« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月30日 (水)

デッキポンプ

大型のディーゼル車は別だが、車のバッテリー電圧はベンツだろうがマツダだろうがどこの国のものでも12V。
よって、セルモーターもパワーウィンドーもカーオーディオも車載電装品のほとんどが生産国をとわず12Vで機能する。

ドアミラーだけでも鏡面の上下・左右・格納に各1個ずつ、それが1台に2組だから計6個の12Vモーターが使われている。
そうやって数え上げていくと、大衆車でも1台あたり100個ほどの12V駆動モーターが使われている。
多分、世界で最も数多く生産されているモーターは直流12V仕様だと思う。

Pump風呂の残り湯を洗濯機に移すポンプ。
教えてもらったのだが、あのポンプも、それ自体は直流12Vで駆動する(注)

KON-chan号には、デッキウォッシュポンプが装備されているのだが、物は試し・・・

(注)
全ての製品がそうなのかは知らない。
私がホーマックで購入した『ポンプ・AC100→DC12V変換器・ホース』のセット商品のスペックは以下の通り。
メーカー:工進
変換器  :INPUT AC100V→OUTPUT DC12V 1.1A
ホース長:4m
以上のセットで2千円とちょっと。

陳列棚では見つけられなかったが、ポンプ単体だけでも販売されているようだ。

【画像:上】
ポンプのコードの先のソケットをワニ口クリップに交換。
スイッチも付けてみた。
先日、KON-chan号で使用。
使用感は良好(^o^)

【画像:下】
AD変換機。
上記までの話に限って言えば、これは不必要。
1.1Aしか取り出せないので、出力5Wのハンディ無線機にも使えない(^^;
(送信出力で5Wを発揮するには、無線機への入力は15Wくらい必要)

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月27日 (日)

今朝は寒かった

春分が過ぎて間もないから、太陽の出どころがほとんど東。
その太陽、年の初め頃が一年で最も出が遅く、当地では7時05分。
今日はそれが5時28分と、1時間半以上も早くなった。

110327その長くなった分だけ出竿時間が増え、よってもって釣果が伸びるはず。
だが、今朝は寒かった。
なので、出航は6時10分と、ちと遅目。

【画像:上】
今日の出竿海域は、こんな景色が見えるところ。
登別クリンクルセンター沖に100隻をこえる大船団。
ベタナギ。
雪代が入り水の透明度は低い。

【画像:下】
今日の釣果。
3桁ペースだったけれど、自家消費分の18枚掛けたところで竿上げ。
船上でこしらえ、いけすへ。
帰港時には、ヌルがすっかり洗われている。

以降、根回り。
根は不釣(^^;
正午、沖上がり。

| コメント (4) | トラックバック (0)

2011年3月20日 (日)

同じ海に浮かぶⅠ

動物を外国から国内へ持ち込む際には、必ず検疫を受ける。
それは盲導犬であっても昆虫であっても同じ。

ところが海の魚は検疫を受けない。
『検疫の目的は伝染病を防ぐことだが、世界の海はつながっているから、魚によってもたらされる伝染病は検疫では防ぐことができない』ということが根拠となっている。
確かに世界の海はつながっている。(下図はオーサグラフ図法による世界地図)
Authagraph

ほんの数分で幾多の命を飲み込んだ三陸の海と、KON-chan号の浮かぶ海はつながっている。
その距離はわずか200海里(370km)。

竿を出そうという気分にはならない・・・

110320だが、バカはどこまでいってもバカ。

10時15分、出航。

風ゆるく、ナギ。
本日 大潮だが、潮も走らず。 
穏やかで優しい海だ。
反応も良好。

14時、沖上がり。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月15日 (火)

絵鞆マリン倶楽部の皆様へ

私は仕事で何度か釜石や石巻あたりに行ったことがあります。
田老(宮古市)の大防潮堤も見ています。
あんな一瞬に全てが押し流されるほど、それほどに三陸の町々は地震・津波に無警戒な土地柄ではなかったはずです。
が・・・

あの母を呼んで泣いている少女・・・
流されていく車に人影が見えるのに・・・
防潮堤を難なく乗り越える大波・・・

自然が人智・人力を上回ったというのが現実でした。

絵鞆マリン倶楽部員のあいだで、自然発生的に義援金の話が出ました。
すでに義援金をおくった倶楽部員がいることも聞きました。
私たちにできることはしれていますが、『室蘭マリーナの釣りっこ情報』で報告させていただいている通り、倶楽部財源から義援金をおくることにしました。
ご了承下さい。

| コメント (2) | トラックバック (0)

