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2013年1月

2013年1月31日 (木)

星と月と漁火と

穏やかな冬の空気の中を歩いた。
夏になるとエゾカンゾウが咲く丘まで。

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【画像:上】
南西の空、高く見上げたところにオリオン。
見上げたそのままの格好で、体を右に90度回すと木星、すぐ脇に昴(すばる)。

【画像:下】
オリオンが見下ろす太平洋に、月が昇ってきた。

月光の下で作業をする漁船団の灯。
今夜の太平洋はナギ良く、漁作業もはかどるだろう。

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2013年1月27日 (日)

『ピュリツァー賞受賞写真全記録』を読む

ネットの世界では、〝ピューリッツァー賞〟という表記が圧倒的に多い。 ウィキペディアも〝ピューリッツァー賞〟。
が、Pulitzer Prize だから、〝ピュリツァー賞〟のほうが近い(と思う)。

20130127

本夕、『ピュリツァー賞受賞写真全記録』を読了。
’11年受賞までの70年分。(注1)
見ごたえもあるが、解説文がしっかりしていて読みごたえもある。

ピュリツァー賞のどの部門も、米国内で発表されていることが受賞条件。
この本で知ったのだが、〝ピュリツァー賞〟は応募・エントリィ制であるようだ。

大統領就任間もない頃のケネディが対処しなければならなかったのが、キューバ危機。
対応の相談のために、キャンプ・デービッドに招いた前大統領アイゼンハワーとケネディが並んで歩く後ろ姿のショット。

B29の狭い後部銃座に座る者の爆撃後の任務は、爆撃効果確認のための写真撮影。
B29を降りてAP通信社のカメラマンに転向した元後部銃座員は、遠ざかってゆく絵を窮屈な姿勢で撮ることに十分に慣れていた。
シークレットサービスの股間から狙ったワンショットが、’62年の受賞写真の『孤独な2人』。(注2)

帯の写真は沢田教一が’66年に受賞した写真中の一枚、『爆撃からの逃避』(注3)

4×5の大判カメラを経てロールフィルム時代になると、ライカ、ハッセルブラッド、ニコン。
フィルムはほぼ全てがコダック。
カメラはニコンが圧倒的で、過半数。
デジタル時代からはキヤノン。

チャンスとウデだけではどうにもならぬ。
ハードもピュリツァー賞の栄誉を担う。

(注1)
71年目になる昨年の受賞は、フランス通信社の記者。
アフガニスタンの首都カブールで起きた自爆テロ現場で、死体に囲まれて立ちすくんだまま泣く少女。
遺体を掲載しないことを報道原則としている日本の新聞には載らなかった。

(注2)
日本では『厳粛なる歩み』のキャプションで知られる。
核戦争の瀬戸際にいるのは確かなのに、相手(モスクワ)の出方は分からない。
元大統領は現大統領に何をアドバイスするのだろう。
遠ざかって行く二人の背中に〝厳粛〟は見えない。
〝孤独〟同士の背中。

(注3)
日本では、『自由への逃避』または『安全への逃避』のキャプションの方が有名。

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2013年1月26日 (土)

滑らず

当地、降雪量は少ない。
よって、しっかりとした圧雪の乗っていない凍結路が多い。

先日、玄関を出て7歩か8歩 歩いたところで、表面に薄雪の乗った氷で滑り、かなりカッコの悪い転倒の仕方(^^;
いわゆるスノトレシューズを持ってはいるのだが、それではとても冬季の屋外ウォーキングには耐えない。

Spike

野球・ゴルフシューズのようにメタルスパイクの付いた靴を履けば氷を噛んでいいのだが、舗装の出ている所を歩いたり、商店に入ったりはよろしくない。
取り外し取り付けが簡単にできるスパイクが良かろう。

実はもっとゴツイ出来の軽アイゼン(イージィクランポン)を買うつもりで店に入ったのだが。
アイゼンと並んでこれが売られていた。
千歳空港のローソンで売っているモノと、コンセプトは同じ。

確かに、街なかでアイゼンはない(^^;

取り外し片側3秒。
取り付け片側10秒。

但し、かなり堅い靴でないと上記時間では脱着できない。(柔らかい高級靴用ではないということ)

普段履きの靴に付けて、先ほど試歩を5キロほど。
滑らず(^o^)

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『わっかたさっぷ』を読む

3年近く前の拙ブログの記事、・・・『廃鉱にて』。
胆振線の脇方支線廃線跡をたどり、雪に埋もれた鉄鉱山跡(注1)に立った話。
その後日談。

『わっかたさっぷ』(注2)を、本日読了(注3)

