『軍艦と鋼材』を読む
著者は平賀譲(ひらが ゆずる)。
「大正十年三月二十六日 日本鉄鋼協会総会に於いて」とあるので、業界主催の講演会か懇談会の資料として配付されたものだろう。(注1)
なにせ大正時代の、しかも技術士官とはいえ海軍大佐が書いた文章。
「潜水艦は艦隊の行動を不便にし困惑せしむるの間接効果を実現したるものと言ひて可ならん」
「此くの如きは作戦上の要求より列国互に速力を競争すること其第一因なり」
等々と、今の人間には読みづらい文章が続く。
また、外来語の表記も今と大正では違う。
〝ノット〟は〝節〟、〝タービン〟は〝タルビン〟、〝ストレス〟は〝ストレツス〟など。
しかし、図表の7ページを含めても わずか30ページ。
艦船設計の実務者によって書かれたものなのだが、本書に限って言えば専門的過ぎて難しい、ということはない。
本夕、読了。
時代背景は以下の通り。
本書発表の前年の1920年には、英・仏・伊とともに日本も常任理事国となった国際連盟が成立している。
また、国内では八八艦隊計画案が国会を通過し、その一番艦の『長門』が竣工。(注2)
発表翌年の1922年 には、保有軍艦排水量の米英日比率を5:5:3とするワシントン軍縮会議条約が成立している。
つまり、条約が発効して主力艦の建造が一時中断される直前のことで、造艦競争たけなわの頃。
この時期の海軍予算は、日本の国家予算全体の30%を超している。
本書の構成は、
一 軍艦の進歩
二 軍艦の船体に用ひらるる鋼材
三 特質鋼材の使用に基く排水量及船価の減少
四 甲鉄板等の防御材
五 軍艦に要する鋼材の需要
六 結論
一から五までで軍艦に必要な鋼材種・量を示し、その上で、
・諸国の鋼材規格を比べると米国が一番いいようだが、日本もなかなか。
・海軍規格を十分満たしたものを製造できているので、規格を厳しくしてもよさそうだ。
と、製鉄・製鋼業者の担当者を持ち上げて六に至る。
で、六の『結論』では、
「・・・船体の設計進捗して多くの材料を注文し得るとするも如何に早くも五ケ月甚だしきは九ケ月乃至一年以上後に非ざれば入手することを得す・・・殊に苦悶を感するは注文は工事の順序に適する様に発するも到着するものは必すしも順序の之に伴はさる・・・」
と、〝艦船建造に用いる鋼材を速やかにかつ順序良く納入せよ〟という本書の主意が書かれ〝カツ〟が入る。
今で言うところのジャストインタイムを要求しているのだが、彼は建造に入った段階でも工事進捗・手順に影響を与えるような設計変更を差し込んだりしたようだ。
料理人も、最後に追い塩を振って味を決める。
そんな気分の持ち主だったのかもしれない。
(注1)
この時、平賀譲43歳。
帝大教授を兼務する造船大佐として艦政本部計画主任に就いている頃。
古い業界誌をめくっていて見つけた。
紙が薄い上に印刷インクが裏にまで浸みとおっていて、読み辛い言葉使いの文章が更に視覚的にも読み辛くなっている。
なお、古い文献を漁らなくとも、平賀譲が仕事で残した論文・メモのほとんど全ては『平賀譲デジタルアーカイブ』におさめられていて自由に読めるのをあとになって知った。
もっとも、私に理解できるのは、この『軍艦と鋼材』がせいぜい。
ほかは私にはとても手に負えない。
(注2)
『長門』の設計主務者は平賀譲。
本文中にも『我か八々艦隊の完成すへき』とか『ナガト』といった表記が読める。
コメント
失礼致します。
お気づきかもしれませんが、この雑誌掲載版には、間違いがあります。
四一三頁
【誤】
四Non-cemented armour(K.N.C. or V.N.C.) 炭和甲鉄鈑
五Cemented armour(K.C. or V.C.) 非炭和甲鉄鈑
【正】
四Non-cemented armour(K.N.C. or V.N.C.)非炭和甲鉄鈑
五Cemented armour(K.C. or V.C.) 炭和甲鉄鈑
他にも間違いがあるかもしれませんが・・・。
因みにタイプ版は「平賀譲デジタルアーカイブ」にて閲覧できます(此方は正しく書かれています)。
失礼致しました。
投稿: Luna | 2015年4月12日 (日) 21:21
Lunaさん、はじめまして。
ご教示、どうもありがとうございます。
これは私も気がつきました。
その上で、炭和の意味が分らないので、cementedはcementiteのことなのかなと読み流しました。
cementiteだと脆くてアーマーにならないように思うのですが・・・
投稿: KON-chan | 2015年4月13日 (月) 01:38
失礼致します。
KON-chanさん、はじめまして。
丁寧にレスを付けて頂き、ありがとうございます。
「炭和」は「浸炭」と同じ意味かと思います。
炭和甲鉄鈑(表面硬化)は、浸炭→調質→表面焼入という、熱処理工程を経て造られるのに対して、非炭和甲鉄鈑(均質)は、調質のみだそうです。
cementedがセメンタイトを意味するのかは分かりませんが、浸炭部分には炭化鉄=セメンタイトが多く分布していて、とても硬いが、脆いというのは、KON-chanさんが仰るとおりかと思います。
戦艦「長門」に使用された、300mm厚のV.C.甲鈑の例を挙げますと、浸炭は表面から7~10mmの部分、調質(焼入れ焼戻しを数回)によって、先ず全体を硬さはやや低いが靭性の高い(粘強い)ソルバイト組織とし、次に表面焼入によって、表面から60mm部分をマルテンサイトを主体とした脆いがとても硬い組織としています。また、最表面には成分中のクロムの炭化物が析出、硬化しているそうです。
因みに、浸炭は、戦艦「大和」のV.H.甲鈑で廃止されてしまいます。その為、V.H.甲鈑は非炭和表面硬化甲鉄鈑などと呼ばれています。
【参考文献など】
装甲鈑製造についての回顧録
佐々川 清
鐵と鋼 : 日本鐡鋼協會々誌 53(9), 1119-1129, 1967-08-01
CiNii PDF - オープンアクセス 被引用文献1件
http://ci.nii.ac.jp/naid/110001460936
失礼致しました。
投稿: Luna | 2015年4月15日 (水) 21:50
Lunaさん、こんにちは
ご丁寧かつ詳細なコメント、どうもありがとうございます。
『装甲鈑製造についての回顧録』中の記述によれば、「cemented」は「浸炭」のこと。
冶金学では「carburizing」のような言いかたはしないのですね。
であれば、平賀論文にある「炭和」は確かに「浸炭」ということになります。
VC甲鈑がVickers cemented armour、VH甲鈑がVickers hardened armour。
造艦者としての平賀中将は有名ですが、VH甲鈑や蜂巣甲鈑の考案者の佐々川少将のことは、このたび『装甲鈑製造についての回顧録』を読んで初めて知りました。
VC(VH)は、今の材料でいうとSNCMに近いようですね。
生きるか死ぬかに使う船とはいえ、随分と高級な材料をアーマーに使っていたものです。
それにしても、呉工廠はすごいところだったのですね。
品質管理も実にしっかりしたものです。
興味深い論文をご紹介していただき、感謝します。
拙ブログの記事の多くは魚釣りのこと。
それに関連してフックやラインのことを書くこともあるかもしれません。
技術的なことに対して、いい加減なこと、思い込みを書くことがあるでしょう。
是非、チェック、修正をお願いしたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いします。
投稿: KON-chan | 2015年4月16日 (木) 17:47
航空機が戦争の主力であることを世界で最初に示したのに日本はいまだ、大艦巨砲主義を求める声がある。現在の鉄鋼メーカーに置き換えると分かりやすい、前者は日立金属で新素材を開発し他社を圧倒しているが後者は連続鋳造が最先端と20年以上の間言い続けており、巨大な製造構造物を誇ってばかりで進展がない。巨大な清掃構造部であれば馬鹿でも資本力があればできるんで、世界第一位の座からずるずると引き釣り降ろされた感がある。鉄は国家という信念があれば半導体には目もくれず日立金属のような部門も作れたであろう物を出来ないのは、なぜかというのは
後の祭りか。
投稿: 技術の結晶 | 2017年2月 1日 (水) 16:23
技術の結晶さん、こんにちは
古い記事なのに、コメントどうもありがとうございます。
量を使うインフラ構築には、いわゆるバカガネでことが済むわけなので、連鋳法がやはり有利でしょう。
船体、車のボディ、家電筐体等々も。
引張りに対してなら断面積に、曲げに対してなら厚みの自乗に比例して強度を上げることができますから、重量を気にしなくていいのなら、造塊法による高価な材料を使わなくとも、ということがあるのでしょう。
少量だけど高付加価値品を生産 という選択は一見優れた経営判断のようですが、低付加価値品を多量に生産 という経営よりはたして上にあるのかというと、さて。
例えばSUS630なんかは、日本で年間1千トンも必要としているのかなァ。
小さな炉が必要ですが、それを持つ企業は、経営の安定に苦労しそうです。
投稿: KON-chan | 2017年2月 1日 (水) 21:47