っかってエンジンを作っていた。

乳児の言葉の獲得は、ママの言葉のコピーから。
ピタゴラスの定理は2500年前の知識。
その上に乗っかった科学技術のもとに、我々は生きている。
それらと同じこと。

コピーの発展型はイイトコ取り。
イイトコ取りは、ヒトの進化の基本だ。
『誉』は、英・米の新鋭エンジンで採用している技術のイイトコ取り。
イイトコ取りだから、『誉』の基本設計が世界水準を超えていたのは客観的事実。

その『誉』の設計思想の先進性、試作品完成までの開発スピードの速さ、試作品のベンチテストの優秀さ、そしてそのエンジン開発の主務が大学を出てわずか2年の若者に託されていたことが、当時の関係者への取材、資料に基づいて書かれる。
試作品を作り上げ、その性能測定値が世界水準にあったのは事実なのだが、しかし、『誉』の量産はうまくいかない。
著者はその理由を、
 ・中島の社風
 ・日本と欧米の工業生産思想の違い
 ・燃料、潤滑油のスペック低下(注2)
 ・製造現場への軍の関与
 ・熟練工員の徴兵(注3)
に求めてゆく。

著者自身、ジェットエンジンの設計の現場に長いこと席をおいた人で、知識は豊かで確か。

ああでなかったらこうでなかったら『誉』は世界水準から抜きん出たエンジンだった、みたいなことに話をもっていくわけだから、比較、原因の原因、その更なる原因みたいなところに話が広がる。
だから、取材相手・参考とした資料の数は多い。

本書内に登場する人物の一人が、
「試行錯誤を重ねるような仕事は頭脳明晰な人には不向きであり、多少鈍いほうがよい」
と言う。
この人の言に限らず、〝試行錯誤〟という言葉は本書内に何度も出る。
エンジンの開発(だけではないだろうが)とは〝試行錯誤〟の積み重ねであるようだ。

先に書いたように、〝開発の主務が大学を出てわずか2年の若者〟。
大変に優秀な人だったようで、のちにプリンス・日産でGT-Rのエンジン開発にも携わり日産の専務にまで昇っている。

優秀な人が、欧米の新鋭エンジンのイイトコ取りをして設計しているのだから、それが悪かろうはずがない。
そのイイトコは、欧米において〝試行錯誤〟を積み重ねて獲得した産物。

試作品は作れても、量産できる設計となっていないので、量産の製造現場では設計で求める形状・精度でエンジンを作り上げることができない。
加えて、調整・整備ができる構造になっていないので、運用の現場(それはすなわち戦場)では稼動率が上がらない。

若者が設計したエンジンは、オイルを吹く・シリンダーが過熱する・軸受が焼き付く等々。
その対策を、設計者ではなくフィールドエンジニアが担うことになる。

ここまで読み進めてきて、
「試行錯誤を重ねるような仕事は頭脳明晰な人には不向きであり、多少鈍いほうがよい」
の〝多少鈍い〟とは、実は最上級の謙遜表現であることが分かる。

頭脳明晰な設計者は、オイルを吹く・シリンダーが過熱する・軸受が焼き付く等々の対応には手を出さず(出せず)、〝多少鈍い〟フィールドエンジニアたちや前線の戦場整備員たちの〝試行錯誤〟に対策が投げられる。

今の世にも、聞こえてくる。
「OOは現場を知らない」
このOOには、例えば〝上の人間〟とか〝霞が関〟とか〝本社〟とかあらゆる言葉が入る(^^;

「その場その時の判断は現場の△△に任せる」
この△△には、例えば〝教師〟とか〝指揮官〟とか〝車掌〟とかあらゆる言葉が入る(^^;
とかとか。

逆に、現場の理解者のつもりになって、「デスクにへばり付いていてはダメだ。会議室を出て現場を見ろ」
「◇◇現場は雑事に追われて大変。本来業務をこなす時間が取れない。何とかすべし」
この◇◇には、例えば〝介護〟とか〝教育〟とか〝医療〟とかあらゆる言葉が入る(^^;
とかとか(^^;

そうだ。
OOや△△や◇◇にはあらゆる言葉が入るわけで、どんな世界でも同じ。
だからなのだ、あらゆる人が、ンなところに簡単に言い訳を求めたり、理解者ぶったりする(^^;

日米開戦直前。
中島のエンジン製造工場には米国のエンジンメーカーの技術者が駐在し、工作機械の配置といったごく基本レベルのところから製造指導をしていたという。
それが、帝国のエンジン製造現場だった。

