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2012年8月

2012年8月29日 (水)

城下町

120829

【画像:上】
こんな名前の停留場。

バスを降りたら、道の向こう側はアルミや銅の合金を製造する大工場群。

【画像:下】
バスを降りた側の歩道を、工場群に背を向けて曲がる。
代々の旧家だろう。
石垣・板塀・竹塀が続く城下住宅街。

持つ者・持てぬ者の区分け。
封建制度は生まれが全て。
下剋上とは言っても、ある層内での話。
しかも、剋上を企てる下の者には、命知らずの勇猛さと命を預ける者を集め従えさせ得る人望とを要した。

しかし、この町はそんな荒っぽい歴史は持たなかったようだ。
固定化した封建体制が続いた。

代々家督を継いできた立場の者の気の使いようが分かる竹塀だ。

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2012年8月26日 (日)

回復期と回遊期

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【画像:上】
釣師だったのだが。

しばらく潮風に当たってないので、手指が釣師のものではなくなった。
しかし、回復期。

【画像:下】
何本か掛かったと聞いた。

右手前から中央へと水の流れ込み。
その沖目を狙うなら、ここがベストポジション。
9月に入ると河口規制が敷かれ、この位置からのキャストはできなくなる。

手前。
この中の釣師の誰かの奥さんと子供。
もうそろそろ、奥さんとお子さんの相手をした方が・・・

サケの回遊期。

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2012年8月25日 (土)

イカ大漁

『釣糸を垂らし、その先に結びつけた釣針にをひっかけて捕えること。』
というのが、「広辞苑」に載っている‘釣り’の定義。
ほかの国語辞典でも似たり寄ったりだろう。

イカは魚類ではない。
頭足類。
よって、国語辞典に従えば、針でひっかけて捕えても、その相手がイカなら‘釣り’ではないことになる。

ベテランは、‘イカ釣り’といわずに‘イカ付け’という。(注1)

以前の記事にもにも書いたが、イカ付けにウデは関係ない。
手返しだけ。

本日、同乗予定2名。
が、どうしたSさん、姿を見せぬ。
電話にも出ぬ。

ンなわけで、同乗1名で、5時出航。
40分後、携帯圏外域。
60分後、出竿。

120825【画像:上】
今日の出竿は、こんな景色の見える海域。

【画像:下】
ウデの見せようのない場にお誘いしたのは失礼だったかもしれない。
本日の同乗は、shinyaさん(注2)

シーアンカー取り込み作業中の図。
デカイなァ。

彼、釣りには大層“込め”るものがある(ように見受けられる)。
今日は、しかし、掛ける対象が魚類ではなく頭足類。
やることが‘釣り’じゃないのだから、今日はそれほど“込め”てないかな(^o^)

10時、沖上がり。

マリーナに入ると、Sさんが。
「いやァー。寝坊しちゃって」

私の本日の全水揚げを持って行ってもらいました(^o^)

(注1)
日・中・台・韓の現役研究者によって書かれた『スルメイカの世界 資源・漁業・利用(成山堂書店)』という本を読んだ。
第1章の章題は、『イカ釣り漁業及びイカ加工業の展開』。
‘イカ釣り’と言ってもいいようだ。

(注2)
今はなきパソコン通信NIFTY-Serveの『釣りフォーラム』内の『北海道会議室』のメンバー。
詳細は以前の記事で。
釣りを知るのが遅かった私は、NIFTY-Serve『釣りフォーラム』のほとんど最後といってもいいメンバーだった。
あまりに初心者だったので、『釣りフォーラム』の会員でいることに自分でも場違いさを感じていたのだが、ほどなくパソコン通信自体が終焉した。

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2012年8月22日 (水)

鹿児島市電に乗る

鹿児島市電の路線長は、13.1km。
19日、これを完乗。

120821【画像:上】
鹿児島市内の電車通りは大変に広い。

また、鹿児島市電の軌間も1435mmと広い。
(札幌:1067mm、函館1372mm)

軌道のかなりの部分に芝。(注1)
これにより、都市特有の人工的でいやらしい気温の上がり方を、視覚面から緩和している(ように思える)。
実際に、軌道付近の気温の上昇をいくらか抑制しているのは確かなようだ。

センターポール化が進み、景観を汚すトロリー線がすっきりしている。

【画像:下】
全くの偶然だったが、土・日・祝のみ運行の観光ガイド(注2)の乗る電車が来た。
全線中の3/4はこれで巡る。(70分、320円)

(注1)
電車ヤードには、芝刈り・水まき用電車が駐機している。

(注2)
バスガイド経験者が、ボランティアで市電に乗り込みガイドをしている由。
これが大アタリだった(^o^)
知識が豊富で新しい。
「まだ、鹿児島市民にもあまり知られていないンです」ということで、乗車定員72名の7000形電車に、乗っているのは運転士・ガイド含め17名。

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2012年8月20日 (月)

海抜268mより

Photo_2
火の山。(注1)
海抜268mより望む。

向こうは北九州市、手前は下関市。
見えている橋は、関門橋。(注2)

流れているのは、関門海峡。(注3)

現在の『火の山』は、海峡展望スポットでロープウェイがある。
しかし、戦前・戦中は海峡監視・警護のための要塞があり、一般人は入山できなかったそうだ。
といったところが函館山と似る。

画像向こう中央やや右側にあった小倉の造兵廠(ぞうへいしょう)は2発目の原爆の第一目標で、実際、原爆搭載機は小倉上空で爆撃照準航程を3回も繰り返している。
この間、高射砲弾は一発も撃たれず、一機の迎撃機も上がらなかったという。

当日の朝、今日のように晴れわたっていたのなら、惨劇の始まりは長崎上空ではなく、この画像の上空からだった。

暑い。

(注1)
古代、大陸からの来襲を狼煙(のろし)をあげて知らせた山だから、というのが山名の由来とのこと。
山頂はミンミンゼミの鳴き声。
捕虫網が欲しかった。
ヤンマ、カラスアゲハの乱舞。

(注2)
片側3車線の高速道路橋(80km/h)。
立派な橋である。
支間長712mだから、同720mの白鳥大橋とほぼ同長。

橋桁(補剛桁)がトラス(三角形の骨組み)なのと、メインロープのカテナリー(懸垂線)の深さが小さい。
それゆえ、白鳥大橋を知っている目からは、あまり格好のいい橋には見えない。

(注3)
地元の人は、『流れる』と表現する。
この時間、画像左から右へと確かに海峡は白泡を見せて流れていた。

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海峡を歩く

本州と九州を隔てるのが関門海峡。
最狭部は700メートル。

この海峡は、トンネル3本と1基の橋、及び渡船(航路は複数ある)の5つのルートで交通が確保されている。
トンネルとは、
 関門鉄道トンネル
 新関門トンネル
 関門国道トンネル

橋とは、
  関門橋

前ふたつのトンネルは鉄道専用で、
  関門鉄道トンネルは在来線(狭軌)
  新関門トンネルは新幹線(標準軌)

また、関門橋は高速道路橋で自動車専用。

以上の3ルートは歩行での通行ができない。

関門国道トンネルのみが歩道を有する。

 

120820【画像:上】
鹿児島中央駅から北上、
鹿児島本線起点の門司港駅まで。

九州(門司港)から本州(下関市唐戸)へは船で。
関門汽船、航海時間5分。

狭い海峡ゆえ、本州側の下関と九州側の門司(北九州)とは、ほとんど一体となった経済・生活圏で、通勤・通学・買い物の往来が盛ん。
また、狭い海峡ゆえの、歴史的トピックは枚挙にいとまがない。
  壇ノ浦の合戦
  下関事件(馬関戦争)
  B29による海峡機雷封鎖
  護衛艦『くらま』と韓国船籍コンテナ船の衝突
等々。

連合艦隊所属艦艇の多くはここを通峡しているのに、旗艦だった長門・大和は広島県呉で竣工・進水しているにもかかわらずこの海峡を通っていない。

【画像:下】
本州から九州へ歩いて渡る。
自動車道トンネル長は約3500m。
歩道トンネルは、地上と地下(海底下)の行き来をエレベーターで行うため、アプローチ斜路分がないから約800m。

距離が物足りぬ。
復路も、歩いて渡る。

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2012年8月19日 (日)

肥薩線に乗る

肥薩(ひさつ)線(えびの高原線)(注1)の人吉駅と吉松駅の開通を待ち、青森駅から鹿児島駅までがつながった。 (関門鉄道連絡船経由)
1909年(明治42年)のことである。

仮想敵国だったロシアの艦隊からの艦砲射撃を避けるため、帝国陸軍が鹿児島本線を山間部に敷設することを要請。(注2)
それがために、峠を越えるための35kmの区間に、ループ・スイッチバック2ヶ所・トンネル20ヶ所という難工事を強いられた。
開通時、すでに日露戦争は終わっていた。

本日、南へ。

20120819【画像:上】
秘境駅中の秘境駅は室蘭本線の小幌駅。
数で言えば、飯田線とここ肥薩線だろう。
ピンクのマーカーで囲った路線が肥薩線。
中間あたりに直径600メートルのループがある。

【画像:中】
『大畑』と書いて、『おこば』と読む。

JR九州肥薩線のほぼ真ん中。
前から後ろに流れていた車窓の景色が、この駅で後ろから前へと逆に流れる。
スイッチバック駅である。

【画像:下】
さらに南へ。
ループ線を通過して矢岳(やたけ)駅に下る。
熊本と宮崎の県境となる矢岳山の分水嶺下を、長さ2000メートル強の1908年(明治41年)開通の矢岳トンネルで抜ける。

旧国鉄が日本三大車窓(注3)として選んだ三つの内の一つが、このあたりだと伝わる。

アブラゼミの鳴き声が押し寄せてくる。

さくら405 - くまがわ1 - いさぶろう1 - はやとの風1 と乗り継いで博多から鹿児島中央まで4時間55分。(注4)

(注1)
八代(やつしろ)駅(熊本県八代市)と隼人(はやと)駅(鹿児島県霧島市:旧隼人町)間を、球磨(くま)川と川内(せんだい)川に沿って走る。
すなわち谷筋に沿って走る。
南半分は、山岳路。
空は濃い青。
なのに、トンネルとトンネルの間だけが土砂降りだったりする。

(注2)
日露戦争から40年後。
主力兵器は戦艦から飛行機に変わっていた。
こんな山間の駅舎さえ、グラマンF6Fからの機銃掃射を受けている。
大隅横川(おおすみよこがわ)駅には、機銃弾に射抜かれた柱や梁(はり)が残っている。
帝国軍には、迎撃するだけの力は残っていなかった。
超低空飛行で掃射したのだろう、貫通弾痕がほとんど水平。

(注3)

ひとつは、根室本線(旧線)の狩勝峠越え時のもの。
ふたつは、篠ノ井(しののい)線(長野県)姥捨駅付近からのもの。
もうひとつが、ここ肥薩線のループを過ぎ南下しばらくのち矢岳第一トンネルを抜けた、熊本と宮崎の県境付近からのもの。

(注4)
復路は九州新幹線最速の『さくら604』。
鹿児島中央-博多 1時間17分。

↓今日の、あんなことやこんなこと。

120819_2

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2012年8月15日 (水)

博物館のイカツノ

120815【画像:上】
登別市がまだ幌別村だった頃に使われていたイカツノ(スッテ)。(注1)

登別市が幌別村だった頃というのは、1951年(昭和26年)以前のことだから、60年以上も前に使用されていたツノということになる。

【画像:下】
5時10分、出航。

イカはすぐれた眼を持っているものの、色の識別はできないそう。(注2)
だからモノトーンのツノもマルチカラーのツノも、イカの眼には同じこと。

60年以上前に使用されていたツノも、いま我々が使っているツノも大して変わらないゆえんである。

60年前のイカ漁師も、こんなふうにイカに風を当てていたはずだ。

船上干し24ハイ
氷漬け95ハイ

10時30分、沖上がり。

(注1)
登別市郷土資料館所蔵品

(注2)
『イカの心を探る』による。
同書によれば、明暗・コントラスト・形状差は認識できるとのこと。

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2012年8月13日 (月)

