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2015年1月29日 (木)

『インド人の頭ん中』を読む

異郷。
そこが大都会であってもド田舎であっても、我が町から遠く離れていればいるほど、そして地形・気候といった自然や歴史・言語・食・習慣・教育・宗教といった文化が自分の生まれ育ちとかけ離れていればいるほど、人は〝感じ〟、それを誰かに伝えたくなるものだ。
旅行者が数日間の滞在で得られる〝感じ〟でさえそうだ。

そこに住む。
そこに住み、何年か経てば、〝感じ〟は〝生活〟に変化する。

独身女性が単身、インドで生活。
『インド人の頭ん中』、インド生活4年を経て書かれたもの。
その間に、インド公用語のヒンディー語(注)をマスター、インド人の〝カレ〟もいる。

川染さんからお借りした。
冬野 花著(中経文庫)。

150129マックカフェで読み始め。

インド人は数学に強く、シリコンバレーにはインド人が多いとか、〝0〟の発見はインドにおいてだとか、日本の〝九九〟に相当するのが〝19×19〟だとかといった誰でも知っているような話は出てこない。
音楽・スポーツ・出版・映画・TV番組といった、芸術・芸能・娯楽・趣味的な話も出てこない。

ヒトの話。
ヒトとヒトとの接触からくるインド人の話。

インドのカースト制は根深い。
生まれ落ちたカーストと職業が直結している。
掃除屋を職業とする家に生まれた者の職業は、掃除屋。
床屋は床屋、商人は商人。

筆者は言う。
「インドには『直接の目的』以外のことに頭が回らない人々がいる」
例えば、排水口の詰まり。

配管工が竹竿を持ってやってくる。
詰まり個所までに長さが足りないことが分かる。
配管工が言う、「だんな、どうしたらいい」
次に何をすべきなのかを、教えて命令しなければならないのだ、客がプロに。
「長い竿を持ってこい」
それを二度三度繰り返し、やっと『最終目的』に至る。

筆者は言う。
「インドには『直接の目的』の向こう側に思考がつながらない人々がいる」
例えば、ちょっといいレストラン。

ウエイターがシャンペンの開栓動作。
開かない。
なかなか栓が抜けない。
「こうやれば抜ける」とウエイター。
で、ビンを振る。
抜けやすくはなるだろうが、噴き出すだろう。
が、「振るのをやめろ」と言っても振る。
それを二度三度。
結局、シャンペンのオーダーをキャンセルすることになる。

暑さ。
ホコリ。
貧困。
頻繁にある停電。
停電に伴う断水。
そこここに転がっている牛・犬そしてヒトのフン。
性欲でパンパンになっている男たち。
差別、それも徹底した差別。
区別、それも徹底した区別。
頭の回らないヒトたち。
思いの至らないヒトたち。

筆者のインドを見る目、語る言葉は批判的である。
批判を通り過ぎて、軽蔑的とさえ言える。

しかし、筆者は言う。
「インドには『否定』がない」

何でもかんでもまぜこぜのまま、あるがままに放っておく。
存在の全てを認める。
あとは神様にお任せする。
と。

そのインドに筆者は30歳から住み、すでに在住10年になる。

(注)
著者によれば、日本語とヒンディー語は語順が同じで、インド人が日本語を修得するのも、日本人がヒンディー語を修得するのも短時間ですむらしい。
ただし、インドでは話し言葉はヒンディー語でも読み書きは英語が普通。
さらに、ヒンディー語は音が多い。
インド人はネイティブ語を二つ有していて、かつ多数の音を持っているので、語学修得のための基礎脳レベルが、初めから大変に高いところにあるのだろう。
著者によれば、「インド人はどこの国の言葉でも、ビックリするほどすぐにしゃべれるようになる」とのこと。