『誉』
星型空冷18気筒
総排気量35.8リッター
質量810キログラム

ああでなかったらこうでなかったら、2000馬力を出したエンジンだった、らしい・・・

長い記事になった。
本書も長い、600ページ近い大作。

本夕、読了。

(注1)
帝国陸海軍で呼称こそ違うが、『ハ25』と『栄』は同じエンジン。
同様に、『ハ45』と『誉』も同じエンジン。
帝国における陸海軍のソリの合わなさは滑稽なほどで、’40(昭和15)年頃までの軍用機のエンジン出力を上げる操作は、陸軍ではスロットルレバーを引き、海軍では押す。
中島では、軍の指示で、陸海軍向けの製造工場を道を隔てて別棟として建てさせられている。

なお、本記事では『ハ45』・『誉』とを区別せずに、『誉』に統一した。

(注2)
『誉』はオクタン価100のガソリンを使用することで設計された。
このオクタン価100ガソリンの製造技術を帝国ではついに得ることができず、米国から輸入、備蓄していた。
高スペック潤滑油も同様、米国からの輸入。

(注3)
製造現場から熟練工員が徴兵で抜かれていったというのは、米国も同じ。
しかも、戦時、工場内の非熟練勤労動員者の割合は、帝国より米国のほうが高い。
かつ、女子勤労動員者の割合も米国のほうが高かったということが、『誉』の量産不調の言い訳にならないところ。

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2015年8月 2日 (日)

こちらのかたがSeaDragonの船長かもしれない

恵山は2時間ほどで登り下りできる山。
このあたり、山が海まで迫っていて、海岸には巨岩が転がる。

SeaDragon船長より、「恵山に行きましょ」とのメール。
私、「行きましょ、行きましょ」と即答。

ということで、恵山登山へ、じゃなくて恵山海域へ。
船団を組んでくれたのは、YellowtailⅡ

150802【画像:上】
今日の出竿は、こんな風景の見える海域。

時折、パラっと雨が落ちるが、通り雨。
ベタナギ。

同乗は、SeaDragon船長。

【画像:中】
もうおひとかた、SeaDragon副船長。
いや、こちらのかたがSeaDragonの船長かもしれない(^^;

このかた、釣りがウマイ。

【画像:下】
イカ海域には職漁船が2、30隻も。
しかし、密に固まっていた船団が、間もなく散る(^^;

正午、沖上がり。

帰航途中、ブリのナブラがあちらでもこちらでも。
YellowtailⅡは、ジグを放った様子。
その釣果を見届ける前に、KON-chan号着岸。

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2015年8月 1日 (土)

夏山(室蘭岳・カムイヌプリ縦走)を歩く

午後より所用。
なので、近場の山へ。
室蘭岳とカムイヌプリ。

  登り:西尾根コース→室蘭岳山頂
 縦走:室蘭岳山頂→596メートルコル→カムイヌプリ山頂
 下り:カムイヌプリ山頂→596メートルコル→水元沢コース

累積獲得高度は1800メートルを超えた。(注)

5時10分、入山。

150801【画像:上】
濃いガス。
と言うより、霧雨。

展望の全く得られない灰色の空気の中を、高度を上げる。
しかし、風穏やかで鳥が鳴く。

室蘭岳山頂にて。
濃いガスの中。
山頂寒暖計は19℃。

【画像:中】
縦走路まで下りた頃、数分の時間も要せずガスが取れ、夏の日射。

トンボ、タテハ、アゲハが飛び出した。
白や黒の小さな双翅目が群飛。
地面には、コガネムシやオサムシなどの甲虫が、そこここに。

山が生きている。

カムイヌプリ山頂にて。
雲の下は室蘭市街。
雲の向こうは太平洋。
明日はナギだろう。

【画像:下】
鷲別川源流域に咲くのは、夏の花。

カムイヌプリ山頂で、
 ・キッコーマン 麦芽コーヒー 200CC
 ・レフボン レーズンブレッド 1枚
 ・コープさっぽろ カットフルーツ 1パック

全給水量は、0.4リットル。

山歩き時間5時間55分。
28963歩。

(注)
1800メートルという数字は、羊蹄の山頂に立つ際に稼がなくてはならない高度とそれほど変わらない。
実際、今日の山歩きでも、羊蹄山を登り下りしたに相当する程度の運動負荷があったものと。
しかし、心理的及び体感的には、今日の山歩きのように高度を獲得する過程で下りや水平部がチョコっチョコっと混じる山歩きはその変化が楽しく、運動負荷を感じさせない。

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