指名手配されてるわけじゃァ・・・
かなりの大判にプリントさせても、我々の持つようなチープなデジカメ画像と、塩銀フィルムで撮影されたものと区別ができないほどにデジカメとプリンターの性能が向上した。(ドットプリンタどころか、ハンマー式プリンタを知っている世代から見ると、特にプリンタの様変わりには目を見張るものがある。カメラも安いけれど、プリンタは安すぎると、開発技術者に同情さえおぼえる)
撮影した画像をすぐに確認できること、いくらでも撮り直しができること、画像の修整が簡単なことから、素人写真なら、フィルムカメラよりデジカメの方がいい結果を出せて当然といった感じ。
『誰でもカメラマンになれちゃう時代』が到来したのかな、と思ったりもするけれど、街の写真屋さん(写真館)は、食いっぱぐれることもなく営業し続けている。
そりゃア、そうだ。
プロは所有している機材への投資が素人とは違うし、それを使いこなす技術を持っている。
写真館で撮る写真は、原像サイズが大きいからレタッチも自然で、引き伸ばしにも無理がないし、背景や照明もプロ仕様のものを使いこなし、無粋な影や反射を写り込ますことなく写真を作り上げている。
なんてことも、プロと素人の境界にはあるのだろうけれど、そういったハードとそれを使いこなす技術といったことを全然別にして、写真館のスタジオでカメラの前に立つと、『いい写真』を撮ってくれそうな気がする。
着物の衿元、足元を直し、手の位置、頭の位置、顔の向きを細かく直し、カメラの位置を数センチ単位で前後させ・・・
といった、シャッターを切る前の段取りと言うか、儀式と言うか、そうしたプロをプロたらしめている作業に彼女ら(撮影するのも、アシスタントも、アシスタントのアシスタントも女性だった)は手間ひまを惜しまない。
このスタジオでの段取り・儀式・手間ひまこそが、『誰でもカメラマンになれちゃう時代』であっても写真館が存在しうる理由なのだと思う。
みたいなことを、某写真館で考えていた・・・
6ショットか7ショット撮るのに2時間くらい掛かった。
しかも、受け取れたのは2週間後。
受け取った写真の構図は、『誰でもカメラマンになれちゃう時代』の『誰でもカメラマン』にでも撮れそうなものなのだけど、『誰でもカメラマン』では写しえない、2時間プラス2週間のプロの手間ひまが、やはり写り込んでいた(ように思える)。
その時の、1ショットが某写真館の通りに面したディスプレイウインドウに展示されているのに昨日気付いた。
『お父さん、その笑顔、そのまま』みたいなことを言われて撮られた写真。
家内と娘を脇に座らせ、『そのまま』で固まった私が中央に立っている(^^;
プロの世界は、やはりプロの世界。
『誰でもカメラマン』にはなれない。
この画像ピンぼけ(^^;
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