Photo'25年(大正14年)から'52年(昭和26年)まで、脇方鉱山に経理課員(注4)として勤めた佐々木氏が書かれたのが左の画像の本。
氏の退職(注5)から43年、閉山からでさえ20年を経過した'90年(平成2年)、佐々木氏85歳の折に自費出版したもの。

書中の約半分は、'20年(大正9年)、新卒の翌年、この鉱山が開くのとほとんど同時に赴任、'47年(昭和22年)に公職追放で所長職から退かれた大町氏(注6)が、追放後20年以上も経てから脇方時代を振り返って書いた随筆集。

お二方とも、脇方鉱山退職後も採鉱業界で生きた人だが、この本自体は専門資料を残すことを意識しているわけではないので、鉱山に門外漢の私でも、それほど引っ掛かるところなく読み進めることができた。
とは言っても、脇方の歴史や一昔以上も前の採鉱業に興味がなければちょっと読みづらいし、だいいち読む動機が起きないだろう。

それにしても、お二人の記憶力には驚かされる。

“略奪農業”とは、野を焼く以外には肥料を与えない農法。
何年もしない内に土地が衰えるので、そこを捨て、移動しては新たに野を焼く。
野蛮な言葉だ。
それでも、捨てられた地にはやがて草が生え茂みが戻る。
何年か何十年か後には、よみがえった野を再び焼き作物を植え付けることができるだろう。
採鉱にはそういうサイクルがあり得ない。
何十年・何百年・何千年・もっとそれ以上の向うであったとしても、必ず枯鉱がやってくる。
野蛮を越える残酷な世界だ。

雪に埋もれた脇方支線跡と脇方駅舎跡と脇方鉱山跡はすでに見た。
雪の無い日に、脇方支線跡と脇方駅舎跡と脇方鉱山跡を見たいと思う。

・・・。

いや、見ないほうがいいのかも知れない。(注7)

(注1)
鉱山が開かれたのが'19年(大正8年)、閉山が'69年(昭和44年)。
事業上、何度か帰属が変わっているが、閉山時の正式名称は『日鉄鉱業(株)北海道鉱業所』。
元々は三井が開いた鉄鉱山で、三井の総帥 團琢磨が視察のため、特別列車を仕立てて脇方に来ている。
『倶知安鉱山』と名付けられていた時代が長いが、現在の地理感覚では違和感をおぼえる。
本書内では『脇方鉱山』と表現されているので、本ブログ内でも『脇方鉱山』と記した。

(注2)
『わっかたさっぷ』とは川の名。
「下のほうを流れる川」といった意のアイヌ語で、『脇方(わきかた)』の名の由来となっているのは自明。
脇方駅の北、東から西に流れるのが白井川(左沢)。
脇方駅の南、東から西に流れるのがワッカタサップ川(右沢)。
両川とも小川である。
両川は脇方駅すぐ西で一つになり、改めてワッカタサップ川となり尻別川に注ぐ。

(注3

この本が京極町図書館(湧学館)に所蔵されているのは知っていたが、貸出不可扱い図書。
今回読んだのは、道立図書館の蔵書。
湧学館で司書をされている方が、胆振線に関わって『わっかたさっぷ』に触れているサイトを見つけた。

(注4)
ここでいう経理課という職種だが、会計業務のみを行う部署ではないようだ。
中国語の『経理課』や旧軍の『主計科』に相当する職種のよう。
『総務係』+『購買係』+『経理係』+『秘書係』のような業務を担当していたものと推察する。

(注5)
大町所長の退職を追うように、2ヶ月遅れて43歳で退職。
『わっかたさっぷ』を読む限りでは、彼の退職理由は明らかではない。
退職直後に京極村議をつとめたりもしているが、前職同様に鉱業にも職を得、のち大町氏起業の会社の取締役などに就任していることを考えれば、大町氏と同じ責任を取ったのかも知れない。


(注6)
高知県出身。
帝大鉱山学科を出た後、先輩のいないところで頑張ってみたいという理由で、北海道で職を得ている。
戦時中、大政翼賛会後志支庁協力会議長に就いていたことを理由に職をパージ。
のち起業、また幾つかの会社や学会のトップや幹部に就いた。

(注7)
こういった書きようの一行は避けるべきだ。
2メートルも積もる脇方の雪が融ける頃、きっと見に行くに決まっているのだから。

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2013年1月20日 (日)

エゾカンゾウの咲く丘にて

夏はエゾカンゾウの咲く丘。
見えるのは太平洋。

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沖0.5海里までは、この丘の風裏。
それより向こうは白波。

ライセンス制限の正午を過ぎ、マス釣り船が帰ってきた。

日が照り寒さも緩んだが、本日 大寒。

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2013年1月19日 (土)

『Fの時代』を読む

昨夜は、登別温泉で倶楽部役員会。
事務局長K氏差し入れの高級ワイン、私が一人で飲んでしまったような(^^;
ご馳走様でした。

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【画像:上】
帰り道。
凍えたこずえをすかして見た胆振沖太平洋。
冬雲が低い。
この北西の風では、我が艇はとても航行できない。
明日も北西風が残りそうだ。

【画像:下】
『F』なら、フッ素。
『F15』なら、イーグル戦闘機。
『すべてがFになる』なら、森博嗣のミステリィ。
『Fの時代』なら、写真集。

写真集なのだから、読了と言っていいものなのかどうなのか、見たと言うべきか。
今夕、了。

『Fの時代』の〝F〟は、ニコンFの〝F〟。
『Fの時代』の〝時代〟は、〝’60年代〟。
蒸気機関車終焉の頃。

ニコンF(注)で撮られた鉄道写真が並べられているだけ。
前書きと後書きに、ほんのわずかの文章があるが、写真へのコメントは皆無。
広田氏がプロになった直後に撮られたものばかりだから、撮る人もカメラも画像も若い。

本の終わりのほうにあったのが、大岸駅付近で信号待ちするD52-468。
D52の最終ロールアウト車だ。

(注)
ニコンのフィルム式1眼レフカメラ。
FからF6まであって、初代機が〝F〟。
フィルムカメラはレンズとフィルムが全て。
ボディは単なる暗箱・・・
とばかりは言えなくなったのが、このFが出たあたりから(らしい)。
「レンズが全て」と言う人も、「F(2でも3でも5でも)を持つと、いい絵が撮れそうな気がする」と。

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2013年1月14日 (月)

いいカタ未満(^^; でも定量(^o^)

北海道の船釣師で、サクラマスの大きさを評価するのに、体長で言う人は少ない。
評価は重量。

私の感覚だと、
  2kg前後で、『オォ、いいカタ』
  2.5kgを越えると、『スゲ-なァ』
  3kg越えともなると、『一度、見てみたい』

胆振沖サクラマスライセンス海域での釣獲リミット(定量)は10尾。
でも、私自身のことを言えば、
マスが
  1尾も掛からなくとも、まァ、そんなもンでしょう(^^;
  1尾掛かれば、ホッ(^o^)
  2尾掛かれば、納得(^o^)
  3尾掛かれば、満足(^o^)
  4尾掛かれば、十分(^o^)
  5尾以上掛かれば、こんなに掛けてどうしよう(^o^)

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【画像:上】
6時50分、出航。

ナギ良く、往復とも25ノットの高速巡航。

今日の出竿は、こんな景色の見える海域。
16.5分あたり。
浅い。
水深70メートル海域。
タナも浅い、3メートル、4メートル、5メートル。

【画像:下】
最大魚が、1.7kg。
いいカタとは言えないだろう。
いいカタ未満(^^;

他は、海山女魚(^^;

でも定量(^o^)

マス海域到着後、定量までに2時間。
10時、沖上がり。

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2013年1月12日 (土)

稼業と公務

気象予報を稼業としている会社が何社かある。
気象台は公務として、気象予報を行う。

当地、公務として行われた気象予報より、某気象会社が稼業として行っている予報の方が当たる(という印象がある)。
なので、私は室蘭気象台の予報をほとんど参考にしない。(注)
が、昨日17時現在の予報で、今日のおだやかな風を当てたのは室蘭気象台だけだった。

130112_5

【画像:上】
公務の予報を信じ、早くに出航すべきだった。

この時期、こんな日に出ないでいつ出るのかというほどのナギ。
船置き場の隣艇は、サクラマス大漁。

KON-chan号の出航は、10時20分。
すでに、サクラマス海域まで航海するにはあまりに遅い時刻(^^;

で、根へ。
今日の出竿は、こんな景色の見える海域。

【画像:中】
1投目、いきなりきたのが53センチ。
我が艇の従来記録の52センチを3年かけて超えた(^o^)

【画像:下】
マゾイが1尾。
珍しいことにヤナギノマイが掛かった。

13時、沖上がり。

(注)
室蘭気象台の名誉のために言うと、オカの予報は十分に実用範囲(だと思う)。
ただし、岬沖の気象を、気象台の予報から推し量るのは、特に冬季間は困難。
なので、私は某気象会社が稼業で行っている予報を使うことが多いというだけのこと。