『イカの心を探る』を読む

本夕、NHKブックス『イカの心を探る』を読了。

何であれ自分の仕事・趣味・嗜好のこととなると、それを熱く語るのが人の常。
その仕事・趣味・嗜好の、専門家・第一人者・オーソリティーの域にいる人ともなると、熱く語るなんてものじゃない。
それが生活・それが人生・それが全て。

順序が逆だ。
それが生活・それが人生・それが全てだから、専門家・第一人者・オーソリティーとなる。

120813副題が、『知の世界に生きる海の霊長類』。

その道(『イカ』の研究)の専門家・第一人者・オーソリティーの視点からは、イカは『知の世界に生きる』生物のようだ。

啓蒙書に分類される本で、大部の本ではない。
しかし、内容は濃い。

私は生物学(だけではないけれど)を知らないし、研究者の頭の使い方・知的充足感のほども知らない。
けれども、イカに生活・人生・全てをかける価値が少なくとも著者にはあるのだ、ということは納得できた(ような気になった)。

漁業者・釣り人の視点から書かれた本ではない。
だから、これを読んだのだから、イカの水揚げ量を増やせるのかというと、全然。
多分、この本の記述を100%理解できたとしても水揚げ量を増やせない(と思う)。

目一杯熱く語られているのは、イカが『知の世界に生きる海の霊長類』であること。

ナギにならないかなァ。
ナギにさえなれば、オカの零釣類(れいちょうるい)のオイラにでもイカはあげられる(^o^)

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2012年8月12日 (日)

じゃァ、いつやるの? 今でしょう(^o^)

KON-chan号進出海域で掛かるのはマイカ(スルメイカ)で、寿命は1年。
だから、成長が早い。
1週間も経つと、明らかに大きくなったことが分かる。
我が家で好評なのは、秋深い頃の大きくて身の厚いイカではなく、走りの頃の小さくて身の薄いイカ。

じゃァ、いつやるの? 今でしょう(^o^)
それッてんで、5時50分出航。

120812_2【画像:上】
小一時間の航海。
今日の出竿は、こんな景色の見える海域。

風も波も穏やかだが、ガスっぽくて、視程0.5から1.5海里ほど。

【画像:中】
9月に入ると海水を吐かせたイカでも3ハイで1キロくらいになるので、ひとつの容器(クーラー)に100ハイも収容すると運搬に大変苦労する。

今じきのイカだと、その半分くらいの重さ。

【画像:下】
登別市郷土資料館で見た、機械化前のイカ漁機。
このような姿で展示してあったが、漁船上では水平に設置して使う。
まだ仕掛けのあげおろしは動力化されてなく、ドラムを手で回転させて上下させる。

胆振沖太平洋で我々のやることは、それを竿と(電動)リールで再現すること。

技術・技能不要。
労働量と水揚げ量が正比例する。
手を多く動かした人が、より多くイカを得られる。

本日、私は102ハイに相当する労働をしたことになる。

9時、沖上がり。

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2012年8月10日 (金)

海抜334mより

函館山。
海抜334mより望む。

函館山々頂は、ものすごい人人人人・・・

120810【画像:上】
左は函館湾・函館港、右は大森浜・津軽海峡。

この画像の右手前にはイカ漁船の漁火が10・20・30・・・100ほど。
その方向に移動したいのだが、自由にならない。
それほどの、人人人人・・・

この山には昼・夜とも登っているし、この山を見上げる海域まで航海してブリを狙ったこともある

今日は、陸路で函館へ。

【画像:下】
函館市電には、完乗済み(^o^)
都電と同じ軌間幅で、1372mm(4ft6in)。(注)

