船長、廃線を行く
豪雪かつ日本最厳寒地帯で運行されていた全線単線の深名線(注1)は大赤字線だったのだが、並行する道路の全通が'92年。
よって、その廃線とバス運行への転換は'95年と最近の話。
その廃線深名線を家内と。
画像の鉄橋は、深名線が横切る雨龍川に掛かる第三雨竜川橋梁。
竣工は'31年(昭和6年)。
この橋の保存会があるようで、綺麗に塗装され、きわめて良好に現地保存されている。
橋梁名称からも分かる通り、鉄橋下を雪代水のせいで茶色く濁って流れるのは雨龍川。
45mあるトラス橋部と、画像に向かってトラス橋の左右に長さ13mほどの短い桁橋が2基ずつ。
1930年製のトラス橋は国内で作られたものだが、桁橋は、その30年前の1899年(明治32年)に英国から輸入されたもの。
桁橋には、接合とは関係ない所にリベット(鋲:びょう)が見え、その数が不必要に多いように感じる。
近寄ってみると・・・
2枚の鉄板を重ねて、リベットで接合して強度を発現させる手法が取られている。
当時の英国人が、こんな手間ひまのかかる作業を行って、明治の日本の要求にこたえていたのを発見した。
鉄の連続圧延技術(注2)はまだ無く、強度上必要とする板厚の鉄材を思うようには入手できなかった時代の技術である。
(注1)
深川と名寄を結ぶからといって、ふかな線と呼んではいけない。しんめい線。
(注2)
鋼板を連続圧延で製造するのは1950年代以降の技術。
コメント
KON-chanさん、こんにちは
深名線と言えば、思い出すのが社会人になったばかりの頃です。自動車なる物を手に入れ、夏休みに朱鞠内湖の脇を通り、蕗ノ台駅に立ち寄った事がありました。その頃はまだ廃線ではありませんでしたが、ホームしかないその駅の時刻表を見て、あまりの本数の少なさにびっくりした記憶があります。
開拓時代はともかく、訪れた時も周辺に全く民家の無い場所だったと記憶していますが、駅であるのに羆の雰囲気が濃厚だった様な気がします。
元々、朱鞠内ダム自体、色々な話を聞きますので重苦しい雰囲気を持つ土地と僕は感じるのですが、廃線間際の駅に立ち寄れて良かったと今は思っています。極寒豪雪の地に移住した先人の苦労が偲ばれますから。
投稿: Hiroshi | 2009年5月 5日 (火) 15:58
Hiroshiさん、こんにちは。
人、貨物の集積・散開があるからこそ〝駅〟があるのですから、そこには何らかの人の営みがあるはずですが、それが見えない寂しい駅もありますね。
昨年訪れた尺別駅(音別駅の一つ上り側)は現役駅ですが、なのに駅周辺がとても寂しかったです。
深名線は、Hiroshiさんがおっしゃるように、私も『先人の苦労が偲ばれます』。
『先人の苦労が偲ばれます』、本当にそうです。
フーテンの寅さんが、リリー(浅丘ルリ子)にこんなことを言ってました。
『夜汽車に乗って旅をしていると、流れる窓の景色の遠くに明かりが見える。あぁ、あんなところにも生きている人がいる。生活している人がいる・・・』
そんな明かりさえ見えない廃線沿線もありますね。
朱鞠内ダムの歴史も悲しいです。
投稿: KON-chan | 2009年5月 5日 (火) 17:06