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2013年1月 6日 (日)

赤い線

赤い糸なら、あなたとわたし、きみとぼく(^^;
話題は赤い〝線〟。

函館からは、砂原経由(注1)の2両編成の各停列車。
車齢30歳を超えたキハ40だが、車番が1700番台。
220PSエンジンを330PSに乗せ換え延命改装された型だ。

ガラガラ。
直角背の4人ボックスに一人。

背中側の夫婦と小学校低学年(らしい)の男の子の三人家族が、阪急山の手ハイソ系の関西弁。
で、三人ともレベルの高い〝鉄〟。

小学生が、『じゅうりょく(重力)』とか『えきしゃ(駅舎)』とか『かいけつ(解結)』(注2)といった単語を使うか。
いや、確かに使っていた。

三人の持つカメラがすごい。
三人ともレンズ。(注3)
ウーム。

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【画像】
森駅で2両編成の切り離し。

背中側で、三本のレンズが構えられているのを感じながら、作業の見学300秒(^^;

レンズの線とヘルメットの線は別物。
ヘルメットの線はJR監督員・指揮者マーク。

(注1)

函館本線砂原支線に、特急北斗は走らない。
支線を走るのは1日5往復。
森駅での次便への接続は悪くない。

(注2)
車両を連結することは増結。
その反対、切り離すことが解結。

(注3)
キヤノンの明るい交換レンズ。
レンズの胴の前方に、ぐるりと細線がデコレートされている。

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2013年1月 4日 (金)

五能線に乗る

日本最初の世界遺産は奈良の法隆寺院群・屋久島・姫路城。
それと白神山地。
1993年(平成5年)のこと。
世界遺産登録前から、白神山地を知っていた人はそれほど多くない。(同じ事情は石見銀山にも言える)
五能線が広く知られるようになったのは、白神山地が知られるようになったことと直接リンクする。

五能線の起点は秋田県能代市の東能代駅。
終点は青森県川部駅だが、事実上の終点はもう一駅下った弘前駅(だろう)。

130104【画像:上】
青森駅からの乗車。
いったん、弘前駅まで走り、そこでスイッチバック。
次の川部駅から五能線に入る。

窓の大型化、座席配置の優等席化など内外装とも大幅に手を入れられてはいるが、ベース車両はキハ48。

五能線を通して走る列車は、東能代-弘前(下り)が1日1本。
弘前-東能代(上り)になると1本もない。
なのに、秋田駅を始発として青森駅まで五能線を中に含めて通して走る『快速リゾートしらかみ』が1日3往復(冬季間は2往復)ある。
〝快速リゾート〟というところが、五能線のいま現在の姿を表す。

【画像:下】
五能線全体の三分の一は、リンゴ樹園と水田を見て走る。
残りは日本海を見る。
海を見る車窓は、日高本線に似る。

五能線に乗るなら冬だろう。
北西の季節風で日本海が白く泡立ち、地上の全てが雪でおおわれる冬。

冬の津軽。
今日の東北地方の鉄道ダイヤ、強風のため臨時停車、駅構内での停車時間延長、一部区間徐行運転などがあり、乱れに乱れた。

本日、五能線を完乗。

↓今日あった、あんなことやこんなこと。

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2013年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

旧年中は、陸でも海でもネット上でもお世話になりました。
本年も旧年と変わらぬお付き合いのほどをよろしく願いします。

西からの寒風が吹き降りてきて、荒れた年明けとなりました。

1月1日は12月31日からの続き、何かが変わるわけではないと言う人もいますが、時が進んだのは確か。
太陰暦・太陽暦・和暦・西暦・スタートレックの宇宙歴、何であろうと1時間経てば1時間 時が進み、そして進歩・衰え・記憶・忘却・活動・疲労・寝て・起きて・・・

まァ、私の場合はボケーっ。
何の変化も感じることもなく時間が過ぎるということも多いのですが(^^;

今年も、ナギと休日がマッチさえすれば、沖に出て竿を出すことでしょう。

少しばかりの進歩を意識し
しかし、進歩に引き合わないほどに衰え
新しい知識を少しは手にし、記憶し
しかし、元々が無才能、技能の獲得もなくことごとく忘却し
でも、活動し
結果、疲労し
寝て
起きて
・・・

そんな日々を積み重ねた昨年は、それほど悪くはない1年だった(^o^)
そんな日々を積み重ねるはずの今年も、それほど悪くはない1年のような(^o^)

は、昨年中のあんなことやこんなこと。

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