船長、秘境駅に降りる
室蘭港を出て、噴火湾を反時計回りに航海する時に見る洞爺から静狩に至る景観は素晴らしい。
この景観の中に、JR『小幌駅』が埋もれてある。
小幌駅を指して、〝秘境度ナンバーワン駅〟とか〝キングオブ秘境駅〟とかと呼ぶ人がいるという。
鉄道事業は公共性が高いとはいえ、国有鉄道は既に無く、今は株式会社。
営業が成り立たない路線、駅は淘汰され廃線、廃駅となる一方。
だから、いわゆる秘境駅は、この先、減ることはあっても、増えるということはないだろう。
現時点で〝秘境度ナンバーワン駅〟、〝キングオブ秘境駅〟と呼ばれている小幌駅は、廃駅となるまで〝秘境度ナンバーワン駅〟、〝キングオブ秘境駅〟と言われ続けるに違いない。
陸路からのアプローチが難しいことが、小幌駅を秘境駅たらしめている理由。
なのであるが、国鉄がJRとなった年('87)の次の夏、礼文華海岸でキャンプをした際に、このあたりの地理に詳しい人の先導で、国道37号線から深いヤブを漕いで、私はこの駅まで下りたことがある。
小幌駅の秘境度の程度はそれくらいのもので、私のような登山経験の無い者でも、陸路から行こうと思えば行けるほどのレベル。
とは言っても、土地カンの無い人は、登山装備が無ければ無理だろう。
小幌駅からさらに下った海岸が釣り場として有名だということは随分あとになって知り、私もKON-chan号でこの沖に入り、カレイを好釣した経験がある。
この小幌へ、今日は鉄路で。
東室蘭5時50分発長万部行き普通列車に乗り、7時14分、秘境駅に降りた。
小幌駅から、海岸に下りるルートは二つあって、距離の長い岩屋観音(注)ルートで片道20分くらい。
【画像:上】
東側には山が迫っているので、朝早くは、日影を歩くことになる。
丁度、海岸に着いた頃、太陽が山頂より高く昇り、岩屋観音を祀っている洞窟の入り口まで日差しを届けた。
【画像:中】
岩屋観音。
観音を守るアルミのよろい窓の間隙は小さい。
フラッシュ光が遮られて、上手く撮れなかった。
【画像:下】
船を着ける桟橋がある。
岩屋観音の世話をするには、海路からの上陸が現実的だろう。
干潮まで、まだ2時間以上あるが、桟橋付近の水深は、浅いところでは50cmないだろう。
喫水の深い船での着岸は満潮を待たないと無理。
(注)
ここに載せた、国土地理院の地図閲覧サービス 2万5千分1地形図には〝岩谷観音〟と表記してあるが、〝岩屋観音〟が正しいようだ。
コメント
早速、こんばんは
愚生、海上から眺めた事が一度あります。
円空の彫られた仏様は見ることが出来ないのですか、それともどこかに強制移住(笑)させられてしまったのでしょうか?
円空を仏師などと云う輩もおりますが、愚生は一生かかってもきっと理解できっこないであろう、ホトケと思っております。
笑って下さい。
投稿: 与作 | 2009年4月29日 (水) 23:35
与作さん、こんにちは。
海上から見たというのは、青い建物のことだと思います。
一番下の写真は、その青い建物を背にして写しています。建物には、『国定史跡 善光寺 巌屋観音庫裡』と書かれた標札が掲げられてあって、そこに仏像があるわけではありません。
海から向かって、その青い建物の左側の断崖に洞窟があり、そこに円空の彫った観音像が納められています。
下から3枚目の画像の下のほうに、小さな鳥居が見えるのですがその奥がそれで、鳥居の右にあった立て札には、『国定史跡 有珠善光寺 円空正人作 岩屋観音堂』とありました。
(下の3枚の画像はファイルとしては一つになってます。クリックすると大きくなり、大きくなった画像をもう一度クリックすると更に大きくなります。そうするといくらか見やすくなると思います)
有珠善光寺には鳥居は無かったと記憶していますが、こちらにはそれがあって、神仏習合が現れています。
後の人が行ったことでしょう。
洞窟の奥には、アルミのよろい戸で守られた小さな御堂があり、よろい戸から何とか中を写したのが下から2番目の写真です。
真ん中に、円空が彫った坐像の観音が見えます。
> 円空を仏師などと云う輩もおりますが、愚生は一生かかってもきっと理解できっこないであろう、ホトケと思っております。
御意。