(注)
この値は標準軌の1435mm(4ft8.5in)より小さいが、JR在来線の1067mm(いわゆる狭軌で3ft6in)より大きい。
札幌市電の軌間はJR在来線と同じ。
よって、函館市電の車幅は札幌市電よりやや広い。

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2012年8月 7日 (火)

明日は晴れそうだ

職場を出たのが早かった。
低く傾いた日を背中にして走るので、ルームミラー(リアビューミラー)が眩しい。

明日は晴れそうだ。

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2012年8月 5日 (日)

廃線にて ソバを2枚食べた理由(ワケ)

1906年(明治36年)開鉱の幌別鉱山から採掘されていたのは、金・銀・銅・鉄・硫黄。
閉鉱は1973年(昭和48年)。

1954年(昭和29年)までは、鉱山-幌別停車場(現JR幌別駅)間に鉄道が通っていたのだが、その痕跡を言える人に出会えたことがない。

120805_3【画像:上】
上記の幌別停車場に通っていた軌条を移設したもの。
と、勘違いさせられた。

案内板の説明(注1)では、昭和48年まで使用されていた由。
だから、上記の幌別停車場に通っていた軌条ではなく、構内鉄道(注2)だろう。

軌間は406mm(1ft4in)(注3)と大変に狭い。
馬で貨車を牽いていた時代もあったようだ。

【画像:中】
ほどなく土砂降り。

ソバを食う。

【画像:下】
本を持って家を出ていた。
で、それを読むつもりで入った喫茶店。
テーブルとイスが大衆食堂のそれで、入店の瞬間、お茶を注文する気が失せた。
サンドウィッチ・スパゲッティ・カレーは言うに及ばず、丼モノ・冷やし中華・ウドン・ソバまでがメニューに。

再び、ソバを食う。

(注1)
実は、案内板の説明自体が混乱している。
案内板の表記は、『明治38年より昭和48年の間、幌別鉱山の鉱石運搬用の線路として使用する。』
明治38年(実際は翌年)に通ったのは鉱山地区から幌別停車場だが、廃線は早くて閉鉱の約20年前。

昭和48年まで使用されていたのは、鉱区-製錬所の構内線。
但し、開通は1909年(明治42年)以降。
残っていたのは、こちらだろう。

(注2)
登別市鉱山町のふぉれすと鉱山施設からさらに北に幾つか道があり、その一つが、右手が岩壁・左手が崖の登り勾配道。
未舗装だが道床は固く、かつ平らにならされていて、ダート車でなくとも通行可能。
しかし、行き違い(すれ違い)できるだけの幅はない。
鉱区と製錬所を結んでいた構内線跡である。(私見)

どこかでUターンできるだろうと、この道を進んだのであるが、歩くべきだ。
車を使うような横着はいけない。

私は、4km以上もバックで引き返すハメとなった(^^;

これが、ソバを2枚食べた理由(ワケ)である(^^;

(注3)
JR在来線の、いわゆる狭軌の軌間でさえ1067mm(3ft6in)。

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2012年8月 4日 (土)

夏三態

120804【画像:上】
黍秋(きびしゅう:トウキビのあき)。(注)

トウキビの収穫の盛り。
我が家では、積極的に食べるのは家内だけ。
私の食べるのは、実のしっかりした胴部ではなく、実の未成熟な先っぽ、全体の4分の1ほど。

【画像:中】
黄色の対向色(補色)は青。
だから、ヒマワリを見ると、青い空でも青い水でもいい、‘青’を見たくなる。
いやそうではなく、映画『ひまわり』のせいなのだと思う。

マーシャ役を演じたソ連邦の女優の見事な瞳の青とヒマワリの黄色こそが、私が最初に実感した補色関係。

【画像:下】
ヒマワリを背中に。
すでに、コスモス(秋桜)の群生。

(注)
麦の収穫は夏(本州だと梅雨前、北海道だと今頃)。
なので、麦秋(ばくしゅう:むぎのあき)と読ませて、夏の意とする。

黍秋(きびしゅう:トウキビのあき)は、それを真似た私の造語で、これで夏の意とする。

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