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コメント

私は、インドへ行く飛行場の本屋でこの本を見つけた。
飛行機の中でたいへん、おもしろく時間をつぶせた。
 とりわけ、道にまよって、近くにいる人に○○は
どっちと聞いたら、こっちだよと教えてくれた。
でも、そっちには無くて、戻って、どうして
嘘を言うのだとと聞いたら、判らないと言ったら
ノリが悪いから、つまらないではないか
と言うような答えだったそうだ。
これが、インド人の性格というか、良く表して居るなぁ
と感じた。実際にインドに行ったら、トイレの前で
ティシュを渡したりドアを開けたりして、お金をもらっている人、きっとカーストの下の方の人なのだろう。
でも、明るく暮らしているようだし。
下半身が不自由で、スケボーに座って、国道を横断している人も居る。道路の横のブルーシートの家で
暮らしている人も沢山いる。片や大理石の巨大な礼拝堂
を作って寄付している人もいる。共産国なのに、この貧富の差は、何なのだろう。
道路に野良の犬、猫はもちろん、野良牛、野良豚もうろうろしていて、お互いに干渉しない。
そんな、雰囲気のある、気温42℃の国でした。

投稿: 川染 利夫 | 2015年1月30日 (金) 12:41

川染さん、こんにちは

『インド人の頭ん中』、楽しく読ませていただきました。
どうもありがとうございました。

12億も人がいますからねェ。
合理化、自動化、集合化、共通化、多機能化は低カースト層から職を奪ってしまうことになるんでしょう。
中国もそうで人が大勢いるので、バスや路面電車には車掌が乗っていて、高速道路の料金所は有人、列車の切符も窓口販売、ちょっと気のきいた料理屋だとトイレには手拭きタオルを持った人がサービスしてくれます。
何の専門性も特殊性もないのに、分業の単位が細かい。
もっとも、昨年は中国でもワンマンバスやETCを見ましたが。

インドはすごいなァ。
すごいので、インド出張の場合、帰国はタイのプーケット経由です。
色んな意味でひと呼吸入れてリハビリティーションしないと、印→日の切り替えができないというのが理由です。

インドの強みは、準公用語が英語だというところですね。

投稿: KON-chan | 2015年1月30日 (金) 18:33

どうも、ツアーに参加すると英語でしゃべる機会がないです。インドでは自由時間がほとんど無かったし
危ないから、ホテルの外には出させてもらえなかった。
唯一、スーパーマーケットの出口に居たガードマンと
話をしただけでした。英語が普通に使えると自由に
旅が出来ていいのですけどねぇ。
 トラックの荷台に載っていた姉妹らしい女の子が
私たちのバスを見て手を振っていたのが印象的でした。

例の「試験に出ない英単語」一つだけ、なんとか覚えました。on purposeは わざと とか 故意にと言う意味を
覚えたし、dumpはウンコと言う意味があるとは、知らなかった。

投稿: ja8oxy | 2015年1月31日 (土) 06:35

私の英語は読むには困りませんが、聞く話すは全くダメ。
「試験に出ない英単語」のCDも、文章を見ながらでないと全然聞き取れません。

インドを守備範囲とする某総合商社員に聞いたことですが、インドの英語の発音・アクセントは大英帝国に殖民されていたとは思えないほど特殊らしいですね。

もう、語学は新しいことはもちろん、維持も難しくなってきました(^^;

投稿: KON-chan | 2015年1月31日 (土) 15:39

cdを聞き取れれば、すばらしいですね。
何回も何回も繰り返し聞いて、ああ そーなんだ
です。早すぎて、全然ダメですよ。

全部、暗記は出来ないけど、おもしろそうなものを
暗記しようと思ってました。

投稿: JA8OXY | 2015年2月 1日 (日) 06:40

一語一語区切って発音してくれませんからね。
リエゾンでのつながりは書いてあるものを見ないと、私の耳では全然分かりません。
美空ひばりは英語を全く理解できなかったそうですが、英語の歌をコピーできたと何かで読みました。
米国人が聞いても何の違和感も感じさせない、完璧な発音だったと。
耳が良くないと語学は身につけられませんね。
歌がうまかったり楽器のできる人は、総じて語学に強いように思います。

私、音楽の成績悪かったです(^^;

投稿: KON-chan | 2015年2月 1日 (日) 12:01

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