ところで、庫裡にだけ〝巌屋観音〟とあり、地形図にだけ〝岩谷観音〟とあるのが、ブログには〝岩屋観音〟と表記するのが正しいのかなという由のことを書いた理由です。
洞窟近くにあった案内板に書かれていた文章を、ここに全掲しておきましょう。
(縦書きを横書きにした以外は、改行も含め、原文のまま写記す)
岩屋観音
通称 首なし観音
一六六六年、僧円空が、
この洞くつで仏像を彫って
安置した。
修行の僧が、熊に襲われ
この仏様の後ろに隠れて、難
を逃れた。仏像の首を熊に
食いちぎられて以来「首な
し観音」と言われて来た。
一八九四年、泉藤兵衛に
より首は修復された。と伝
えられている。
祭礼は、九月一六日、一七
日に行われる。
豊浦町教育委員会
投稿: KON-chan | 2009年4月30日 (木) 06:46
前のコメントへの追伸です。
インターネットとは便利なものですね。
有珠善光寺のサイトがありました。
http://www3.plala.or.jp/zenkouji/zenkouji/
framepage2.html
にアクセスして、左のサイドバーの行事写真中の『岩屋観音祭』で、よろい戸を外した堂内を見ることができます。
人の陰になって良く見えませんが、観音祭の際には、像に赤い法衣を着せているようですね。
庫裡の近くに簡易トイレが2つあったのですが、前夜泊もあるようですし、これくらいの規模の祭礼もあるのであれば、それも納得できる施設と言えます。
約40分歩かなくてはならない旨の文章が書かれていますが、写真に写っているような年配者が混じった集団なら、そのくらいかかるかもしれません。
急傾斜部には、ロープが渡されています。
それが必要なくらいの山道であるのは確かです。
でも、駅は谷の中ですが、携帯電話のアンテナが1本、海岸に出ると3本立ちます。
人跡未踏、通信不可と言うほどの、秘境ではありません(^^)
投稿: KON-chan | 2009年4月30日 (木) 11:02
こんばんは、キャプテンkonchan
ご丁寧な説明をしていただき有難うございます、よく分りました。
人それぞれでしょうか、
入魂されたであろう観音様を芸術、宗教の視点を取っ払って、祠の前に鎮座し、自ら手に取り、心静かに、納得ゆくまで観てみたいと常々思っておりました。
愚生にとっては大英、メトロ等に展示されている品々よりも興味があります。
きっと師にとってはお金も情報も石ころのようなものだったのでしょうし、その人としての円空の強烈な生き様、そして後世の仏師を呻らせた感性を肌で感じ取ってみたいのですが、愚生にその心性を洞察するだけの資質があるか、否かが問題です(笑)。
単なる木の木っ端としか映らないかもしれません。
又、中世、キリストの云う博愛のもと、来道されたヨ-ロッパの宣教師と、円空のみこころの違いを少しは理解していた積りが、浅はかだったという事も教えられました。
残存する資料の少なさからも、見えない時間へのイマジネーションも沸いてきます。
今度、満潮の時にでも釣り船にお願いし、労ぜず・・・なんて罰当たりな事を・・・(笑)。
矛盾ついでに、船着き用の桟橋を造るなんて、結局、行き着くところは
’人間は何を得て、何を失っているのか’なんて書いたなら怒られますね。
久しぶりに良いブログにめぐり合えました。
感謝いたします。
投稿: 与作 | 2009年5月 1日 (金) 23:05
与作さん、こんにちは。
> 感謝いたします。
等というような言葉は困ります。この先、ブログの記事を書くにあたって、大変困ってしまいます(^^;
私は、ただの釣りバカです。
小幌が好漁場であり、しかも半日あれば往復できるほどの近場にある、というのがその海岸に行った理由です。
> ’人間は何を得て、何を失っているのか’
図書館に入ると、知の集積に圧倒される気分にさせられることがありますが、書くことを職業とした人でさえ、公房が30巻、三島が42巻。
その書いたものを得たものだと言えるならば、そしてその単位を釣りバカの使う〝ヒロ〟で表現するならば、公房1ヒロ、三島1ヒロ半本棚を占めるだけ。
私の目の子で分かるのは、それくらいです(^^;
投稿: KON-chan | 2009年5月 2日 (土) 05:58