2011年3月13日 (日)

備えあっても・・・

吉村昭の作品には題材を海に求めた資料的なものが多く、私も『陸奥爆沈』『深海の使者』『三陸海岸大津波』などを読んだ。

最後にあげた『三陸海岸大津波』。
作品中に何度も出てくる地名は、田老(たろう)。
田老村、のちの田老町(2005年、宮古市と合併)である。

明治以降、三陸沿岸を襲った大津波は
1896年(明治29年)明治三陸地震
1933年(昭和 8年)昭和三陸地震
1960年(昭和35年)チリ地震
1968年(昭和43年)十勝沖地震
による4つ。

Taroh_3田老町は、明治と昭和の三陸地震による津波によって人口の半分を失うという甚大な被害を受けたことから、高さ10mの防潮堤を構築、'60年、'68年の津波来襲時には人的被害ゼロという成果をあげるに及んでいる。

そして、2003年(平成15年)、宮古市となる前、田老町は『津波防災の町』であることを宣言している。

備えがあっても、それは人の知恵が及ぶ人智の範囲内。
今回の津波は、田老の備えを越えた・・・

| コメント (0) | トラックバック (0)

混乱と秩序

今次の、東北地方太平洋沖地震。
津波は風波に比べはるかに〝寄せては返す〟の周期が長い。
〝寄せては〟必ず〝返す〟のだが、その周期が長いため、〝返す〟ことなく一方的・非可逆的に水位が上がっていくように見える。

我が家から南東まっすぐ300m強でJR室蘭本線。
そのレール天は海抜(標高)5m。 並走して国道36号。
その更に南東200mで、北海道太平洋沿岸西部と呼ばれる海岸線。
三陸海岸と違って、波の集中・回折のない緩やかな線で形成される北海道太平洋沿岸西部ではあるが、我が家の建つ位置で海抜6m。
三陸沿岸クラスの津波がきたら、我が町内の全家屋は流されるか圧流で砕けるかだろう。

一昔半前のこと。
'95年1月17日、某重厚長大会社の東京本社の担当者との電話。
『神戸からは連絡がないので、予定通りに準備を進めて下さい』
それから数日して、その某重厚長大会社の神戸事業所の担当者から、
『仕事を進めますので、打ち合せに来て下さい。 宅配便はまだ機能していませんので、資料は持参して下さい。 断水中なので社員食堂は使えません。 弁当を持参して来て下さい』

神戸へ呼ぶほうも呼ぶほう、呼ばれて神戸へ行ったほうも行ったほうだが、呼ぶほうも呼ばれるほうも、期限を切られた仕事を受けている立場で、工程を遅らせるわけにはいかなかったのだ。

人間は混乱の中に、1時間だって過ごしてはいられない動物だ。
おそらく、地震発生の一瞬の後から、混乱を収拾する方向に全てが動き出したはずだ。
〝この混乱によくぞ〟という頭の使い方をした人がいた。
〝この混乱に乗じて〟という頭の使い方をした人もいた。
もちろん、〝混乱のため何も考えられない〟という人も多くいた。

神戸は瓦礫の中にあったが、すでに秩序を取り戻していた。
市内全域で停電していること、交通が徹底的に規制されていることで、動いているものはほとんど見えず、町なかは妙な静かさ。
学校のグラウンドにはテント村ができていて、そのテントが整然と並んでいる。
これも秩序と言えるだろう。

倒壊したビル、焼失した家屋、脚の折れた高架道路、それらひとつひとつの撤去と再建は、それに取りかかれば1、2年もあれば可能だろう。
が、それらはひとつふたつという数ではないのだ。
百、2百という数でもない。
桁が2つも3つも多いのだ。
あれもこれも、あっちもこっちもパラレルに仕事を進めなければならない。
起案する人・実行する人の手は足りるのだろうか?
私が考えたのは、そんなことだけだった。

一昨日の東北の地震。
多重の安全・保安・非常設備で守られた原発で、その安全・保安・非常設備が機能しなかった。
技術者を縛るのは、自然法則と費用と時間のみ。
要求される仕様が自然法則を越えない限り、費用と時間に枠をはめなければ、彼らは設計の前提を必ずクリアしてモノを仕上げる(はずだ)。
秩序の中で設計されていたはず。
抜けていたのは何だったのか?

| コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »