羊蹄を歩く 2の1 登り編 京極コース
先々週、「羊蹄に一度も登らぬバカ」ではなくなった私。
私の貧脚でも、楽しく羊蹄に登れた。(注1)
昨日、入山。
昨夜は、羊蹄山西側九合目にある避難小屋に宿泊。
今日 下りてきた。
日帰りで登り下りできる山を、登りに1日、下りに1日かけたのだから、これは楽だった。
楽して「二度登るバカ」になった私(^^;;
先々週は、真狩コースから登り、倶知安(比羅夫)コースを下ったので、羊蹄の西側を ⊃ 型に歩いたことになる。
昨日今日と、今度は羊蹄の東側を ⊂ 型に。
登り:京極コース
下り:喜茂別(比羅岡:留産)コース
両コースとも、山を挟んで倶知安から遠い対面側にあり、倶知安からタクシーを配車してもらえる地域ではない。
京極にもタクシー会社があるのだが、観光ハイヤーを主業としていて非常に使いにくい。
それぞれの登山口から4キロほど離れたところにバス停があるが、1日3便の過疎便。(注2)
これも使いにくい(^^;
京極コース登山口と喜茂別コース登山口の間は15キロ。
実行したプランは以下の通り。
朝いち、喜茂別コース登山口近くに自転車をデポ。
その後、京極コース登山口に車をデポして山頂を目指す。
喜茂別コース下山後の車の回収は自転車で。
回収路の初めに、ダートが3キロ。
回収路の終わりに、4キロで高度を250メートル上げる登り勾配。
残りは緩やかなアップダウンの舗装路。
大丈夫だろう。
以下は、昨日のこと。
【画像:1枚目】
京極コース登山口にて。
正面にある羊蹄はガスって見えない。
5時、入山。
【画像;2枚目】
登り詰めて、火口外周縁。
京極コースピーク(1892.7メートル 一等三角点)。
少し以前の地図やガイドブックでは、ここが山頂。
現在は、ここを旧山頂と呼び、最高点1898メートルを新山頂と呼ぶようだ。(注3)
最高点は、重機で積み上げたようにさえ見える尖った岩の集合。
せいぜい数人が、やっと立てる形状。
この形状では測量のためのトランシットを据えられるはずもなく、それで、ここに三角点を置いたのだろう。
キレイなすり鉢状の頭の成層火山の火口だと外周縁に高低差はあまりないので、羊蹄では(富士山もそう)火口外周縁グルリひと周り全てを山頂と言う。
【画像;3枚目】
火口外周縁グルリひと周り全てが山頂。
ではあっても、やはり最高点(1898メートル)へ(^o^)
【画像;4枚目】
最高点に立ったのち、岩稜帯をかわす。
真狩コース九合目まで下り、北にトラバースしばし。
避難小屋にて。(注4)
【画像;5枚目】
避難小屋内。
昨夜の私の寝床。
夕食を含む全給水量は、
・1.0リットル
昼食兼夕食は、
・尾西食品 山菜おこわ 1袋
・サタケ きのこのパスタ 1袋
・シナモンミルクティ 200CC
・カマンベールチーズ 100グラム
(注1)
脚を使うペースが同じならば、室蘭岳を歩くのも羊蹄山を歩くのも、時間当たりの負荷は全然変わらない。
羊蹄は長い。
長い分、脚を〝ゆっくり、ゆっくり〟使って時間当たりの負荷を下げる。
体力のないモノが、長い山を歩くにはこれが全て。
室蘭岳に登れる人なら〝ゆっくり、ゆっくり〟脚を使えば、羊蹄山にも登れる(と思う)。
今の羊蹄は、〝ゆっくり、ゆっくり〟歩くにふさわしい頻度で花やエゾシマリスが現れてくれる(^o^)
(注2)
伊達紋別-倶知安をつなぐ胆振線が、羊蹄山の東半分を巻いて走っていた。
1日10便。
’86年の廃線前の登山者は、胆振線の駅から羊蹄登山口に向かったのだと思う。
廃線後は国鉄バスが鉄路を代替。
現在、喜茂別・京極・比羅岡(留産)をつなぐのは道南バス。
ただし、朝・昼・夕の1日3便。
(注3)
’82年と’02年版の『理科年表(国立天文台編)』が手元にある。
それの〝地学部〟をめくると、
’82年版における羊蹄山の標高は、1893メートル
’02年版における羊蹄山の標高は、1898メートル
となっている。
(注4)
6月中旬から10月上旬まで、管理人が常駐。
避難小屋と称しているが、実際の使われ方は山小屋。
毛布・シュラフを借りられるというのが助かる。
1800メートルの高所の夜は寒い。
私は、毛布もシュラフも借り、毛布をマット代わりに敷いて寝た。
実際の使われ方は山小屋だが、やはり避難小屋。
水・食事は自分で持ち上げなければならない。
予約もできない。
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